ピーカンもよう

あせらず くさらず

最後の 。。

2008年12月31日 | エトセトラ
ったって 『今年最後の』 なんだけど
ご挨拶が出来なかったらいけないので



みなさま
今年も何かとお騒がせの1年でしたが
来年も更にパワーアップで行きたいと思っております

めげません

なので覚悟しといてください (⌒o⌒;)



今日まで私を支えてきてくれた
全てのみなさまに心から感謝しています

どぅか
みなさまにとって
良い新年でありますように



もちろん、私にとってもネ♪ (≧∇≦)

えーっと

2008年12月29日 | エトセトラ
えーっと 。。

昨夜と今夜
忘年会

31日の最後の最後までお仕事休みナシで
お正月の朝に締めくくり

ドコまで体力が持つか分からんけど

ま、行くトコまで行ってみましょかね (≧∇≦)

とりあえず
今はまだ大丈夫っぽいんで



ぁ 。。
年賀状、いつ作ろ 。。 ?

苦悩

2008年12月28日 | エトセトラ
悩んで


悩んで


悩んで


悩んで





一昨日


ついに


買ったの



年賀状100枚



で ・・・ この袋から出せるのはいつ?




また悩まんといけんゎ 。。 (┰_┰)




別れ

2008年12月27日 | 豆の部屋(四苦八苦の親子劇場)
普通だったらね
県外の大学に行ってる訳だから
年に何回か帰って来ればいい方なんだろうけど
「遠距離恋愛だからデートの時はお互いの中間地点のウチで会う」
ってしょっちゅう帰って来てたキト

イットンと 「別れた」 って電話があったのは
もぅ何週間か前

自分の事じゃなくて
たかが息子の恋愛だからね

なるようになるゎ
って思いながらも
親バカよ
いつも 「アキちゃん、アキちゃん」 って言いながら
キトにべ~ったりくっついてたイットンの事が気になる

あれ以来 初めて帰って来たキトに
「イットンどぅしよぅるかね?」 
って言うと
「お互い納得して別れたけぇね
 大丈夫 連絡は取りよぅるよ。」
ってキト

色々あるさ
人生なんてね

けど
歩いてきた道を
ちゃんと自分の道として大切に思って欲しい
結局 途切れてしまった道だとしても
ここまで続いてきた道があるから
今があるって事を
大切に
忘れないでいられる人であって欲しい

そぅ思ってた

もし
「もう関係ないよ」
なんて言われてたら
私の方が悲しくて泣いてたかもしれない

ちょっと違う意味でね
バカみたいだけど

私が感情移入してるのは
キトじゃなくて
イットンの方なんだよね

どっちの親? って感じ

「せめてクリスマスは一緒が良かったんじゃないん?」
「12月に入ってから別れるヤツ、めちゃ多いんよ」
「なんで?」
「12月はみんな忙しいけぇねぇ
 会っとる時間もなくなってギクシャクしてくるんじゃない?」

ふぅ~ん そんなもんか ・・・

そこでウサギも
「そぅなんよね」 と相槌

って、中学生もかいっ?!

ま、いいけど

昨日の続き

2008年12月26日 | 豆の部屋(四苦八苦の親子劇場)
「まゆ(ウサギの友達)んちにはサンタが来たんと
 ウチには何で来んかったん?」

「あはは~ ごめんごめん
 ちょっと値段を間違えとってねぇ
 も1回 “とーさん” に言ぅとってあげるゎ」

「私はね、サンタさんにもらいたかったんよ
 朝起きた時に枕元にプレゼントがあったら
 “やった~♪” って 嬉しいじゃんっ?!」

「あぁそっか 。。
 じゃぁ 。。 
 来年のクリスマスまで待ちんさい
 今年はもう無理じゃけぇね」

「えぇ~っ!!
 いやぁ 遅れて来るサンタさんもおるかも知れん
 遅れて来てもええんよ」

「アンタの都合でサンタは動かんわ」

「いやいや、いつでも全然OKじゃけぇ
 来てくれたらええんじゃけぇ」

「そぉ?
 じゃ 言ぅてみるわ」

ウチのサンタ
年内に来るかなぁ 。。 
今、一番忙しい時じゃけぇねぇ 。。 (⌒o⌒;)

