昭和30年代前半に各私鉄がそれぞれ都心乗り入れ計画を発表したが(例えば京成の押上-東京八重洲口間とか)、都心部分の建設は営団および都営地下鉄が担当するということで、それらの計画は実施されなかった。東京王子鉄道の御徒町から有楽町まで延長できた理由として(もちろん他社と違って御徒町ターミナル自体がかなり都心に食い込んでいて乗り入れという手段があまり有効でないという判断があった)、この区間は銀座線の別線(上野-新橋間)という位置付けにして営団が建設・保有したことにしている。実際には上野広小路-銀座間しか完成しなかったと。完成は都営浅草線への乗り入れ開始とほぼ同じ時期と妄想。
水戸線の交流電化は常磐線の電化より3年遅れたことにしている。技術移転をしてくれなかったと。
新宿線近代化は、上越新幹線開業(それまでは前橋までの特急で国鉄と競っていた)及び埼京線の開業に対抗し、かつ輸送力増強の切り札となるものであり、かつ飛鳥山や大塚駅の併用軌道を廃止する役目もあった。王子駅の近代化と伴っての大掛かりな設備投資はある意味ばくち的なものであったが、お金が底をついた東京王子鉄道はその後のバブル経済において土地などの投機に走ることが出来なかった(結果としてそれが良かったわけだが)。また高崎・前橋方面で時間的に勝ち目がない東京王子鉄道は軽井沢輸送を重視し、それがバブル経済と重なって高収益をもたらしたと妄想。
地下鉄南北線は現実には1991年に駒込-赤羽岩淵間が開業している。ここではその部分は東京王子鉄道として既に開業している妄想なので、同じ1991年にほぼ同じ距離の駒込-四谷間が現実よりも数年早く開業している妄想としている。