シャーマンの呼吸

自然と人を繋ぐ

シャーマンの弟子

身体感覚の言語化という矛盾を、愛して

2024-04-02 00:00:00 | 仮説・プロセス

 

緩みを『部分』から『全身』へ伝播させてゆく

意識して緩めた『部分』の脱力を、波のように『全身』へ響かせる。

顔の表情、頭の中、内臓のひとつひとつ……。

 

 

 

文章にすると、形のなかったものが徐々に輪郭を持つ。

ボーダーコリーが羊を集めるように、言葉で雲のような感覚たちを集めるのだ。

遠くにいた羊を、いざ間近で見ると、なにか気づくことがあるかもしれない。

同じように、感覚を言葉にしてみると、思いもよらぬことに気づくかもしれないのである。

 

カジュアルに言うと、次のダンジョンへの鍵を見つけるような感じだ。

 

では、何を言葉にするのか。

例えば、《腑に落ちた》体感である。

 

だがしかし、腑に落ちた体感は、えてして言葉にはならない。

 

言葉の領域ではなく、「身体感覚」で分かることだからだ。

それでも、ソレを言語化するのである。

《腑に落ちた》大切な感覚に、言葉という輪郭をもたせることで、身体感覚とのコネクトが強まるのではないだろうか。

 

 

 

 

追記

 

ずっと「恐れ」と認めることができなかった違和感を、「恐れ」だと受け入れてみることができて。

それによって、受け入れることができずに抵抗している状態だと、「なんとも言えない状態」なのだと気づいた。

そして、「なんとも言えないもどかしさ」を言葉にするんだな、とも思った。

 

 

 


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