サンタさぁ~ん

2008年12月25日 | 豆の部屋(四苦八苦の親子劇場)
私の携帯に挟んであった手紙



そのまま caz の携帯に挟んでおいた (⌒o⌒;)

しばらくして
「TOMMYのカバンいぅて高いんじゃろ?」
と caz が聞いてきた

「多分ね。何万かするんじゃない?」
「ふぅ~ん 。。。」

この時点でサンタはいなくなった ヾ(≧▽≦)ノキャハ


でも、よく調べてみると
何万円もするもんじゃなかったから
訂正しとかんといけんゎ
このままじゃ、ウサギに怒られる ( ̄_ ̄ i)


ルスカス

2008年12月21日 | エトセトラ
不思議な感じの花

葉っぱから咲いてるように見えるけど

この葉っぱ

本当は茎なんだって



もう2ヵ月も花瓶に挿してるの

なのに 枯れもしないで元気に花まで付けてくれて


根っこも出てないのに

ここまでやるとは

ルスカス

すごいゎ


今度子供が生まれたら
この生命力にあやかって ルスカス って名前にしよう

って

思ってるね
多分
20年くらい前に見てたら (≧m≦)

事故 -終焉-

2008年12月19日 | 事故 -忘れないために-
「もぉ! ナニ様なんよ?!」

N家のドアを閉めて門を出、車に向かう途中で
Oさんが力を込めて言った。

私も同じ気持ちだった。

ナニ様?

『一般的に』 と私達に何度も言いながら
ついにNさんは “熱湯を張ったのはN君” だという事には
やはりひと言も触れなかった。
私達には “常識” を求め
自分は息子の非をわびる事なく、言いたい事だけを言ってくれた。
そして挙句の果ては子育て指南だなんて
開いた口が塞がらない。

あの時、夫は握り締めた拳をもう一方の手で包み
ずっとこらえていた。
私の選択肢は3つあった。
夫の背中を押すか
服を掴んで止めるか
阻止して私がしゃしゃり出るか。

だけど
どれも必要なかった。
夫は拳を握り締めながらも最後までこらえた。
そういう約束で行ったのだから
今回はそれで良かったのだと思う。

私達は車に乗ってから家に着き
夜寝るまでやり場のない怒りがおさまらなかった。


あれから三日。

Nさんから学校に連絡が入った。
「今回の事はこれで終わりにします」 と。

「だけど
 O君のお父さんが来なかった事は納得がいかない。
 来るのが無理なら電話でもいいから掛けてもらうように。」 と。


呆れた。
この人は何がしたいんだろう?


でも
とりあえずここで第2幕は終わった。
第3幕には突入したくないし
する事はないだろうと思っている。

もしも
まかり間違って
これから先にこの問題がまだ展開していったとしても
私がNさんに頭を下げる事はもう二度とないし
どこかで出会っても
今度は会釈すら出来ないかもしれない。
(以前、スーパーで出会って会釈した時の事を
 「会っても挨拶もしない」 とNさんは校長先生に言っていたらしい)

今回の事を何処でどんな風に言われたとしても私は何も困らない。
Nさんとの関わりがなくなることで困る事は何もないし
たとえ近所で何かを言われても
Nさんのように 「居られなくなる」 なんて心配はしていない。

私は自分が住んでいるこの団地でそんな生き方はしていないつもりだし
ここで私はたくさんの素晴らしい仲間に出会えた。
助けてもらう事が多いけど
共に喜んだり悲しんだり、悩んだり励ましたり
おかしい事には 「おかしいよ」 とちゃんと言ってくれる仲間がいる。

