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格闘技バカ

格闘技バカが├─≠ョ─ヵラスをぶった切る!

ナイジェル・ウィルソン

2011-01-25 21:28:16 | 日記
1987年にトロント・ブルージェイズと契約。1993年の球団拡張ドラフトでフロリダ・マーリンズに指名され、同年にメジャー初昇格。その後、1995年にシンシナティ・レッズ、1996年にクリーブランド・インディアンスと渡り歩いた。 阪急で三冠王を獲得した代理人のブーマー・ウェルズの推薦により、1997年に日本ハムファイターズに入団し、来日。同年6月21日の対近鉄戦(大阪ドーム)で、王貞治以来の1試合4打席連続本塁打を達成。第1打席にシングルヒットを放っていたため、同時に1試合17塁打のパ・リーグ記録となった。この年は37本塁打で本塁打王に輝いた。 1998年はさらに日本野球に順応し、本塁打ばかり狙うのではなくチャンスでヒットを狙い打つ打撃も覚えた。ほぼ全試合に出場、33本塁打、124打点で本塁打・打点の2冠王を獲得。打数でもリーグ2位となると共に、ベストナインも受賞した。日本プロ野球の外国人選手としては史上初の「来日してから2年連続で本塁打王を獲得」となった。 1999年、膝の故障によりシーズン序盤にリタイア。たった6試合に出場しただけでシーズンを終える。解雇されてもおかしくなかったが、故障が癒えたと判断した球団側が残留させる。 2000年は前年の球団の温情に応え、自己最高打率の.294、更に37本塁打、89打点を記録。本塁打王は逃したがベストナインを受賞するなど、完全復活を遂げる。 しかし2001年はまたも怪我が重なり、5年間在籍したファイターズを退団。 2002年に長距離砲の補強を目指していた大阪近鉄バファローズからオファーを受けて入団。恐怖の7番打者としてスタートしたが活躍できず、同年に退団し、帰国した。 2003年、マイナー契約でニューヨーク・ヤンキースに入団するも、メジャー再昇格はできなかった。日本ハム入団当初、同時期入団のジェリー・ブルックスと風貌がお互いによく似ていると話題になり、「トムとジェリー」と呼ばれていた。さらに、丸みのある顔と体格から「プーさん」の愛称を持っていた。 その打撃スタイルはまさに「本塁打か三振か」というもので、破壊力は凄いが連続三振も多いという欠点があった。日本ハム時代のチームメイトの落合博満は「責任感が強く多少の怪我では試合を休まない選手」と評しているが、度重なる故障を克服することはできなかった。 打撃に関しては二冠王や2年連続の本塁打王を獲得する等リーグ屈指の強打者だったが、守備に関しては素人同然とも言われた。本人もそのことを分かっているのか(一説には、持病の膝の怪我の負担を避けるためウィルソンが守備練習を避けたと言われている)、来日した際に当時監督の上田利治が「お前は何処を守れる?」と尋ねたとき、ウィルソンは「DHだ」と答えたという。なお、「スカウティングレポート'99」では“肩を壊していてキャッチボールも満足にできず”と書かれていた。 数々のタイトルや記録を打ち立て、日本ハムではトニー・ソレイタ以来、最強外国人助っ人の一人として、同時期に活躍したシャーマン・オバンドーと共に恐れられていた。試合以外では、当時の人気女性お笑いコンビ・パイレーツの持ちネタである「だっちゅーの」をよくやっており、テレビの企画で書き初めに挑戦した際も「だっちゅーの」と書いている。

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