ピーカンもよう

あせらず くさらず

事故 -イジメ-

2008年10月31日 | 事故 -忘れないために-
M先生から何か言われた副校長先生は holly の方に向き直り
「今のはもうひとりの生徒じゃった。君は無期停学だ。」
と言い直された。
平然と。

これって一体何なん?
ワザと?
考えている間もなく副校長先生は続けられた。

「君はイジメをしておもしろいか?」

イジメ?

私の思考回路は、もはや故障寸前だった。

「はい。」
「中学校の時からイジメとったんか?」
「はい。」
「悲しい事よのぉ?」
「はい。」
「N君は君に言われたから服を脱いだと言っとる。君を相当恐れとる。」
「はい。」

何を言われても 「はい。」 としか言わない holly。
その後も副校長先生の話は続いたけど
もう私の耳には副校長先生の声は入ってこなかった。
とにかく最後まで 「はい。」 としか言わない holly の声だけが聞こえていた。

あれは “イジメ” だった?
熱湯を張ったのはN君自身だったのに?
もしかしたら立場は逆になってたかもしれないのに?
しかも holly がずっとイジメてた?
何で holly は 「はい。」 しか言わんの?

半分放心状態のまま別室に戻り
S君の言い渡しが済むのを待たされた。

S君母子の言い渡しが済み、一緒にM先生が私達の待っていた別室に入って来られた。

「お前らのぉ、ほんまにとんでもないことしたんで!
 今回の処分は殆どの先生が “厳罰” にするべきじゃいう事に賛成して手を上げた。
 ワシも手を上げた。厳罰じゃ言うて手を上げた。
 ワシが親じゃったら、お前ら絶対に許さんけぇの!」
この先生は本当に普通じゃないと思った。
しかも、殆どの先生が “厳罰” に賛成?
もし、全ての状況を知っていてその結果なら
この学校の先生達もみんなおかしいと思った。

けれど担任の先生が 「自分が何とか立ち直らせるから厳罰にはしないで欲しい」
と言ってくださり今回の処分が決定したらしい。

M先生と入れ替わりで担任の先生が来られた。
「処分の内容は分かっとるの?
 holly 、お前は中学からの流れがあるんじゃけぇ特に気を付けるように。」

この晩、その事を家で話すと holly の妹で中3のウサギが言った。
「その先生が holly の中学時代の何を知っとるん?!」


その日、 holly に聞いたのはもちろん “イジメ” の事。

「N君の事、イジメとったん?」
「そりゃぁ、他のヤツらがかまっとる時に一緒になってかまった事はあるよ。
 でもちょっとだけで、他のヤツらと比べたら全然よ。
 でもそれをNが “イジメ” じゃ言うたらそれはもう “イジメ” なんよ。
 けど、怖がっとる言われるのは理由がわからん。
 オレはそんとに怖がられるような事は何もしとらん。
 中学校の時にNをロッカーに入れた事があるか?いうて担任の先生に聞かれたけど
 オレ、Nを入れた事は記憶にないんよ。
 3年の時にロッカーに入れるのが流行ってその時に入れたヤツは覚えとるけど
 Nと一緒のクラスじゃったのは2年の時じゃけぇね。
 でも、Nが “入れられた” 言うんならそれでええよ。」

他の子に蹴られたボールが顔面に当たって鼻血を出し
トイレに居たN君に 「保健室に行くか?」 と声を掛けてやったこともある
と holly は言う。

けど、N君が “イジメ” だと言えば
それは全て “イジメ” になるのだという事を holly は知っていた。
そういう認識が無かったのは私。
N君が holly にイジメられていたという事はもう否定できないんだと納得するしかなかった。

「 “イジメはおもしろいか?” って聞かれて “はい” って答えたのは何で?」
「かまったことがイジメじゃろ?
 で、そのかまっとる時にコッチは笑っとるんじゃけぇ
 それは “おもしろい” いぅ事になるじゃろ。」
確かにその通りだ。
直球しか投げられない holly の正しい(?)判断だった。

