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妄想鉄道 東京王子鉄道 (とーてつ) (架空鉄道)

実在のものではありません。
いわゆる架空鉄道です。

三ノ輪橋からの延長

2008-08-02 14:21:45 | Weblog
戦前に浅草まで延長されていたという妄想、もちろん地下で。

三ノ輪橋
西浅草
田原町

ターミナルにはならないかなあ、銀座線との乗り換えは戦前にも可能。

ちょっと変更

2008-08-02 14:20:09 | Weblog
駒込から先の本線は下記のとおりになる。

駒込
動坂
谷中
根津
上野公園
御徒町

つまり、駅の数を少し減らし、かつ動坂から直ぐに不忍通りの下を通る。谷中は千代田線の千駄木近く、根津は乗換駅。

車両について

2005-09-18 08:28:49 | 車両
絵が書けないのでどうしようかと思っているのですが。

特急用車両

200系  1970年運用開始 軽井沢線用
300系  1983年運用開始 前橋行用
400系  1987年運用開始 軽井沢用
500系  2002年運用開始 140km/h運転可能 前橋行用

急行用車両

2000系  1970年

通勤用車両

1000系  1961年運用開始 
3000系  1974年
4000系  1991年
5000系  2002年


交直流両用車両

10系   1964年 特急用
20系   1964年 快速用
30系   1984年 特急用
40系   1985年 快速用
50系   2003年 特急用 140km/h運転可能

妄想の年表の解説その2

2005-09-15 12:28:21 | 歴史
昭和30年代前半に各私鉄がそれぞれ都心乗り入れ計画を発表したが(例えば京成の押上-東京八重洲口間とか)、都心部分の建設は営団および都営地下鉄が担当するということで、それらの計画は実施されなかった。東京王子鉄道の御徒町から有楽町まで延長できた理由として(もちろん他社と違って御徒町ターミナル自体がかなり都心に食い込んでいて乗り入れという手段があまり有効でないという判断があった)、この区間は銀座線の別線(上野-新橋間)という位置付けにして営団が建設・保有したことにしている。実際には上野広小路-銀座間しか完成しなかったと。完成は都営浅草線への乗り入れ開始とほぼ同じ時期と妄想。

水戸線の交流電化は常磐線の電化より3年遅れたことにしている。技術移転をしてくれなかったと。

新宿線近代化は、上越新幹線開業(それまでは前橋までの特急で国鉄と競っていた)及び埼京線の開業に対抗し、かつ輸送力増強の切り札となるものであり、かつ飛鳥山や大塚駅の併用軌道を廃止する役目もあった。王子駅の近代化と伴っての大掛かりな設備投資はある意味ばくち的なものであったが、お金が底をついた東京王子鉄道はその後のバブル経済において土地などの投機に走ることが出来なかった(結果としてそれが良かったわけだが)。また高崎・前橋方面で時間的に勝ち目がない東京王子鉄道は軽井沢輸送を重視し、それがバブル経済と重なって高収益をもたらしたと妄想。

地下鉄南北線は現実には1991年に駒込-赤羽岩淵間が開業している。ここではその部分は東京王子鉄道として既に開業している妄想なので、同じ1991年にほぼ同じ距離の駒込-四谷間が現実よりも数年早く開業している妄想としている。


妄想の年表 戦後

2005-09-15 06:38:34 | 歴史
1961年(昭和36年)   御徒町-有楽町開業、1500Vへ昇圧
1961年(昭和36年)   常磐線交流電化
1964年(昭和39年)   北野田-水戸、筑波山口まで交流電化完成
1970年(昭和45年)   軽井沢延長線、中軽井沢まで開業、西武新宿から乗り入れ
1977年(昭和52年)   王子-駒込間複々線完成
1982年(昭和57年)   上越新幹線開業
1983年(昭和58年)   新宿地下駅、新宿線近代化完成、王子駅近代化完成
1985年(昭和60年)   つくば万博開催、埼京線開業
1987年(昭和62年)   筑波鉄道廃止に伴い、小田-筑波山口間を買収
1991年(平成 3年)   地下鉄南北線駒込-四谷間開通、乗り入れ開始
1997年(平成 9年)   長野新幹線開業

