詩の自画像

詩は一部まだ未完成のも含まれております。ある程度推敲したものを掲載しますが、再校正を何回か必要なものが多くあります。

七年目の桜

2017-02-22 08:03:52 | 日記
七年目の桜


七年目の春が来る
七年目の桜が咲く

七年前までは
桜の木の下で隠れん坊をしていた
あの日の鬼は誰だったのか
鬼だけを置いて逃げた日

古里は七つも歳をとった
私たちも同じく七つ歳をとった

あの年に生まれた子どもは
もう小学生
桜の花咲く門をくぐれたのか

放射能対策として
桜の木を切り倒して放射線量を下げた
その後に桜の木を植樹していった
桜の木も七歳になったが
桜の花咲く門にはまだまだ遠い

小学校の入学式や卒業式には
桜の木と桜の花がなくてはならない
校長先生のお話を
子どもたちと一緒に聞くのだ

小学校が完成した時
桜の木を植樹したが大木になっていた
春には卒業生を送り出し
そしてピカピカの一年生を笑顔で迎えた

その下で写真を何枚も撮った
笑顔の中には
未来の希望まで映っていた

桜の木を切り倒すことになったとき
卒業生はアルバムを開いて
桜の木をもう一度記憶し
偲んだという

七年目の春が来る
七年目の桜が咲く

古里は七つ歳をとった
私たちも同じく七つ歳をとった

まもなく入学式と卒業式の日が来る
桜の木は少し小さいが
今年から子どもたちと並んで
校長先生のお話を聴くことにした

(未完成)

2017-02-21 08:00:39 | 日記




死者の魂を乗せた舟が陸地を泳いでいる

ゆらりと沈んだ先で戻れない者は

呼ぶ声の方へと来るのだが

読経を終えた辺りからもう近づくことはできない



砂浜には落胆した知恵がこぼれ落ちている

貝殻が渦を巻き轟音を残して吞みこまれていった

舟は溺れるような姿勢で陸地を泳ぎながら

その周りを何度も循環している



立ち尽くすこの場所は昨日までは生活の場所だった

合掌すると

食卓の匂いが賑やかな声とともに戻ってくる

思い出を飾った写真の位牌に新しい名前が書き込まれた

骨壺の中には誰もいない



ひんやりとした海風がどこからともなく吹いてきた

約束とは陳腐なものだ

長い読経が終わるともう舟はその中でしか泳ぐことはできない



呼びかけてみて手に触れるものが温もりであっても

それは気配なのだ

ここまでが限界なのだと死者の魂を乗せた舟が揺れている

酔いながら大きく揺られている



*詩集「ふくしまという名の舟に乗って」に掲載した作品を一部改訂

挨拶状

2017-02-15 09:33:14 | 日記
挨拶状



喪中の挨拶を書いていたら、住所の中に私の名前が紛れ込んでいた。
パソコンで住所と名前を打ち込み、その後に少し考えて挨拶分を入れるのだが、いつの間にか 分からないようにそっとだが、 
その中に紛れ込んでいたことが、小さな棘のように引っかかる。

いつ紛れ込んでも不思議ではない年齢なのだが、
これは気付きなのだとすれば 大きな気付きでないといいのだが。
こういうことは、単なる間違いだと思っても、心の中ではそうではなく、大きな事件のようになっていく。

その一枚は特別扱いとして少し放して置いた。
もう心の中には、その原因探ししかない。パソコンも背中を押し同期するように、その辺りをぐるぐる回っている。
原因不明のまま残りの挨拶状は印刷されていく。

その原因を探ろうとすると、本来の目的から少しずつ離れていく。こういう場合は他人の一言が効果的なのだが、喪中の挨拶分とその印刷、第三者が入る余地はない。
心配だけが大きくなるだけだ。
一枚見つけた時、心の中に割り切りの付箋を貼付した筈なのだが。

日常の中で、こんなことはないだろうか。誰にでもあっておかしくないことが、自分だけの出来事に入れ替わってしまう。小さなものにもドキリと反応するからまた一枚狂って打ち出しされる。このような挨拶状を書くときは、
心に言い聞かせる言葉を見つけてから、始める必要があるのかも知れない。

全てが打ち終わってから、住所と名前を確認するのだがこれは一度でいい。
心配が残ったままだと二度三度と確認するようになる。
人生には必然性と偶然性があるのだから、挨拶状も偶然性の中にあっても不思議ではない。後味の悪さは残るだろうが。

紛れ込んだ二枚の内の一人の身内から、夜遅くに電話が入った。
お風呂に入っていた叔父がお風呂の中で急死したという。これもまさしく偶然なのだが
ここから思考が騒ぎ始める。挨拶状一枚で大騒ぎになるときがあるから、小さな棘はより慎重に取り出し、後味まで残してはならない。