「でも、今回の事を “イジメ” じゃ言われて悔しくないん?」
「オレは何言われてもええんよ。
 イジメじゃ言われたら全部イジメになるんじゃけぇ、それでかまわん。
 そんな事よりOがM(先生)に言われた事の方が腹立つんよ!」

事故 -言い渡し-

2008年10月30日 | 事故 -忘れないために-
謝罪が済んで私達3人の母親はその部屋に残された。

担任の先生からN君の治療費について話があった。
学校で入っている保険は使えないかもしれないから
その場合は実費で私達に負担して欲しいとの事だった。

そして 『言い渡し』 をするのでまずOさんから残ってください と。
処分の言い渡しだ。

私とS君のお母さんは最初に待たされていた部屋に戻った。
子供達もそこで待たされていた。
私はそこでゆっくりSさんと話をした。
SさんはN君がひとりで熱湯を張ったという状況を知らなかった。
けど、S君が背中を押してしまった為にこんな事になり申し訳ないと言われた。

O君の言い渡しが済んで次に holly と私が副校長室に呼ばれた。

副校長室では副校長先生の前に holly
副校長先生の隣の担任の先生の前に私
という形で座らされた。
そして holly と副校長先生の間で全体が見える位置に
生徒指導のM先生が座られていた。

まずM先生が holly の書いた “状況説明” の文章を読み上げられた。

この文章は事故が起きた日に生徒3人が書かされたもので
“誰が何をしたか” という単純な事実に食い違いが無いかどうか
を知るくらいにしか使い道は無いものだと私は思っている。
何故なら
その場の短い時間で書かされた文章に
その前後の流れや詳しい様子など書けるはずがないのだから。
一般に “調書” というものは本人と会話をし
喋っている言葉を他の人が書き取る。
話せば出て来る事実の方が多いのは当たり前なのだから。

けど、M先生は 「これが事実だ!」 と言わんばかりに
「“お風呂に熱湯が張られていたのでN君に掛けてやろうと思い服を脱がせました”
 間違いないか?」
と威圧的な口調で holly に投げ掛けられた。

え?
読むのはそこだけ?
意図的に?
やっぱり こういう人なんだね。
私は自分の脈が少し速くなっているのを感じた。

holly は 「はい。」 と答えた。

続いて副校長先生。

「処分を言い渡す。
 君は 『退学保留』 だ。
 退学保留というのは今度何かあったら “即退学してもらう” というものだ。
 君のやった行為は許しがたい行為だ。」
副校長先生は強い口調で話された。

私は
また え? と思った。

そして、やめさせようと思った。

「こんな学校、 
 『保留』 になんかして頂かなくてもこっちから退学させます。」

と言おうと思ったその時、
M先生が副校長先生に顔を近づけ、何かひと言だけコソっと耳打ちした。
「話す」 と表現するにはあまりにも短い
笛がピッと鳴るくらいの短い一瞬の耳打ちだった。

事故 -涙-

2008年10月29日 | 事故 -忘れないために-
N君のお父さんに続いてお母さんが話を始めた。
お母さんもとてもおとなしい人で
子供同士が同級生で保育園からずっと同じところに通っているのに
挨拶くらいしかしたことがない。
彼女がこんなに喋るのを初めて聞いた。

N君のお母さんはN君の火傷の具合を細かく説明してくれた。
病院で 「1度から2度(熱傷の度数)」 と言われ
2度で出来る水泡は顔に1箇所と手に1箇所あっただけだったが
翌日、家に帰った晩に右腕の皮がズルッと剥けた事。
「分からずに熱湯を張ったのは悪かったけど」
今は最初より傷の状態が悪くて毎日病院に行かなくてはいけない事。
N君がクラブ活動でやっている競技の県大会が始まるのに
出られるかどうか分からない状態だと。
「この子がかわいそうで ・・・ 」
と泣かれた。

N君のお父さんは
途中で何度か話に割って入り、お母さんの話をさえぎった。
が、お母さんはめげずに話し続けた。
お父さんとしては補足のつもりのだったのかもしれないけど
母親としての気持ちをちゃんと話させてあげればいいのにと思った。


