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✦世界の王室✦

そっくりさん登場

時代はぐっと遡り、19世紀初頭に世界を牛耳っていた
2強国の長であった二人。



写真の左側がロシア最後の皇帝ニコライ2世で、
右側がイギリスの国王ジョージ5世です。
に、似てる・・・ このお二人がそっくりだったのは
歴史的にも有名な話で、従者もふたりの区別が
一瞬つかないほどだったとか。


                     ジョージ5世国王



                      ニコライ2世皇帝

それもそのはず、このお二人は従兄弟同士。
ジョージ5世の母はデンマーク国王クリスチャン9世の娘、
アレクサンドラ王女で、後にジョージ5世の父であるエドワード7世の
后になられた方です。
またニコライ2世の母親は、このアレクサンドラ王女の妹である
マリア・フョードロヴナなのです。

ロシア革命直後、イギリスに亡命を希望するニコライ2世一家を、
イギリスが政治的理由で受け入れられず、ジョージ5世からすると
痛恨の想いが残る哀しい永遠の別れが訪れます。
話はずれますが、ニコライ2世の母親であるマリア・フョードロヴナは
革命を生き抜き、ロシアから姉のいるイギリスに亡命し、余生は
故国デンマークで過ごされました。

そうして話はさらに飛びますが、このジョージ5世と
エリザベス女王の従兄弟であるマイケル・ケント公も
そっくりじゃないでしょうか?












  

コメント一覧

池田 雅史
https://cornerstoneblog.wordpress.com/category/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E9%9B%85%E5%8F%B2/
はじめまして. ジョージV世で検索して来ました.
近代ロシア史にはマリア・フョードロヴナという皇后が2人登場します. ひとりはご紹介のアレクサンドルIII世后で, 優柔不断な夫を支え, 宗務院長ポベドノスツェフへの支持を貫かせた, と言えば聞こえはいいですが, 反動政策の後ろ盾になってしまった人物. 彼女自身かなりの保守主義者であったので, ポベドノスツェフの専横を許し, 革命を不可避にしてしまったと言えます.
もうひとりは18世紀にパーヴェルI世に嫁ぎ, 19世紀に皇太后としてロシアに君臨したヴェルテンベルク公女. こちらは開明的な人物で, 社会福祉という概念をロシアに初めて持ち込み, 広く臣民から敬愛されました.
ロシア皇室は, 1人目のマリア・フョードロヴナによって臣民に近付き, 2人目のマリア・フョードロヴナによって臣民から遠ざかり, 滅びていったのでした.
管理人
ツシマ 様

政治的背景の複雑さ、イギリス国民の反感などで、非常に難しい状況だったのでしょうね。上に立つ人々には、こういう苦渋の決断というのも
ついて廻ることで、全てと引き換えにしていると言っても過言ではないかもしれませんね。
ツシマ
従兄弟同士は結構ですがジョージ5世がニコライ2世一家の亡命を拒絶したのは慙愧に堪えませんね。当時のイギリス国内でも厭戦気分が充満してクーデターか革命の可能性が示唆されていたという話もあります。それにしても大英帝国は世界中に植民地を保有していたのですから、英本土でニコライ2世一家を受け入れるのが無理ならカナダ、オーストラリアやニュージーランド、それでもだめならインドや南アフリカやフォークランドかタスマニアにでも匿ってもよかったのではと思ってしまいます。せめて子供たちだけでも逃がせなかったのでしょうか?。
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