妄想の年表の解説

2005-09-07 23:58:48 | 歴史
まず、現実の王子電軌を買収し新経営者(現経営者の先祖)が現実よりもより積極的に路線を拡大したことにしています。それから以前に述べた「妄想の手打ち」によって得た資金を元に、筑波までの路線、本庄-忍間の連絡線、都心地下線の建設と、既存線の改軌を実施しています。改軌が必要なのは、既存の総武/北総鉄道(野田線)や上信電鉄が狭軌な為で、東京市電への乗り入れよりも地方での省線との連絡(特に貨物輸送)を重視したという設定で理由付けはつくと思っています。それからかなり無理な設定ですが、経営者一族の親戚が上信電鉄の経営権を握っていて、東京王子鉄道が買収する以前に前橋までの路線と児玉までの連絡線を開通させていた、ということにしております。

妄想の年表

2005-09-07 00:05:43 | 歴史
1911年(明治44年)  大塚ー飛鳥山開業
1913年(大正2年)   飛鳥山下ー三ノ輪開業
1915年(大正4年)   王電買収
1917年(大正6年)   王子ー北志村開業
1918年(大正7年)   王子ー赤羽岩淵開業
1920年(大正9年)   王子ー動坂開業
1923年(大正12年)  北志村ー大宮開業
1926年(大正15年)  大宮ー忍城址開業、上信電鉄、本庄電軌買収
1927年(昭和2年)   野田町-柏買収
1929年(昭和4年)   全線改軌(1372mm→1067mm)王子ー野田町開業
1930年(昭和5年)   忍城址ー本庄開業
1932年(昭和7年)   野田町ー筑波開業
1933年(昭和8年)   動坂ー御徒町開業
1936年(昭和11年)  水戸電軌買収
1937年(昭和12年)  武州鉄道買収
1938年(昭和13年)  つくば北ー奥谷開業
1939年(昭和14年)  神根ー赤羽開業

水戸線 種別停車駅案内

2005-09-04 12:33:58 | ダイヤ・列車
やはり朝夕の特急の一部が松戸本町、野田市に停車します。

本線 種別停車駅案内

2005-09-04 12:31:12 | ダイヤ・列車
朝夕の特急の一部は新鴻巣、武州上尾にも停車します。

下手ですね

路線案内 軽井沢線

2005-09-03 03:52:42 | 路線案内
山名
西山名     本動堂
馬庭

(現実の上信電鉄線)

千平
新下仁田
小坂
坂詰
本宿
大栗
初鳥屋
南軽井沢
新軽井沢
中軽井沢(JR線乗り換え)


山名-本動堂-馬庭とが三角線になっていて、東京方面から軽井沢方面への列車は本動堂-馬庭と通り、高崎から軽井沢方面への列車は山名-西山名-馬庭と通ります。新下仁田駅は国道の下仁田交差点の近くで、千平からトンネルを掘り、従来の急カーブを避けています。そこから川沿いに走り、トンネルで日暮山を越えて県道43号線とゴルフ場に沿って北上します。南軽井沢駅は72ゴルフ場のクラブハウスの北側でゴルフ場と直結しています。新軽井沢駅はかつてはJR線の北側でしたが、今はプリンスショッピングプラザのところにありJR線とも連絡通路でつながっています。そこからJR線を一旦超え直ぐにJR線沿いに走り中軽井沢駅へ入っていきます。

運転パターン 水戸線

2005-09-03 03:24:21 | ダイヤ・列車
平日朝上りラッシュ時

特急    2  有楽町行1 新宿行1
快速    8  有楽町行6 新宿行2
通勤快速 4  有楽町行4 新宿行0
各停    8  有楽町行2 南北線直通6


平日日中

特急    2  有楽町行1 新宿行1
快速    6  有楽町行4 新宿行2
各停    6  有楽町行4 南北線直通2


もう少し多くてもいいかなあ(特に各停)とも思っています。快速中心のダイヤ、ということです。日中の快速の内訳は、

有楽町-水戸    1
有楽町-筑波山口 1
有楽町-北野田   2
新宿-水戸      1
新宿-筑波山口   1

水戸から東京方面は1時間に特急2、快速2。つくば北からは特急2、快速4、となり競争相手のJR特急や、高速バスとほぼ同程度の本数になるかと思います。(つくばエクスプレスは競争になりません)

上記以外に、水戸-北野田の各駅停車が1時間に1、水戸-新石岡がやはり1時間に1、を想定しています。

運転パターン 本線

2005-09-03 00:24:42 | ダイヤ・列車
平日朝上りラッシュ時

特急    4  有楽町行2 新宿行2
急行    8  有楽町行4 新宿行4
区間急行 4  有楽町行2 新宿行2
通勤急行 4  有楽町行0 新宿行4
各停    6  有楽町行3 新宿行3