N君の両親が話をしている途中で校長先生が来られた。
話を中断させる事はなく黙って隅に立たれた。
忙しかったのか急いで来られた様子だった。


話の終わり近くにN君のお父さんはN君のクラブの事で
「これ(その競技で使う道具)は銃と一緒です。
 学校では先生が鍵を持っておられますが
 保管上の責任もあるので今日、家に持って帰ります。」
と言った。

N君は終始無言でひと言も発する事はなく、
その視線も何を見るではなく誰と目を合わせるでもなくという感じだった。


釈然としないものが残った。
「分からずに熱湯を張った」 とN君のお母さんが言ったひと言。
そして銃と同じような危険な道具をわざわざ家に持ち帰ると言った父親。

最後に校長先生が挨拶をされて謝罪は終わった。

事故 -謝罪-

2008年10月28日 | 事故 -忘れないために-
私達、3組の親子は案内された別室で待たされていた。
最初は離れて立っていたけど
途中から同じ机を挟んで座ったS君のお母さんと
O君のお母さん、私の3人は
ひと通りの事を話し終えて
「遅いね。」
「Nさんを待たせないように時間差を付けて呼ばれてるんかね?」
「にしてもちょっと待たせ過ぎじゃね。」
と、いつまでたっても開かないドアの方を見ていた。

担任の先生が私達3組の親子を呼びに来てくださった時は
既に1時40分を過ぎていた。

案内されて入った副校長室では
ソファの前にN君のお母さん、N君、お父さんが並んで立っていた。
その奥に生徒指導のM先生、
私達6人はNさんの正面に立ち
副校長先生と担任の先生は私達の後ろの隅っこの方に立たれた。

N君は包帯を巻いた右腕の制服の袖を10センチ位まくり
左腕でその包帯が出ている部分を押さえていた。

「では、ひとりずつ謝罪を」
とM先生に言われ
端っこに立っていた holly から生徒3人、母親3人の順で
N君と両親に謝罪の言葉を言った。

その後、N君のお父さんが口を開いた。
N君のお父さんは、N君がとてもおとなしくて他人から言われた事には何でも 「はい」 と従うような子供だという事から話し始めた。

そして
「今回の事は “ふざけ合っていてこうなった” とこの子は思い込んでいる。
 そういう子なんです。」
「この子は決して恨みつらみを口にする子じゃありません。」
「私はこの子の言う事を70%信じることにしている。」
「場合によっては出るところに出てもいいが、今は(そうしなくても)いい。」
「今回の事で君達(holly 達)がどれだけ周りの人に迷惑を掛けたかを分かってくれたらいい。」
「これからも普通にクラスメイトとして付き合って欲しい。」
「おとなしい子が逆上して事件を起こすというような事があるが
 そうならないように私達も気を付けるから君達も二度とこういう事をしないように。」
「まだ高校生の君達に厳罰は望んでいない。」
というような事を何度か繰り返しながら続けて話した。

怒りをあらわにしている訳ではない。
話し方は淡々としているけど
抑えているものがあるのは感じられた。

事故 -母親同士の対面-

2008年10月27日 | 事故 -忘れないために-
謝罪の日
学校に着いたのは12時50分頃だった。
今回 holly と同じ立場に立たされているO君とS君のお母さんは先に来られていた。

私達は先に待っていた子供達と一緒に別室に案内され
そこで待つように言われた。

S君のお母さんとは初対面だった。
今回、「(熱湯に)触ってみいや」と言っただけのO君のお母さんとは
面識はあったけど特に親しく話をした事はなかったと思う。
N君の背中を押してしまったのはS君で
S君のお母さんは私達とは少し距離を置いて立っていた。

私はO君のお母さんと並んで座り
お互いに自分の子供から聞いた話や
火傷をしたN君の事
学校からどういう対応をされたかなど
少しではあるけど情報交換をした。

実は、N君は我が家と同じ団地に住む子で
保育園・小学校・中学校と
holly とはずっと同じところに通っていた。
とてもおとなしい無口な子で
holly の同級生ならほとんど分かる私でも
N君の声を聞いた事は無いんじゃないかと思う。

