
「らも -中島らもとの35年-」中島美代子著 集英社 2007年
2004年7月に転落事故による脳挫傷で逝去した中島らもの妻による手記。出会った頃から現在までを振り返って、妻からの視点で「異才・中島らも」をうかがい知ることが出来る。らもはエッセイで周辺雑記をよく書いているため、それ以上の情報が果たして得られるのかどうか疑問を持ちつつ読んでいたが、若き日のらもや劇団で荒れる様子、家からの視点で見るらもの仕事への姿勢などなど、これまでの人物像をある意味覆す様子が赤裸々に描かれる。
ことわざに「従僕の目に英雄なし」とある。世間では英雄ともてはやされている人でも、家の内輪の者からする素行は決して英雄たるものではない、という意味だ。もちろん、一人の人間である以上、24時間全方向に「英雄」を演じてばかりはいられない。人間という動物としての営みや素に戻る場面もあるわけで、中島らもの「英雄」でない部分を見ていた妻から語られるというのは、ファンとしては嬉しい側面とそうでないところがある。「ヘロヘロだった中島らもが英雄か?」と思われるかもしれないが、ラリッてばっかりだったり、アル中だった、鬱や躁だったりする部分をひっくるめて、その生き方はファンからすると「英雄」だったのだ。
本人のエッセイから受ける印象と全く逆な事実のひとつに「わかぎえふ」についてがある。
「アタマがよくてしっかりしてるけどちょっとヌケてておもろいマネージャー」という印象でしかなかった「ふっこ」だが、妻から語られるのは「中島らもの威を借りて、最大限利用し、自分をどんどん世間に売り込んでゆく」功名心に囚われた姿である。
もちろん、妻からの嫉妬心や諸々の感情はあるだろう。妻自身も精神的に不安定で、周囲にも「家に帰すとらもにとってよくない」と思われていた時期もあったらしい(らもがブロン中毒だったのは知っていたが、妻まで中毒だったとは・・・)。そういった点を差し引いても、計算高いわかぎえふとの関係にらもは相当悩んでいたようだ。らもの二番煎じの感が否めないわかぎえふの最近のエッセイを読む限りでは、下駄を履かせられていた才能も枯渇し、威光も尽きてくるころ、彼女も淘汰されていく時期も遠くない気がする。
らもは、「人生のうち1%でもいいことがあれば、のこりの99パーセントはクソでもいい」と語っていた。らもは若い頃からある意味人生を投げていたフシがある。もちろん、仕事や演劇に情熱を傾け、世間に出て行こうと必死だった頃もある。けれどもそれはらもの生涯でほんの一瞬だけで、あとの残りは人生から逃避し続けていたのではないか。何から逃げていたのかはわからないが、生きることそのものが、頭が良いが感受性が人一倍強いらもにとって苦痛を強いることだったのではないかと思った。
2004年7月に転落事故による脳挫傷で逝去した中島らもの妻による手記。出会った頃から現在までを振り返って、妻からの視点で「異才・中島らも」をうかがい知ることが出来る。らもはエッセイで周辺雑記をよく書いているため、それ以上の情報が果たして得られるのかどうか疑問を持ちつつ読んでいたが、若き日のらもや劇団で荒れる様子、家からの視点で見るらもの仕事への姿勢などなど、これまでの人物像をある意味覆す様子が赤裸々に描かれる。
ことわざに「従僕の目に英雄なし」とある。世間では英雄ともてはやされている人でも、家の内輪の者からする素行は決して英雄たるものではない、という意味だ。もちろん、一人の人間である以上、24時間全方向に「英雄」を演じてばかりはいられない。人間という動物としての営みや素に戻る場面もあるわけで、中島らもの「英雄」でない部分を見ていた妻から語られるというのは、ファンとしては嬉しい側面とそうでないところがある。「ヘロヘロだった中島らもが英雄か?」と思われるかもしれないが、ラリッてばっかりだったり、アル中だった、鬱や躁だったりする部分をひっくるめて、その生き方はファンからすると「英雄」だったのだ。
本人のエッセイから受ける印象と全く逆な事実のひとつに「わかぎえふ」についてがある。
「アタマがよくてしっかりしてるけどちょっとヌケてておもろいマネージャー」という印象でしかなかった「ふっこ」だが、妻から語られるのは「中島らもの威を借りて、最大限利用し、自分をどんどん世間に売り込んでゆく」功名心に囚われた姿である。
もちろん、妻からの嫉妬心や諸々の感情はあるだろう。妻自身も精神的に不安定で、周囲にも「家に帰すとらもにとってよくない」と思われていた時期もあったらしい(らもがブロン中毒だったのは知っていたが、妻まで中毒だったとは・・・)。そういった点を差し引いても、計算高いわかぎえふとの関係にらもは相当悩んでいたようだ。らもの二番煎じの感が否めないわかぎえふの最近のエッセイを読む限りでは、下駄を履かせられていた才能も枯渇し、威光も尽きてくるころ、彼女も淘汰されていく時期も遠くない気がする。
らもは、「人生のうち1%でもいいことがあれば、のこりの99パーセントはクソでもいい」と語っていた。らもは若い頃からある意味人生を投げていたフシがある。もちろん、仕事や演劇に情熱を傾け、世間に出て行こうと必死だった頃もある。けれどもそれはらもの生涯でほんの一瞬だけで、あとの残りは人生から逃避し続けていたのではないか。何から逃げていたのかはわからないが、生きることそのものが、頭が良いが感受性が人一倍強いらもにとって苦痛を強いることだったのではないかと思った。
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