
5月2日、やや曇り空の中、答志の大築海島の地質フィールドワークに出かけた。鳥羽から津村(県立総合博物館)、江崎、山崎、榎、山下の5人が定期船「かがやき」に乗り出発。答志港で浜口さんの出迎えを受ける。用意していただいた船外機に乗船、ここで五十嵐さん、浜口さんが乗る。ライフジャケットをつけ、

目的地を目指す。
答志の貴重な名所大築海島に上陸。ハマダイコンやハマヒルガオの花が出迎えてくれる。この島は人類の狩猟生活時代の昔、先人たちが生活していた跡があるとのこと。(産出した土器や石器が答志コミニテイセンターに保管されている。)

砂浜の砂は青色できめ細かな砂である。もうそこから地層の違いを感じる。東側の浜に回るとまた、景色は一変した。大きな巨石や崖が鋭く立ち上がっていて荒々しい様相であった。しかし、足元の石は丸みを帯びたもので青や黒、白色様々なものが散乱していた。荒い波でもまれてきれいな表情をしていた。注目したのはいずれの岩石も縞模様になっていることが多く、何らかの大きな力を帯びていることが考えられた。




中でもミルク色をした石はやさしい表情をしていた。石灰岩で小さな星状のはん点が見られた。 神島で見られる石灰岩の岩脈がこの海域でも続いているようにも思われた。

「褶曲した緑色片岩」

石灰岩の鑑定

「模様入りの岩石」の生成
海岸一帯には大木のような岩石がゴロゴロと転がっていた。それらにはいずれも大きな褶曲の跡が見られ、大地の変動を垣間見ることができた。なぜこんな岩石が点在するのかをみんなで考えた。海底で堆積したプランクトンの遺骸が堆積するとともに火山の爆発などで流れだした火砕流が集まり、それらが地中深くで低温高圧の圧力を受け大きく褶曲したのではないかと考えた。

答志島周辺は地質的には三波川変成帯に属し、火山の爆発で吹きだした溶岩が元となっている。その岩石は玄武岩が大半で、それらプレートに乗って地中深く潜り込み、低温高圧の広域変成作用により、剪断応力を受けて再結晶したため様々な片岩になった。黒い筋状の模様があるのは雲母のような板状の鉱物や角閃石のような柱状の鉱物が方向性をもって配列し、岩石は片理とよばれる面状構造を持っている。岩石は片理に沿って板状に割れやすい。様々な結晶片岩は含まれる鉱物の成分によっていろが少しずつ違っている。
低温高圧下で安定な藍閃石(ランセンセキ)多く含み青色をていすると青色片岩にもなる。
また、黒色片岩などは風化作用を受けると茶色に変色するということだ。砂浜に転がっていたものはこれらが風化したものかと思った。それにしても広域変成作用を受けるときは地層が水飴みたいに溶けだすようだ。青色の岩石のミルフィーユは含まれる鉱物が柱状構造に配列し片理面を見せている。

巨大な岩脈

島の壁面は大きな青石の岩脈だ。はじめは火山から吹きだした溶岩の玄武岩だったが再結晶してさらに堅い緑色片岩となってできた。
これが青石となり、貴重な石材として活用されている。


壁面を見ると大きな断層も走っていて地殻変動の激しさを物語っている。
この辺りの地層は三波川変成帯と呼ばれるが中央構造線がこのすぐ近くを走っていることを考えるとそれらの影響を受けたことなどもうかがえる。
いずれにしてもその地殻変動の様子は現場に来てみるとその様子がよくわかる。

講師の津村さんも下の黒い岩も岩石の中の模様を見るとどんな力が加えられたかよくわかるものだと紹介してくれた。
今までひとの手があまりはいっていなかったからこそこれらの地質の様子がわかる貴重な場所となっていることがわかった。
「穴あき岩 マツナ」