Nさんとは違う。

今はもう
出来れば
これ以上Nさんとは関わりたくない
近づきたくない

それだけ。



Nさんは 『N君のクラブ活動』 の事が何よりの自慢だったようだけど
「成績は圏外でもフォームを褒められた」 話を何度も聞いたけど

N君はすでにクラブをやめているらしい。
Nさんは知らないようだけど

「親父がウザイけぇやめた。」

とN君がS君に言ったって。

N君にはちゃんとした 『自分の意思』 があるのに
それを 『親』 が認めていないだけ。
「こういう子だ」 と決め付けて。

子供との会話が一番必要だったのは
Nさん自身じゃなかったのかな。


申し訳ないけど
ほんのちょっとだけ気が晴れた。

事故 -子育て指南-

2008年12月18日 | 事故 -忘れないために-
Nさんは 「だけど事を大きくしたくない」 とも言った。
罪にしたり慰謝料などを貰ったりしたら
色んな噂が立って
それこそ我が子が学校にも居られなくなるだろうし
あなた達の子供もそうなるだろう。

ただ、何度も学校に行ったり病院に行ったりした交通費だけは
実費で請求させて貰うと。

そこでS君のお父さんが
お見舞いの菓子折りと見舞金をNさんに差し出した。
Nさんが手を出さなかったのでSさんはそれを玄関のフローリングの端に置いた。
「これは皆で相談して持って来ました。
 その交通費も含めてのお見舞いです。」
と、夫が言った。

Nさんは一瞬の間を空けて
「まぁ、これはまた学校の方に連絡させてもらいます。」
と言った。

「分かりました」 と言わないところがNさんだ。
中身を確認しなければ何とも言えないという事なのだろうか
と私は思った。

そしてNさんはN君のクラブの事を長々と話し
ここまで蚊の鳴くような小さな声でしか喋っていなかったのが
急に普通の声になり
「仏の顔も三度まで と言います。
 子供が悪い事をしたら三度までは注意して許しますが
 その次は許しません。
 私はそうやって子供を育ててきました。
 だから皆さんも子供が言うことを聞かなかったら
 三度目には殴ってください。
 殴って分からせてください。」
「子供ともっと話をしてください。
 会話をしてください。
 学校であった事をもっと聞いてください。」
と続けた。

まさかNさんから子育ての指南を受けるとは思ってもいなかった。
我が家では
恐らくN家の何倍も子供と会話をしているという自負がある。

私の前に立っていた夫の右足がこらえきれずに震えていた。
何度も頭を下げ、前で合わせていた夫の両手は
いつの間にか後ろに回り
拳になっていた。

事故 -思い出した-

2008年12月17日 | 事故 -忘れないために-
N君のお父さんは
まず 「もっと早く来るべきじゃなかったのか」 と
私達が 「見舞いのひとつにも来なかったのはおかしい」 と言った。
『一般的に考えて』 口癖のように何度もこの言葉を使いながら。

そして
学校とは既に示談を交わしている事
その示談書を交わす条件として
あの事故の日に子供達が書かされた “状況説明書” のコピーと
学校が作っている調査報告書みたいなものを学校から貰っている
という話をした。
「私立の学校だからこういう事は表に出したくないですからね。」

こういうシーンって
たまに古いドラマとかで見るような気がする。

にしても
学校が示談書のために渡した?
その条件を出したNさんも怖いけど
生徒を売るような行為を平気でしていて
私達、親に 「示談書を交わすのは無理ですよ」 と
しゃぁしゃぁと言ってのけた校長先生にも
もう言葉が出ない。

