この期に及んで東京スタイルのホームページ

因みに、某アパレルメーカーとは関係ありません。バンド名の由来ではありますが。

彼女が僕を呼んでゐる(いはを)

2013-10-29 00:10:08 | 音楽

さうか、ルー・リードは亡くなつたのか・・・。ますます元気と言はれてゐたのは・・・、あ、あれは同姓同名のブルーグラスの人か。

さて、東京スタイルの原点にはヴェルヴェットアンダーグラウンド(以下ヴェルヴェッツと表記)がある。つまり、我々はルー・リードに随分とお世話になつたわけである。

第1期東京スタイルのレパートリーを思ひだしてみると、
Sunday morning
There she goes again
White light / white heat
I heard her call my name
を演奏したものである。第1期東京スタイル再結成時には、Sister Ray も演奏した。といふわけで、我々がノイジーなバンドだつたのは、やはりヴェルヴェッツの曲をカバーしてゐたことがかなり大きい。特に I heard her call my name の存在の大きさたるや。初期の東京スタイルは大概この曲をラストナンバーとしてをり、何といふか、卓袱台を引ッ繰り返した感じでステージを降りてゐた。

ヴェルヴェッツは双頭のバンドであつた。ルー・リードとジョン・ケイルといふ二つの頭脳―彼らが起こす衝突とも融合ともつかない化学反応が1stと2ndの2枚のアルバムを歴史的な名作たらしめてゐる。これらのアルバムのヒリヒリした音像は、今もつて唯一無二の魅力を放ち、ロックミュージックの一つの極北であり、初期衝動であり、そして諦念である。そもそも、ルー・リードの声自体が非常に硬質で、決して力むことはないが、ドスが効いてゐる。ナイフのやうだ。

しかしながら、個人的には3rdが好きである。これは以前にも書いた。繰り返しだらうが、何といつても Pale Blue Eyes の美しさとふべきか、儚さといふべきか。ノイジーであると同時に、極端に繊細で美しい音も奏でる、この二面性がヴェルヴェッツの特徴であり、魅力である。

そして、ルー・リードといへば詩人でもあるのだが、この辺は僕の英語力では理解しえないので、誰か詳しく論じて欲しい。まあ、当てずッぽうな勘で言へば、ルー・リードとレナード・コーエンとボブ・ディランは同じ匂ひがする。隙を見せると、こちらが斬り裂かれるかもしれないやうな危さがある、気がする。

あと、第1期東京スタイル再結成時に演奏しながら感じたことだが、ヴェルヴェッツとザ・バーズは案外近いのである。ザ・バーズはフォークロックの祖といふ風に位置づけられることもあるが、特に初期のバーズはどことなくヒリヒリする音にも感じられ、Eight Miles High なんかはコルトレーンに影響されたといふよりも、ヴェルヴェッツ的だといつた方が的確なんではないかと思ふ。

そして、ほとんど誰も気づいてゐないことだが、森田童子とヴェルヴェッツを続けて聴いても悪くはない食べ合はせ(?)である。説明するのは難しいのだが、ヴェルヴェッツがノイズの果てに幻視(幻聴といふべきか)したのは、恐らく混じり気のない純音、つまりサイン波で、対する森田童子の声質はサイン波的である。騙されたと思つて試してください。

それにしても、これでは追悼文になつてゐない気がするが・・・。安らかに眠れ、ルー・リード。