大築海島の前にある穴あき岩、小島の様にあった岩が波の浸食作用を受けて穴があいてしまった。この穴あきができる現象ははじめに波で海水が吹きつけられ、その中の塩分が結晶化し、結晶が少しずつ大きくなるにつれ岩に割れ目をつくり、更に波の浸食作用で穴があけられていったということだ。自然条件が厳しいので松も生えないから「マツナ」とも名づけられている。

そして答志島北側に回るとこれまた、貴重な岩石の表情が見られた。堅い岸壁が波で削られ、洞を作っているところや岩石の表面にたくさん穴が開けられ、でこぼこになっているところなど珍しい場所があった。

「答志の漁師の守り神 観音崎」

中でも不思議に思ったのは観音崎の様子である。答志の漁師さんは伊勢湾で漁をして帰ってくるとき、この観音崎が見えると無事帰ってきたと安心するそうです。それでみんなの安全を守ってくれるところということで観音崎という名前を付けているそうだ。
岩石の様子を見るとここも緑色片岩でできている。変成作用で縦になっているがそこに割れ目が入って柱状節理に見えるということだが正式の摂理ではない。しかし、よく見ると木々の中に観音さまの顔らしきものが見えるのが不思議である。つき出た岩は観音さまの右手にも見える。この日も曇っていたのでよけいその様子がよくわかった。

雨が降ってきたので安全なうちに港に帰った。まると食堂で昼食を食べているときでも浜口さんは答志島から菅島、神島周辺の海底や岩礁の様子を紹介してくれた。この海域にはたくさんの岩礁や瀬があり、魚の宝庫だと紹介してくれた。中でもタイの島は以前は人が生活していた場であったが、大津波などで沈没した場所であるとも言われている。深さは10mから20m程度あるのでたくさんの魚が集まってくるとのことだ。

午後から答志の美多羅志神社を訪ねたが、ここに使われている石垣や石段も立派な青石が多かった。まさに今回観察してきた、大築海島から村人が神社を建てるときにみんなして運んできたのてはないかと考えた。今年の6月3日に遷宮が行われるということだが、島の人々のたくさんの願いが生かされることを祈りたい。




長年の課題であった答志大築海島にわたることができて本当に良かった。現場に行ってみると大地の変動の様子がよくわかり、島の地層が大きな地殻変動を受けていることがよくわかった。案内していただいた浜口さんや参加していただいた皆さんに感謝です。

目的地を目指す。
答志の貴重な名所大築海島に上陸。ハマダイコンやハマヒルガオの花が出迎えてくれる。この島は人類の狩猟生活時代の昔、先人たちが生活していた跡があるとのこと。(産出した土器や石器が答志コミニテイセンターに保管されている。)

砂浜の砂は青色できめ細かな砂である。もうそこから地層の違いを感じる。東側の浜に回るとまた、景色は一変した。大きな巨石や崖が鋭く立ち上がっていて荒々しい様相であった。しかし、足元の石は丸みを帯びたもので青や黒、白色様々なものが散乱していた。荒い波でもまれてきれいな表情をしていた。注目したのはいずれの岩石も縞模様になっていることが多く、何らかの大きな力を帯びていることが考えられた。




中でもミルク色をした石はやさしい表情をしていた。石灰岩で小さな星状のはん点が見られた。 神島で見られる石灰岩の岩脈がこの海域でも続いているようにも思われた。

「褶曲した緑色片岩」

石灰岩の鑑定

「模様入りの岩石」の生成
海岸一帯には大木のような岩石がゴロゴロと転がっていた。それらにはいずれも大きな褶曲の跡が見られ、大地の変動を垣間見ることができた。なぜこんな岩石が点在するのかをみんなで考えた。海底で堆積したプランクトンの遺骸が堆積するとともに火山の爆発などで流れだした火砕流が集まり、それらが地中深くで低温高圧の圧力を受け大きく褶曲したのではないかと考えた。