Nさんは
「これだけ揃えていつでも裁判にかけられるように準備している。」
と言った。

前にも書いたように
その “状況説明書” にどれ程の事が書かれているのかは疑問だけど
Nさんはそれで私達の首根っこでも掴んでいるかのような言い方をした。

N君のお母さんは
事故の後でN君が 「 holly にやられた」 と言っていたのでそうなんだと思っていたら
本当は違っていて別の子だった。
あの時 「 holly にやられた」 と言ったのは
「中学校時代に holly からいじめられていたのを思い出したからだ」
とN君が言ったという話をした。
それを聞くまではいじめられている事は知らなかった
最近になって少しずつ話すようになってきてくれた と。

思い出したから 『 holly がやった』 と思ったのか
思い出したから 『 holly のせいにしよう』 と思ったのかは分からない
そもそも 『思い出したから』 っていう言葉がそこに出て来るという事が
私には理解できないのだから。

だって
思い出したという事は忘れていたという事。
今、高校2年生で “中学の時にいじめられていた” というのに
忘れていた?
相手が遠くに引っ越してしまったとか?
顔を合わせる事がなくなったとか?

いいえ
holly とN君は今も学校の同じクラスで毎日顔を合わせている。
なのに
この “事故” が起きなければそのイジメは思い出されることはなかったのか?

「思い出したから」 とN君が言ったのが事実なら
「 holly がやった」 と言ったN君の言葉の奥に
ちゃんとした彼の “意志” があると私は思った。

事故 -訪問-

2008年12月16日 | 事故 -忘れないために-
翌日、担任の先生に連絡を取ってくれたSさんから電話があった。
「Nさんの所に行く日にちと時間が決まりました。
 先生にも一緒に行って欲しいと言ったんですけど
 先生が校長先生に相談されて
 『行かない方がいい』 という事になったらしいです。」

学校としては
『首を突っ込みたくない』 という事らしい。

「学校側としてはもう充分に誠意を見せてるから
 Nさんからは “学校の責任は問わない” と言われてる。」
と校長先生はおっしゃっていたから
ヘタに関わると自分の足元がグラつきかねないという判断なのだろうと思った。

これもまた 『現実』 なのだ と。


私達は団地の中のコンビニの駐車場で待ち合わせた。
O君とお母さん
S君とお父さん、お母さん
そして holly と私と夫

Sさんは
「とにかく今日は謝って、渡すものを渡して
 『やるだけの事はしました』 っていう風にしたいんで
 よろしくお願いします。」
と、私達に(我が家に?)クギを刺すように何度も言った。
Oさんも
「その後の怪我の具合も 『どうですか?』 って聞いた方がいいよね。」
と言った。

今回は二人の父親に喋ってもらう事にした。
夫は納得がいかないままの気持ちで来ていたけど
この場はもう我慢するしかないと思っているようだった。

3台の車は並んでN君の家に向かった。

チャイムを鳴らすとまずN君のお母さんが出てきて
「どうぞ」
と、門の外に立っている私達を促したけど
私達は中に入る気はなかったので、父親二人を前にして玄関ドアの外に立った。

間もなく奥からN君のお父さんが姿を現してお母さんと二人で並んだところで
夫は
もっと早く来なければいけなかった事
子供達にはしっかりと言い聞かせたという事
などを含めて謝罪の言葉を言い
N君の具合はどうかと尋ねた。

「いや、怪我はもういいんですが」
Nさんが口を開いた。

ちょっとひと息 ワンセグ編

2008年12月15日 | 豆の部屋(四苦八苦の親子劇場)
このところ息が詰まりそうなお話が続いているので
ちょっとひと息 (⌒o⌒;)

私が最近見ている連ドラは
ブラッディ・マンデイ だけ
だから1週も見逃したくないんだけど
土曜はちょっとお出掛け~で
録画予約をしようと思ったら 。。。

いゃん ・゜゜・.
誰かが同じ時間に他の番組を予約しとるじゃんっ?! 

じゃぁ私はどしたらいいん? (┰_┰)グスッ



そこへ正義の味方(?)古っ(?)
我が家の末娘 ウサギが
「携帯で録画してあげようか?」

携帯で録画?

