購入はここ⇒中華風焼きそば
こいつは旨い!
やっぱり名店の中華料理はおいしい!!
日本語がしゃべれるのは数人しかいない中華料「忠峰」
でもやっぱりおいしいんだ。
前回来た時は無難にランチを食べたけど、今回は中華風焼きそばの定食を注文しました。
このボリューム1000円
ここは、香登という場所
大阪屋とかドライブインとかアローズなど名店の集まる場所なんだ。
どの店もトラック運転手がいっぱい集まるB級グルメなんだけどねw
購入はここ⇒中華風焼きそば
こいつは旨い!
やっぱり名店の中華料理はおいしい!!
日本語がしゃべれるのは数人しかいない中華料「忠峰」
でもやっぱりおいしいんだ。
前回来た時は無難にランチを食べたけど、今回は中華風焼きそばの定食を注文しました。
このボリューム1000円
ここは、香登という場所
大阪屋とかドライブインとかアローズなど名店の集まる場所なんだ。
どの店もトラック運転手がいっぱい集まるB級グルメなんだけどねw
美味しい刺身を貰ったら日本酒が欲しくなった。
なのでコンビニに行ったらなんと八海山が置いてあった。
思わず買ってしまった。
好きなんですよね、八海山
口に含んだ時のジュワっとしたフルーティーな香りがもうたまらんです。
色んなのがあるけど、白ラベルくらいが食事の時にはちょうどいいかなと思う
敦賀に行ってきました。
ここは「山車会館」
この日は無料で見学ができる日でした。
敦賀の山車の起源はさだかでないが、京都の祇園祭りの影響をうけて 室町末期には成立したと思われる。このことは、天正三年(一五七五 ) 織田信長の祭礼見物の伝説、寛永一九年(一六四二)小浜藩初代藩主酒 井忠勝や寛文三年(一六六三) 二代藩主酒井忠直の山車観覧の記録から かがわれる。江戸時代にあっては、敦賀三六町のうちの一二町が東・西組六町ずつ に分かれ、隔年ごとに山車を曳き出していた。すなわち、八月三日には 富裕な商人たちを中心とした小山車が、四日には六町からそれぞれ一基 ずつの大山車と商人たちの小山車が、少ない年で三〇基、多い年には五〇 基ほど曳き出され賑わった。明治六年(一八七三)に個人の山車を廃止するとともに、町で曳き出 大山車を小山車に変更した。さらに東西組を統合し、原則的に各町 からき出す山車の全一二基を巡行するとした。また、明治五年一二月 には暦が太陽暦に改正されたため、祭礼日も一か月遅れの九月三日四 に執行されることとなった。昭和二〇年七月一二日の戦災で山車の大部分が焼失したが、現在、六 基がようやく復元し、昔の姿をしのぶことができるようになった。 なお、当館での山車の名称は、江戸時代のものを使用している。
親切な受付のお姉さんがわざわざ私たちのために映画を準備してくれた。
もうすぐ行われる気比神社の祭りに使う山車の人形の着せ替えをしてました。
本物の甲冑だそうです。
石舞台古墳は、奈良県明日香村にある古墳時代後期の古墳で、国の特別史跡に指定されています。
元は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていたが、その土が失われ、巨大な石を用いた横穴式石室が露出しているという独特の形状をしています。
天井石の上面が広く平らで、まるで舞台のように見えるその形状から古くから「石舞台」と呼ばれています。
0数個の岩の総重量は約2300トン、特に天井石は約77トンとかなりの重量で、造られた当時の優れた土木・運搬技術の高さがうかがわれます。
被葬者は明らかではありませんが、7世紀初頭の権力者で、大化の改新で滅ぼされた蘇我入鹿の祖父でもある蘇我馬子の墓ではないかといわれています。
石舞台についてチャットGPTで尋ねると上のような答えが返ってきました。
暑い中ぜーぜー言いながら坂道を登った先にあったのがこの石舞台
電動のチャリだからそれほどしんどくなかったが、この時期まあ暑いわ!
そんなネガティブな感情を吹き飛ばすかのようなデカい石舞台
岡山にも、むき出しの石室がある古墳を見たことがあるけど信じられないくらいデカい!
方墳なんだけど周りに堀まであるでっかい墳墓なんだね・・・中身は、なんもないけどw