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左手からの手紙

2024-04-13 00:00:00 | 自傷行為

 

わたくし、サンダー・ウルフは、長く自傷行為をしていました。

その理由のひとつは、「見えない心の傷を、身体の傷として表し、『手当て』を現実的・具体的にしたかった」のです。

 

 

けれど、その傷跡は、今もハッキリと残り、消えることはない。

 

 

そんな左腕の『声』が、あるとき聴こえてきたのです。

 

 

以下に記すのは、当時のピチピチの文章だ。

 

 

ーー

 

【左腕】

 

「切断してしまいたいな」と思ったことがある。

思っただけだ。

でも、その時、わたしは、「精神的に切断してしまった」のだ。

 

 

いつも、自分の視界に入らないように。

いつも、誰かの視界に入らないように。

 

毎日、風呂で諦めて。

毎日、着替えで諦めて。

 

 

でも、悲しくならないように、「しょうがなかったよね」と、なけなしの気休めを集めて、自分を慰めた。

 

 

こんなに消えないものだと知っていたら、やらなかっただろうか……。

こんなことを考えても仕方がないけれど、たまに考える。

そして、「それでもやっただろうな」と、また諦める。

 

本当に、こんなことを考えても仕方がないのだが。

考える。

 

 

「切断してしまいたいな」と思ったことがある。

悩まなくて済むのだから。

悲しまなくて済むのだから。

楽なのだろうから。

 

だから、わたしは、「精神的に切断してしまった」のだ。

左腕の感覚だけじゃなく、悩みや、悲しみや、どうしようもなさ……そういう感情ごと、切り離してしまった。

 

心の一部を、切り離したのだ。

 

ピアノが弾けなくなった。

 

 

――

 

 

長年通っている、原キョウコさんのダンスセラピー。

 

いつものストレッチ。

 

 

ふいに、左腕の声が聞こえた。

 

「俺はここに居るけど」

 

とても静かな声だった。

 

「俺はいつもここに居るけど」

 

このとき初めて、わたしは自分の左腕を「わずらわしいもの」ではなく、もはや「無いものとしていた」ことを知った。

 

左腕は、いつも、いつも、いつも、踊りに参加してくれていた。

右手と絡み、頬をさすり、足を持ち上げ……いつもこの身体のために、いやわたしのために、……いや、ただ、ただ、そうすることが当然であるように、在った。

 

わたしは、咄嗟に謝った。

けれど、『謝る』ことも、ましてや『感謝』することも、違うような感じがした。

 

「俺は、ただ、いつも、ここに居るけど」

……左腕は、ただ意思を伝えてきた。

 

そして、そんな左腕の声に、頷ける柔らかさが、わたしの中に生まれていた。

 

今まで、頷くことができなかったのだ。

 

左手がこの身体とともにあることを、認められなかった。

 

久しぶりに、左手をちゃんと見た。

 

 

――

 

 

ともにある。

これまでも、これからも、ともにある。

ともにあることを、ただ、想う。

 

それだけで、よいのだった。

 

 

 

 

 

ーー

 

 


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