夕焼け色

2017-02-14 17:13:08 | 日記
夕焼け色


夕焼けの色は
子どもたちが背負う
ランドセルに
跳ね返って戻っていく光のような気がする

学校が終わると
ランドセルが左右に揺れながら走ってくる
希望の光は
そこで跳ね返り戻るのだ

それが夕焼け色だ
子どもたちが覚えたばかりの歌の色もある
間違えた音符に載っているから
真っ赤になって笑うしかない

昔のランドセルは
丈夫な布の色あせた手作りのカバンだから
光が跳ね返る場所がなかった
それでも疑似ランドセルにはなれた

あの時代は
みんな貧しかったが得たものは多かった
私の夕焼けの色は
子どもや孫とはまた違う

それでも立ち止まって見上げる角度には
そう大きな違いはない
疑似ランドセルに
跳ね返って戻っていった光がある

その光をじっと見ていると
夕焼け色は涙の色をそっと出してきたりする
夕焼けの色にも
表と裏があるのだ

夕焼けの色は
子どもたちが背負う
ランドセルに
跳ね返って戻っていく光のような気がする

それが今と昔の違いがあっても
希望の光には変わりはない
夕焼け色の表と裏を意識することなく光が
今日も跳ね返っていく

消さない

2017-02-13 14:01:32 | 日記
消さない


消しゴムで消さない
既に書いた詩の上に
もう一度新しい詩を書いていく
前の詩を消さない

脳内の原稿用紙に
昔は鉛筆で詩を書いた
消しゴムで消す時間ばかりが長く
詩は完成しなかった

そんな反省もある
それからだ 消さないで
その上に上書きするようになった
上書きの上に
また上書きをしていく

みんな錯覚だから
どれが新しい詩なのか分からない
原型などどこにもない
それで詩が書けたとは

今はパソコンに
直接文字を打ち込む
中に入って吹き消すことはできないが
削除機能は欠かせない

一度書いた詩は消しゴムでは消せない
新しい詩ができても
削除機能は
消したがっているが

タイトルがあって
その詩の原型ができ上ってくると
原型が跡形もなく崩れて
また蘇生する

パソコンを使い始めると
山積みの原型を崩して
蘇生することを覚え始めるから
そこを行き来する

消しゴムで消さないで
新しい詩ができあがっている
いつもそんな感じだ
削除機能が笑っている

時代が違うのだ
どこかで納得させていく
使い方次第なのだが
合っているかも知れない

カーナビ

2017-02-12 08:35:35 | 日記
カーナビ

            

カーナビから元気な声が消えてしまった

東日本大震災時の大津波により
被害を被った場所に来ると
復興前の道順でしか案内できないのだ

だからその場所に来ると
記憶の道順をくるくると回るしかない
覚えていたものが大きく変わってしまった

その海岸線にあったものは
根こそぎ流されて傷つき痛みだけが残っている
ブルドーザーが
その大地を削り均しているのだが
まだその痛みの中だ

どこまで削り取ればいいのか
もう一度立ち上がる為には
その痛みを早く立ち切らなければならない
断ち切った痛みは
誰も知らないところに捨ててしまおう
そこから希望が立ち上がる筈だ

カーナビの声が元気になれないでいる

防潮堤の高さは七メートルを超えた
斜めの角度から見ると
刑務所の塀のようだといった人がいる

その人は
見てはならない角度から防潮堤を見たのだ
震災後には
そんな角度があちらこちらにある

だからどんなに小さなものでも
ぽとりと落とす言葉には配慮が必要なのだ

カーナビは同じ場所をくるくると回っているが
疲れたとは言わない
カーナビの頑固さが救いだ

消さない

2017-02-11 16:21:31 | 日記
消さない


消しゴムで消さない
既に書いた詩の上に
もう一度新しい詩を書いていく
前の詩を消さない

脳内の原稿用紙に
昔は鉛筆で詩を書いた
消しゴムで消す時間ばかりが長く
詩は完成しなかった

そんな反省もある
それからだ 消さないで
その上に上書きするようになった
上書きの上に
また上書きをしていく

みんな錯覚なのだ
どれが新しい詩なのか分からない
原型などどこにもない
それで詩が書けたとは

今はパソコンに
直接文字を打ち込む
吹き消すことはできないが
削除機能は欠かせない

一度書いた詩は消しゴムで消さない
新しい詩ができるまで
削除機能は
消したがっているが

タイトルがあって
その詩の原型ができ上って
原型が跡形もなく崩れて
また蘇生する

パソコンを使い始めると
山積みの原型を崩して
蘇生することを覚えるから
そこを行き来する

消しゴムで消さないで
新しい詩ができあがっている
いつもそんな感じだ
削除機能が笑っている

時代が違うのだ
どこかで納得させていく
使い方次第なのだが
合っているかも知れない

津波の跡

2017-02-11 12:15:20 | 日記
津波の跡


この海岸線は平たん地だったので
震災時の津波被害は大きかった
津波は村落の真ん中を横切って山際まで押し寄せて跳ね返った
古くなった防潮堤などは数メートル単位に切り取られ
山々に激しくぶつかった