O君のお母さんが一番気にしていたのは
“N君の親がどういう人か” という事だった。
「処分はNさん次第」 と言われたのだから気になるのは当たり前だと思ったけど
私もNさん夫婦の顔は知っているものの
個人的に話をしたことがある訳でもなく
お母さんはとてもおとなしくて
学校行事には殆どお父さんが参加されていて
N君はあまりにも無口で、子供達に言わせれば “変わった子”
というくらいの事しか言えなかった。

スーパーなどで会っても
まず、その大きな目でギョロっと上目遣いにコッチを見てすぐに目をそらす
その後は何を見ているのか分からない
N君はいつもそんな感じだった。

O君のお母さんは
「お前が他のヤツらに目くばせしたんじゃないんか?!
 “クラブで先輩にやられた事と同じことをしちゃろう” 
 と思うて威圧的な態度を取ったんじゃんじゃないんか?!」
とM先生から言われ
O君が胃痛で2日間ご飯も食べられなかった事を話してくれた。

「何なん?! それって。先生がそんな事言うワケ?」
「そうなんよ。一応、担任の先生には話したんじゃけどね。」
話したからと言ってどうにもならないことは
O君のお母さんも充分、承知の上だった。

お互い謹慎中だった holly も
O君がM先生からそんなことを言われていたとは知らず
家に帰ってから私が話すと
「くそMがぁ!! ほんま腹立つ!!」
と、M先生のコトバに怒りまくっていた。

事故 -謹慎-

2008年10月26日 | 事故 -忘れないために-
それからしばらく自宅待機の日が続いた。
とは言っても試験が始まったため
holly 達は試験だけは受けに学校へ行き
それ以外は処分が決まるまで自宅謹慎 という形。

私はM先生が holly に言ったコトバ
そして
まるでチンピラのようなその言い方に
腹が立って仕方なかった。

「この事は、いつか絶対に(学校に)言うよ。」
と私が言うと holly がボソッと言った。
「何で “今” 言わんの?」
「今は 『加害者』 の立場じゃけぇ、何にも言えんのよ。」


N君の様子はなかなか分からなかったけど
ひと晩入院して翌日には自宅に帰ったとのこと。
担任の先生からは
「学校側が謝罪の場を設けるのでそれまではN君側に何もしないでください。」
と言われた。
処分の内容についても 「Nさん(N君の親)次第」 という事だった。

それ以外
学校側とは何も話していない。
holly 達が 『加害者』 の立場である事だけは明確だけど
何故こんな事になったのか
今回の事故が何故起きたのか
知りたい事はたくさんあったけど
学校とNさんの動きは全く見えないままだった。

そして数日後の夕方
外出先から帰るとテーブルの上に
“10月17日午後1時に謝罪の席が設けられます
 お父さんでもお母さんでもいいので来てください” というメモが置いてあった。
holly の字だった。
先生からの伝言をそのまま書いていた。

事故 -M先生-

2008年10月25日 | 事故 -忘れないために-
holly 達が風呂場に入ると
N君は湯船のカバチに腰を掛けてお湯を止めているところだった。

「何しよぅるんや?! お前、これ熱いで!! ちょっと掛けてみちゃるけぇ服脱いでみ?」

holly が言った。
湯船には熱湯が張られていた。

他の生徒も 「うわっ!何やコレ?熱いで!!」
とちょっとした騒ぎになった。

holly から 「服脱いでみ?」 と言われたN君は
そのまま素っ裸になり
「触ってみぃや」と言う他の生徒の声に促されて湯船に手をつけた。

その時

もぅ一人の生徒がN君の背中をドン!と押してしまい
N君は熱湯が張られた湯船の中に落ちた。


コレが今回、私がholly から聞いた “事故” のあらまし。

holly 達3人は前の晩に熱湯を洗面器に入れて “熱湯掛け合い” をして遊んでいた事もあり
その熱湯=火傷
といぅ意識は無かったようで
事の重大さに気付くのに少し時間が掛かったようだった。