平日日中

特急  3-4  有楽町行2 新宿行2
急行    8  有楽町行4 新宿行4
各停    6  有楽町行3 新宿行3


競争相手が東北線、高崎線、湘南ライン、埼京線、京浜東北線 ですから、厳しい戦いです。ラッシュ時も各停が少ないのは、板橋区内の数駅は平行して都営三田線が走っているからです。ですので輸送のターゲットは浦和から先の各駅と考えています。

路線案内 水戸線2

2005-09-02 06:15:33 | 路線案内
北野田
目吹
菅生
坂手
水海道 (常総線乗り換え)
東水海道
下河原崎
高野
つくば北 (筑波山口方面乗り換え)
南小田
大形
新治
下佐谷
千代田町
恋瀬橋
新石岡
石岡旭台
竹原
竹原下郷
堅倉
美野里病院前
小幡
奥谷
小鶴
常陸長岡
矢頭
吉沢
中吉沢
一里塚
古宿
蓮乗寺下
紺屋町
柵町
水戸 (JR線乗り換え)

この区間は全線交流電化されています。水海道駅の手前で常総線と合流し、水海道駅を過ぎると常総線は大きく左へカーブしますが、東京王子鉄道はそのまま直進しつくば北駅を目指します。つくば北駅は大穂支所の近く、西大通入口交差点の近くにあります。そこから筑波山系の南麓に沿って抜け、千代田町役場付近から国道6号線に沿って走ります。新石岡駅はJR駅よりの南西側にあります。引き続き国道6号線に沿って走りますが、途中から県道180号線に沿って走ります。これは旧水戸電軌の路線で駅間距離が短いのもその名残りです。水戸駅には東から回りこんでJR線の方向とは反対から水戸駅南口側にあるホームへ入っていきます。



水戸線の路線設定について

2005-09-02 03:30:30 | 路線案内
最初は水海道から常総線にのって下妻まで行き、そこから真西へ筑波山を目指すという線を考えていたのですが(下妻の人口も結構多いので)、買収する会社を増やさなければならないのと、もう少し直線で向かってもよいかと思い、下妻経由は断念しました。

一方、つくば北駅は、もう少し北にした方が筑波山へは直進になるのですが、水戸への延長を考えて、ぎりぎり筑波山系の南端を走って抜けられる場所にしました。これ以上北ですと、筑波山系をトンネルで抜けなければならなく、これ以上南だと逆につくば学園都市やつくばエクスプレスに影響を与えてしまい、それは避けたかったので、ある意味、ここしかない、ベストの位置かと思っています。

水戸駅については、水戸電軌は一つ手前の柵町までしか開業していなかったので、柵町から地下線を建設して、中心街である大工町まで乗り入れることも引き続き考えていて、まだ少し迷っていますが、やはり、現実世界では水戸駅の南側に用地も用意されていたということで、今のところその用地を利用していることにしています。


路線案内 本線3

2005-09-01 01:06:39 | 路線案内
大宮
北大宮
植竹
東宮原
さいたま水上公園
武州上尾
上尾久保
東桶川
南本宿
新北本
新鴻巣
宮地
川里
埼玉
さきたま風土記の丘
忍城址
行田中里
新熊谷
熊谷本石
原島
玉井
国済寺
深谷市役所前
本岡部

五十子
東本庄
七軒町
富田寺
蛭川
児玉八幡山
神川町 (八高線乗り換え)
藤岡
本動堂
山名  
高崎商大前
根小屋
南高崎
高崎 (JR線乗り換え)
高砂町
西問屋町
小八木
元総社
前橋本町

大宮から先一旦東武野田線に沿って走り北大宮を過ぎたところで東北線を超え、そこからほぼ国道17号線と高崎線に平行して走っていきます。新鴻巣を過ぎて右に大きく曲がり川里町の方へ行きます。新鴻巣駅の先に大きな車両基地があります。そこから古墳公園の間を県道に沿って走り水城公園の南西に忍城址駅があります。こちらの方が行田の旧市街には近いです。熊谷駅の向かいに新熊谷駅。そこからまた国道17号線と高崎線の間を走ります。東本庄駅はJR線の本庄駅の数百メートル北側、繁華街の中にあります。そこから直ぐに左に曲がってJR線を越えて児玉へ向かいます。この路線はかつての本庄電軌です。八幡山の交差点、八高線をくぐって直ぐのところに児玉八幡山駅があり、そこから急カーブで右に曲がります。神川町駅は八高線の丹荘駅、そのまま直進し、藤岡第一小の北側に藤岡駅があります。そのまま更に直進し、山名駅の直前で現実の上信電鉄に合流し高崎駅へ向かいます。また国道17号線に沿って走り前橋中心街の表町一丁目交差点の近くに終点前橋本町があります。