逃げ遅れた高齢者は海岸線の砂地に南無妙法蓮華経と書いて
引き潮に身を委ねた
あの轟音は空から降りてきたものではない
水平線が立ち上がって海岸線に向かって落下する音だった
地響きに歩くこともできず海岸線に転んだ

長い時間だった筈だ 記憶を無くした時間は
周りの風景は真っ黒になって轟音の中に沈んでいった
南無妙法蓮華経と唱えた人は
その中に魂だけは入っていくことができたのだろう
そのお寺さんの本堂は目の前で津波が止まった

あれから六年が過ぎようとしている
砂地に書いた南無妙法蓮華経の文字は今も残っている
そこに手を合わせるとその時のことが蘇ってきて
多くの悲鳴や叫び声が周りの砂を動かしていく
サラサラとした砂浜の優しさはもうない

今村落の跡地にはところどころに季節の花が咲き
山が切り崩されて住宅地に生まれ変わろうとしている
移転を拒む住民もいて村落の跡地の一部はかさ上げされた
そこに住居を新築するらしい
津波被害を被った中学校は全て取り壊された
古時計が記念として残ったが寂しく時を刻んでいる

海岸線の真新しい防潮堤は七メートルにもなる
見る角度によっては海岸線の先が見えない
刑務所の塀のようだと無神経な発言をしたものがいる
見る角度が悪いのだ
よそ様の言葉にいまだに傷つく
小さな言葉一つにも配慮が必要なのだ


孤独

2017-02-11 11:42:05 | 日記
孤独



孤独ってそんなに重いもの?
と 質問された



毎日が孤独だから重さなど
あってもなくても同じだよ

とは 子どもたちには言えない

少し人生の先輩として
何か一言を付け加えて話をしたい

孤独に飽きて来た頃だし
孤独の輪郭がある程度つかめたし

タイミングのいい質問だ

それぞれが違うものであっても
同じように一括りにして説明しても
大きな間違いとはならないだろう

震災後の被災者の心は
みんな一様に暗くて重かったが
その重さはグラムなどの単位で
量ることはできない

そこに沢山の葛藤も加わったから
その整理には時間がかかった

孤独を一つずつ取り出し
どれが重いのか どれが軽いのか
どのような重さなのか

混乱している中で分類するから
分類の糸に絡まるばかりだった



孤独の重さには大小があるんだよ
人それぞれ違うから
大きさだけでは決められないんだ

泣くだけ泣いて
すっきりしたとき重さは同じでも
心の中が軽くなるよね
それと同じだよ

分かるかな?
孤独は比較するものではない
と いうこと

震災後から丸六年になると
もう心は孤独の真ん中にいるから
孤独は生きているんだよ

みんな少し前屈になっているね
まだ孤独を背負っているんだよ

縁側

2017-02-09 09:13:40 | 日記
縁側


雪の中に花の芽を隠す
悪戯ではない寒さに弱いから
朝陽のでるのを待つ
二日も三日も待つときがある

じっと温もりを蓄える
そんな時間を縁側から学び取る
年老いた姿になっているのに
気が付いていないのだ

親父もお袋も
大叔父も大叔母も雪の日に
縁側に座った
そしてしばらくして旅立った

冬の雪は溶けなかった
朝陽はときおり姿を見せるが
花の芽を隠した雪の上を
足音を付けずに歩くだけだ

二月という季節と
糸電話で話している姿があった
残りの月日の情報交換なのか
すぐに電話は切れたが

滅多に降らない雪が
昨夜から降り続いている
子どものはしゃぐ姿はどこにもない
一Fのメルトダウンからだ

親父もお袋も
大叔父も大叔母も縁側にはいない
大分冷え込んだので
神棚の中に戻った

次は自分の番だと分かっている
それがいつなのかは
誰も分からないから
生きることに集中できる

雪の中に花の芽を隠した
今年初めてのことだ
あと何回続けば縁側に座るのか
深く考えることはやめた

*一Fとは東京電力福島第一原子力発電所のこと