翌日は自宅待機。
午前中に学校から電話が掛かっていたようだけど
子供部屋に電話はない。
昼前の電話で先生と話した holly はすぐに学校に来るように言われた。

holly が学校に着いたのは2時半頃。
「お前、朝おらんかったのぉ? どっか遊びに行っとったんじゃないんか?!」
「いえ、家に居ました。」
「家で何しよったんや!」
「寝てました。」
「お前のぉ、Nがウンウン唸って一晩中寝れん時にお前は寝とったんか!よぅ寝れたのぉ?!」
「 ・・ あぁ ・・ はい ・・ 」

コレが先生? と私は思った。
まず聞けよ と。
「お前はグッスリ寝れたのか?」 とか何とか。
それで holly が 「はい。」 と答えたのなら
「お前、それはおかしいで。」

そういう言い方は出来ないものなのか
そういう教育は出来ないものなのかと。

けど、これがM先生だった。

この事は
後でもっと思い知らされる事になった。

事故 -起ー

2008年10月24日 | 事故 -忘れないために-
先週の金曜日
学校からholly に 『無期停学』 を言い渡された日から今日まで
何をしていても半分うわの空の自分がいた。



「今日、入浴中に生徒が熱湯風呂に落ちて火傷をするという事故がありました。
 holly 君も関わっているので今日は帰らせます。迎えに来てください。」

事の起こりは10月9日の夜。
10時半頃 holly が通っている学校の生徒指導のM先生からの電話だった。
二泊三日で宿泊学習に参加している最中の、二泊目の夜の事。

詳しい事情もわからぬまま車で約20分。
holly が何かした?
え? holly が?
そぅでない事を祈りつつ学校に着いた。

職員室に行くと電話をくださった生徒指導のM先生が
「今日、入浴の時間に一人の生徒が間違って風呂に熱湯を張ってしまって
 holly 君は “何しようるんや。ちょっと掛けちゃるけぇ服脱げや” 言うて
 手でそのお湯をすくって、こぅ・・ピチャッと掛けようとしたらしいんです。」

先生はその時の holly の様子を身振りを付けながら説明を続けた。

「その時、他の生徒がそのお湯を張った生徒の背中をドンと押してしまって、
 その生徒は熱湯に落ちて 今、病院に行ってます。
 holly 君はそのお湯を自分の手ですくおうと思ったくらいですから
 悪気は無かったと思うんですけど。」

火傷。

ヘタをすれば命にもかかわる。
一瞬クラッとしたけど

「分かりました。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。」

頭を下げながらも
正直、その生徒の背中を押したのが holly じゃないことに
ほんの少しだけホッとしながら家に連れ帰った。

帰りの車の中で holly は今回の “事故” の事について話してくれた。

「俺等(3人)が風呂に入ろうとしたらN(火傷をした生徒)が「入る」言ぅてきたけぇ
 “じゃぁお湯を張っといて” 言ぅて俺等は一旦部屋に帰ったんよ。
 そろそろお湯が張れたか思ぅて風呂に行ってみたら
 脱衣場が湯気でいっぱいになっとって
 “どしたんやコレ?!” いぅて風呂場に入ったら湯船も見えんくらい湯気がいっぱいじゃったんよ。」


これが始まり。
≪起承転結≫ の ≪起≫ だった。

言っちまった

2008年10月23日 | かわずの部屋(元事務員のつぶやき)
今回の “かわず部屋” のお勉強会は
振込み手続きを専用の機械で会社からする方法と
給料計算の方法だけを教えるつもりで
上手くいけば半日かな?
なんて甘ぁ~い考えで行ったんだけど
ナゼかはかどらない。

結局2日かかりました。 (_ _;)

でもまぁ仕方ないよね。
相手は経理初心者なんだもん。

「 “未払金” を立てるってどぅいぅイミですか?」
なんて聞かれたって
怒らない怒らない。
優しく丁寧に教えて差し上げましたわよ。 (⌒o⌒;)

「この表、理解できないんですけど」
って言われても
ぜ~んぜん平気。
「はいはい、コレはね ・・・ 」
って、私ったら先生に向いてるかも~ なんて思っちゃったりして。 ヾ(≧▽≦)ノ"ギャハハ!!