よぅわからんけど
「ぅん 頼むわ」



知らんかった 。。

今の時代は携帯でテレビ録画して見れるんじゃ~ (((@。@)))
しかも画像めちゃキレイじゃし(私のタダ携帯とは大違い (≧m≦)プッ)



いゃぁ たまげたゎぁ (≧∇≦)

事故 -金額変更-

2008年12月14日 | 事故 -忘れないために-
今回、私は見舞金だの慰謝料だのについて
色々と調べた。
傷害事件の場合は交通事故で支払われる金額が目安となるらしい。

一ヶ月以内の治療で10万から30万。
状況によって金額は増減あり らしい。

私は 「足並みを揃えて払いましょう」 とSさんに返事をした時
「金額はどうしましょう?」
とSさんから言われ
「15万くらいかね?
 1軒が5万ずつにしようか。」
と答えていた。

本当なら天の30万を払って
「これで満足でしょう?」
とでも言ってやりたいところだったけど
N君にも責任がない訳じゃない。

N君が熱湯を張ったという行為が
過失なのか
未必の故意だったのか
完璧な故意だったのか
もう明らかになる日は来ないと思う。

「いじめられた」 とN君が言えばそれは “いじめ” になるのだから
「わからなかった」 とN君が言えばそれは “過失” になる
という事くらい想像がつくから。

ただ、事の起こりはN君だったという事を考えると
30万払う必要はないと思った。
だから15万にした。

けど
最初から 『慰謝料と治療費で30万』 
とNさんが言っていたという事に腹が立った。
あの謝罪の日に 「これでいい」 と言った
そのわずか何分か後にNさんがそう言っていたという事に。

子供は金儲けの道具か?
校長先生の言葉を借りれば
「入院もなく、傷跡もない」 N君だけど
相手からの金は 『あって当然』 ?

もっと早くにこの事を聞いていたかった。

「悪いけど金額変えようや。
 15万も払う必要ないんじゃない?
 1軒3万ずつで、半端じゃけど9万。
 最低ラインでいいでしょう?」
と私は言った。

Sさんが
「じゃあウチがもう1万増やして10万にします。」
と言った。

払う時は子供も連れて行く
示談書がないのだから担任の先生にでも立ち会ってもらう
O君のお父さんは色々な事情で行く事が出来ないので
S君のお父さんとウチの主人がその “見舞金” を渡す

そう確認し合って私達は別れた。

『とにかくこれで終わらせたい』
これはあくまでも
そう思っているSさんとOさんの気持ちを尊重しての合意だった。

事故 -お金の話-

2008年12月13日 | 事故 -忘れないために-
校長先生はN君の事を話される時
少しだけ慎重に言葉を選ばれた。

『ちょっと変わっている』
は、あくまでも 『ちょっと変わっている』 なのだと。
『知的に』 とか 『遅れ』 とか
そういう事は本人や親が言わない限り
つまり “認めない” 限り
こちらからは何も言えないのだ と。

けれど、もし裁判にでもなったら
その点は重要になってくる
そういう世の中だと。

Oさんは
「もし私の子がそんな感じだったら
 逆に皆に知ってもらって 『この子をフォローしてやってください』
 って頼みます。」

と言ったけど
NさんはNさんであって
Oさんとは違うという事なのだ。

私も納得いかない気持ちを伝えたけど
校長先生の 「争わない方がいい」
という考えは変わらなかった。

結局
お見舞金だから示談書のようなものを書いてもらうのも無理
この先何かあったら
もう出る所に出てもらうしかない
という何とも消化不良の結論にしかならなかった。

「まぁ、いつかN君本人には言うつもりですがね。
 『一歩間違えたら相手が怪我をしとったんじゃ』 と。」

“いつか” 

