東北大学 フェンシング部

スポーツの秋…つまりはフェンシングの季節…!

自己紹介

2021-08-11 | 自己紹介

 初めまして、1年工学部機械知能・航空工学科の菊次祐紀(きくじゆうき)と言います。今は膝の怪我で活動を休止していますが、10月ごろにスポーツ復帰する予定ですので宜しくお願いします!

 茨城県の筑西市という、県西地区(栃木とかの県境沿い)の生まれで、父は体育教師でバレーの監督をしており、大学時代にはバレーで国体に出場するほどの実力者です。両親が、僕の将来の人生選択に困らないようにいろんな経験をさせてくれました。3歳のときに水泳を始め、それから5歳のときには英会話、習字、ピアノといった習い事を始めました。フェンシングを始めたのは小学2年生のときで、父の大学時代の知り合いに勧められたことがきっかけです。父親は、自身と同じように僕にバレーボールをやって欲しかったのでフェンシングを始めると言ったときは残念な気持ちだったと思います。笑

 こんな感じで、毎日習い事の日々で少年時代は遊ぶ暇もありませんでした。月曜日にピアノ、火曜日にフェンシング、水曜日に習字、木曜日には東京でのフェンシング練習、金曜日に英会話、土日はフェンシングで、毎週目が回るような1週間でした。木曜日の東京でのフェンシングは、JISSというオリンピック選手などの練習場で、東京都のフェンサー限定で行われている練習会に都外練習生として特別に参加の許可をいただき、武者修行していました。木曜日は学校が終わってから東京まで片道2時間かかるという、小学生の僕には過酷に感じたスケジュールが本当につらく、先生もめちゃくちゃスパルタで死ぬほど怖かったので、今些細なことではつらいと思わなくなりました。

 中学時代は、今までの習い事を続けるとともに、部活動で水泳と駅伝を始めました。水泳はもともとやっていたので得意でしたが、走ることは全く得意ではなく、むしろ苦手でした。何とかその苦手を克服したくて、入ってみましたが、予想以上につらくて、ついていくのに必死でした。しかし、毎日一生懸命練習に参加していくうちに、次第に足が速くなっていって、上のチームに入ることもできるようになりました。2年生の後半で水泳とフェンシングと駅伝を平行して熱を入れることができず、駅伝はやめてしまいましたが、自分にとって非常にプラスとなる経験ができました。水泳も全力で打ち込み、平泳ぎで県西地区の決勝に残ることができました。

 高校時代は、茨城県でフェンシング部のある緑岡高校に入学し、フェンシング一本でやっていくことに決めました。緑岡高校のフェンシング部は、県内ではインターハイ常連で、部員もそこそこ多く、自分が3年のときには30人近くいました。自分は小学生からの経験者で、1年から団体戦のメンバーとして選ばれたのですが、インターハイ予選で自分が負けてしまい、団体でのインターハイ出場を逃してしまいました。2・3年生を差し置いてメンバーになったのにも関わらず、足を引っ張り、努力を無駄にするような結果しか残せない自分に失望し、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

 それからはチームの為となるような練習をし、一丸となってインターハイ出場を目指しました。2年時のインターハイ予選では、個人・団体ともにインターハイ出場を果たし、チームに貢献することができました。3年時には、部長としてチームを指揮し、団体メンバーを最高の状態まで仕上げ、個人・団体ともに再びインターハイに出場することができました。最後まで一緒についてきてくれた部員には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

大学ではフェンシングを続けるつもりはなかったのですが、知り合いの先輩にごり押しされたので入部しました。笑

好きなフェンシングを楽しくできればいいと思っています。よろしくお願いします!

次の自己紹介は相田君、宜しくお願いします!

 

 


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 県民戦結果報告 | トップ | 自己紹介 »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (先輩)
2021-08-12 13:51:46
怪我からの復帰楽しみにしてるよ!
返信する
Unknown (先輩2)
2021-08-12 17:10:50
楽しくやろう
返信する

コメントを投稿