そぅこぅしているうちに
やっと辿り着いた “振込み手続き”

「こぅやってこぅやって ・・・ 
 この会社からは振込み手数料を引いているから自動的にこの金額になります。
 こっちは当社の負担ですからこーなって ・・・ 」
「振込み手数料って負担してもらうのと負担するのがあるんですか?」
「そぅですよ。普通の取引先には負担してもらいます。
 相手が集金に来なくていいわけですからその手間賃みたいなもんですかね?
 家賃とか税理士さんとかへの支払いの時はウチが負担します。」
「難しいなぁ ・・・ 」

難しい?
これは 『持参債務』 と 『取立債務』 の違い。
けどね、そぅは言わない。
言えないわぁ~ (^。^;)

だから分かりやすく言ってあげたの。
こっちから払いに行くべきお金なのか
向こうから集金に来るべきお金なのか
の違いだっていぅイミのこと。
最近はこぅいぅ事があんまり通じない会社も多いみたいだけどね。

けど
まだまだ 「???」 が消えないバブちん
「これって、その、どぅやって分けるんですか?
 これどっちかな?って分かりますか?
 分ける基準みたいな。」

悩んだ。
私も悩んだ。
言うべきか
言わざるべきか

でも
言っちまったよ。

「 “一般的に” です。」
「あぁ ・・・ はは ・・・ 」

きゃ~~~~っ!!!
一般的じゃない人に言っちまったぁ~ (≧∇≦)

けど、この人には払いに行くのか
それとも集金に来てもらうのかを
どーやって判断するのかって聞かれてもねぇ

その辺は
これまでの長い人生で学んでおいて欲しかったわ。

やっぱ私、先生にはなれんっぽいね。 (⌒o⌒;)

勉強

2008年10月22日 | かわずの部屋(元事務員のつぶやき)
久しぶりに “かわずルーム” 指導員(?)のお勤め。
ほんま、いつまで続くんじゃろかねぇ? (⌒o⌒;)

「だいぶ慣れられましたか?」
「いやぁモタモタするばっかりで」
とは、言わずと知れたバブさん。

ズバリ!! なだけに返事に困る。 (≧∇≦)

前回行ってから約2週間。
あの時、SゼイリシさんとこのAさんが来られた。
まだ若い男性。
Sゼイリシが以前勤めていた税理士事務所で一緒に仕事をしていた人なんだって。
そのAさんが
どうやら新しくこの “かわずルーム” の担当に大抜擢されちゃったらしくてね。
大将はソッポ向いちゃったかな?
タダの憶測ですが。 (^。^;)

そのAさん、
これから会計ソフトを使う仕事は全部やってくださるって事で
「2日もあればコノ月の試算表は出来る」
って言われてたのに
あれから2週間たってもまだ試算表が届いてない
ってバブが言うの。

「何か足りないもの(資料)があるんですかね?」
「足りなきゃ向こうからおっしゃるんじゃないですか?」
「聞いてみた方がいいですかね?」

そりゃ聞くべきでしょ?
私に言われても困る。

しばらくしてお出掛けだったタヌじいが帰って来た。

「試算表がまだ届かないんだよ。」
「そうらしいですね?」
「聞いてみた方がいいのかね?」

そりゃ聞くべきでしょ?
私に言われても ・・・ 

って
何なんですか?
この親子さん。 § ̄▽ ̄∥§

「じゃぁ電話してみよう」
と言ってタヌじいがAさんに電話をして
途中で私にバトンタッチされた。

「実はですね、先日持って帰ったデータなんですが
 バージョンが違っててウチのパソコンで開けなかったんですよ。
 書類をFAXででも送ってもらえますか?」

は?
もう2週間も経ってるんっすけど。
今さら? っすか?

