つらつら日暮らし

『釈氏要覧』巻下「盂蘭盆」項参究2(令和5年度「盂蘭盆会」の学び2)

本当は、8月を盆月として、盂蘭盆会の記事を書こうと思っていたが、他の記念日の記事で埋め尽くしてしまったので、ようやく昨日から記事を書き始めた。なお、これまで、注目はしていたが、記事を書いたことが無かったので、『釈氏要覧』巻下「盂蘭盆」項を学んでみたい。

○古師云く、盆、或いは是れ鉢なり。但だ訳す時、俗称の盆に随うのみ。盆と之れ鉢と、皆、器なるが故なり。経に云く、是れ仏弟子の孝順を修する者、応に念念中に常に父母を憶うべし。乃至、七世の父母、年年の七月十五日、為に盂蘭盆を作し、仏及び僧に施し、以て父母の長育慈愛の恩に報ゆ。
    『釈氏要覧』巻下「盂蘭盆」項


ここでは、「古師云く」ということになっているが、典拠は圭峰宗密『盂蘭盆経疏』巻下で間違いないようだ。それから、後者の「経に云く」の部分は、『盂蘭盆経』の末尾に当たる。両方とも、ここは典拠がハッキリ理解出来た。

ということで、このままだと、記事の展開が無いので、どうするかな?続きの文章も見ておくかな。

○晋の沙門恵達、姓は劉、名は薩何なり。年二十一にして忽ちに暴死す。心熱を以ての故に、家人、未だ即ち之を葬わず。七日を経て、乃ち蘇りて説くに、冥間に一人を見る。長さ二丈許、相好は厳麗にして、身、黄金色なり。使者、之を報じて、此れ観世音大士なり、と。達、礼し畢りて、菩薩、為に説法す。又た云く、凡そ亡人の為に福を設く。或いは寺に在りて、或いは家中にして、七月十五日の沙門受臘の日に於いて、此の時、弥よ勝れたり。若しくは器を割りて供養するを以て、標題に云く、某甲、亡人某甲の為にす。
    同上


ということで、こちらは、2つの内容から成立しているが、最初は、沙門の惠達という人が一度急死したところ、死後の世界で観世音菩薩に会って生き返った話である。その説法の内容が、亡者のために福を得る機会を設けることを説いているのか?と思いきや、少し違うようである。

とはいえ、7月15日の、沙門の受歳の日に亡者を供養することが良いということになり、これが盂蘭盆会の話である。それにしても、この項目、話は単純かと思っていたが、そうでも無いな・・・

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