多分言わないだろうと思った。
それに一番知って欲しいのはN君ではなく親の方だ。
これ以上の話は無駄だと思った。



校長先生との話が済んだ後
駐車場で今後の事についてSさん、Oさん、私の三人で話していると
思わぬ話が出て来た。

Nさんの口から 『お金の話が出た』 という事について。

それはOさんが知っていた。

あの謝罪の日
副校長室から出て私達が言い渡しを待つために別室に移動する時
廊下でNさん親子と生徒指導のM先生が話をしていた。

言い渡しのために担任の先生が別室にいるO君を呼びに行こうとされたけど
廊下で会話中のNさん達に遠慮して
なかなか呼びに行けなかったから 「ずい分待たされた」
とOさんは言っていた。

その時
NさんがM先生に言った言葉は

『今日は1軒が10万ずつ持って来ても良さそうなもんだった。
 その30万から治療費を払って残りは慰謝料として貰おうと思っていた』

というものだった。

そしてN君が病院にかかってすぐに学校側が治療費について
「保険を使われますか?」
とNさんに聞いた時も
「使いません。」
Nさんは即答だったらしい。


事故 -N君-

2008年12月12日 | 事故 -忘れないために-
Sさん、Oさん、私の三人は校長先生に会いに行った。

校長先生は
「さ、今日は何ですかね?」
と口を開かれた。

え? 用件を知らないの?

私は校長先生の事を ちょっとタヌキだな
と思った。

Sさんが
「Nさんとの話の事はどうなりました?」 と尋ねた。

校長先生は2日前にNさんと会って話をされているようだった。
そこでNさんが校長先生に言われた事は二つ。
ひとつは
「一家の長たる父親が顔を見せていないことは、どう考えてもおかしい」
という事。
もうひとつは
「慰謝料などをもらったら 『金を取った』 とか何とか変な噂が広がって
 今の家まで引っ越さなくてはいけなくなるかもしれない。
 だからそんなつもりは全くない。」
という事だった。
Nさんはこの二つの事ばかりを言われた と。

噂で家を引っ越す …
ってことは 『同じ団地の我が家が言いふらす』 って意味だな
と思ったけど
N君は何かにつけ “ holly からいじめられている” と言ってる訳だし
少し前に私が近所のスーパーでN君のお母さんに出会った時
軽く会釈しかしなかった私に対して何か思いがあってもおかしくない
まぁ、どんな風に思われても別にかまわないけど。

校長先生は続けられた
「だから “お見舞い” という形でいくらか持って行けばいいですよ。」 と。

もらう気はない って相手が言ってるのに?

「だったらお金は払わない方がいいんじゃないですか?」
私は素直な疑問を投げかけた。

「いやぁ、でも他ではその事(お金の事)を言われてますからねぇ。
 私も知らんかったんですが他の職員が聞いとるんですよ。
 誰じゃったかのぉ ・・・ ま、ちょっと思い出せませんが誰かが。」

親や子供や校長先生の前では 「もういい」
としか言わなかったNさんが
他ではお金の事を言っている

「ちょっとよう分からん人じゃ。」
と校長先生も言われた。

SさんとOさんはお金を払うことに異存はないようだった。

私は今回の “全ての事実” をNさんが知らないのじゃないか
知っていたらそんな事は言えないのじゃないかと言った。

校長先生は
N君はほんの少しだけど他の子供達とは変わった所がある
他の生徒になら
『熱湯を張ったらどうなるかわかるだろう』 と言えるけど
N君の場合
熱湯を張った事を 『非』 として認められるかどうかわからない
だからこれ以上もめない方がいい と言われた。

だったら今後もし同じような事が起きても
やっぱりN君は 『被害者』 になるのか
彼なら間違えても責められない と

それから先は少し難しい話になった。
世の中の色んな事
例えば人を殺しても責任を問えない人達が世の中にはいる
それが間違っていようがいまいが
それが現実だという事。
N君がそうだとは言い切れないけど。

SさんもOさんも
それでは怖すぎると言った。
N君がそういう子だとは知らなかったし
子供達だって知らないと思う
これから先に何があるか不安だ と言った。