あのぉ ・・・
使えますか?
このAさん。

いやぁ ・・・
これだからココの担当になったんかなぁ

何かピッタリ
って言ゃあピッタリ
って気もせんことはないけど

ふぅ~ん ・・・
世の中色んな人がいるもんだねぇ ・・・

勉強になりましたわ。
ハイ。 ( ̄▼ ̄*)

ケンカ

2008年10月21日 | 新聞配達
ケンカを売られたので
買ってやった。

年甲斐もなく?

いや 。。。

買わなきゃ
バイクが壊れる。

って
相手は???

バイク。

だってね~
荷台の新聞を前カゴに移してる時
いきなり倒れるんだもん
バイクが。
思わずヒザが出て
たくましい太腿で支えようとしたものの

コレだよ。

あ~ぁ ・・・ (/。\)イャン


(ちょいと見苦しい画像ではありますがお許しくださいませ ・・・ (≧∇≦))

おみこし

2008年10月20日 | エトセトラ
スーパーの駐車場に来た “子供おみこし”

ちーっちゃいの
しかも手作り ^^


(撮影 O女史)

ウチは新興団地にあるから
神社がないの

近くの大きな神社では
氏子じゃなくても申し込めばおみこしを担がせてくれるらしいけど
手続きやら制約やら
何かと大変だって聞いた

ので

我が子は
おみこしを担いだ経験がナイ

法被も運動会の踊り用に自分達で作った
紙の法被しか着たことナイの

ウチの団地で秋祭りと言えば
秋の “公民館祭り” くらい?

ちょっと
残念 ( _ _)


そぅ言えば
お祭りに付きものの “鬼”
怖~いお面を付けて棒を持って子供をコツン!て叩くんだけど
叩かれた子は元気になるとか

地方によって色々かもしれないけど

ここら辺の地元の大きなお祭りに出て来る鬼は 『ハナ』 って呼ばれてる
フラワーの花の発音じゃなくて
『ハ』 の方が高い音で 『ナ』 は下げる

この 『ハナ』
地元の男衆が化けるんだけど
何を思ったか
今年はボッコンバッコン!!! 容赦ない

あまりにもヒドイ叩き方をしてたもんだから
叩かれた子の親が警察に通報
それを見ていたテキヤの兄ちゃんも怒って鬼と乱闘騒ぎ

とまぁ
大変だったらしいわ

なぁ~んかねぇ
そぅいぅ時代なんかね?

これはこれで
また残念だけど

今日は10月19日

2008年10月19日 | エトセトラ
花屋で一緒のO女史が押し寿司を持って来てくれたから
ん~っ ・・・ お昼ごはん
あとは焼きそばくらいでいいかな?
って買った焼きそば。



加工年月日が10月20日????

“明日” 加工してどぅすんねんっ!!!
そんときゃ既にあたしの腹ん中じゃいっ!!!

ついでにもぅいっちょ



ピースサインのアンスリウム。
「まぁまぁ、そぅ言わんと。」
ってあたしをなだめてくれた。

世の中
うまくできとるわ。 (⌒o⌒;)

2008年10月19日 | 豆の部屋(四苦八苦の親子劇場)
エ~ 。。。

ブログをお休みしている間に
まぁいろんな事がありまして

何があったかは
またその内書ける日も来るかと

とか言いながら
ちゃっかりタイトルだけは決めてある

『恐るべき母性』

って大袈裟?
やっぱ変えよっかな ・・・ 

けど実感

子供のことで悩むっていぅか
考えてる時って
何にも手に付かないし
得意の切り替えも利かない

そんな状態だから
何をやっても
誰と居ても
トラブル連発

不器用なんかもしれんけどね

けど
やっぱ母じゃけ
子供の事になると必死よ

みんな一緒よね

とりあえず
今は気分転換が必要だから
花にでも癒されてきましょ

。。。

2008年10月18日 | エトセトラ
久々のPCタイム

仕事の事
子供&学校の事
ほんでもって
突然降ってきた思わぬ出来事

何か
イロイロ考えてる時って無口にもなるけど
文字も打てん

頭の中 『洗濯機』 状態

ガァ~~~~~っ!!!!!!!!! 
て叫びたいくらい


やだねぇ
考えもまとまらん

こりゃ
相当いっとるわ