答志島周辺は地質的には三波川変成帯に属し、火山の爆発で吹きだした溶岩が元となっている。その岩石は玄武岩が大半で、それらプレートに乗って地中深く潜り込み、低温高圧の広域変成作用により、剪断応力を受けて再結晶したため様々な片岩になった。黒い筋状の模様があるのは雲母のような板状の鉱物や角閃石のような柱状の鉱物が方向性をもって配列し、岩石は片理とよばれる面状構造を持っている。岩石は片理に沿って板状に割れやすい。様々な結晶片岩は含まれる鉱物の成分によっていろが少しずつ違っている。
低温高圧下で安定な藍閃石(ランセンセキ)多く含み青色をていすると青色片岩にもなる。

また、黒色片岩などは風化作用を受けると茶色に変色するということだ。砂浜に転がっていたものはこれらが風化したものかと思った。それにしても広域変成作用を受けるときは地層が水飴みたいに溶けだすようだ。青色の岩石のミルフィーユは含まれる鉱物が柱状構造に配列し片理面を見せている。

巨大な岩脈

島の壁面は大きな青石の岩脈だ。はじめは火山から吹きだした溶岩の玄武岩だったが再結晶してさらに堅い緑色片岩となってできた。
これが青石となり、貴重な石材として活用されている。


壁面を見ると大きな断層も走っていて地殻変動の激しさを物語っている。
この辺りの地層は三波川変成帯と呼ばれるが中央構造線がこのすぐ近くを走っていることを考えるとそれらの影響を受けたことなどもうかがえる。
いずれにしてもその地殻変動の様子は現場に来てみるとその様子がよくわかる。

講師の津村さんも下の黒い岩も岩石の中の模様を見るとどんな力が加えられたかよくわかるものだと紹介してくれた。
今までひとの手があまりはいっていなかったからこそこれらの地質の様子がわかる貴重な場所となっていることがわかった。
「穴あき岩 マツナ」

大築海島の前にある穴あき岩、小島の様にあった岩が波の浸食作用を受けて穴があいてしまった。この穴あきができる現象ははじめに波で海水が吹きつけられ、その中の塩分が結晶化し、結晶が少しずつ大きくなるにつれ岩に割れ目をつくり、更に波の浸食作用で穴があけられていったということだ。自然条件が厳しいので松も生えないから「マツナ」とも名づけられている。

そして答志島北側に回るとこれまた、貴重な岩石の表情が見られた。堅い岸壁が波で削られ、洞を作っているところや岩石の表面にたくさん穴が開けられ、でこぼこになっているところなど珍しい場所があった。

「答志の漁師の守り神 観音崎」

中でも不思議に思ったのは観音崎の様子である。答志の漁師さんは伊勢湾で漁をして帰ってくるとき、この観音崎が見えると無事帰ってきたと安心するそうです。それでみんなの安全を守ってくれるところということで観音崎という名前を付けているそうだ。
岩石の様子を見るとここも緑色片岩でできている。変成作用で縦になっているがそこに割れ目が入って柱状節理に見えるということだが正式の摂理ではない。しかし、よく見ると木々の中に観音さまの顔らしきものが見えるのが不思議である。つき出た岩は観音さまの右手にも見える。この日も曇っていたのでよけいその様子がよくわかった。

雨が降ってきたので安全なうちに港に帰った。まると食堂で昼食を食べているときでも浜口さんは答志島から菅島、神島周辺の海底や岩礁の様子を紹介してくれた。この海域にはたくさんの岩礁や瀬があり、魚の宝庫だと紹介してくれた。中でもタイの島は以前は人が生活していた場であったが、大津波などで沈没した場所であるとも言われている。深さは10mから20m程度あるのでたくさんの魚が集まってくるとのことだ。

午後から答志の美多羅志神社を訪ねたが、ここに使われている石垣や石段も立派な青石が多かった。まさに今回観察してきた、大築海島から村人が神社を建てるときにみんなして運んできたのてはないかと考えた。今年の6月3日に遷宮が行われるということだが、島の人々のたくさんの願いが生かされることを祈りたい。




長年の課題であった答志大築海島にわたることができて本当に良かった。現場に行ってみると大地の変動の様子がよくわかり、島の地層が大きな地殻変動を受けていることがよくわかった。案内していただいた浜口さんや参加していただいた皆さんに感謝です。
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