つらつら日暮らし

『彼岸弁疑』を学ぶ①(令和6年春彼岸会2)

さて、今季の彼岸会は、『彼岸弁疑』という文献を学んでみたい。本書について、拙僧の手元には数年前から、正徳6年(1714)版の明治期後刷本があったのだが、ようやく蔵書から探り出したので、今年は採り上げてみたい。

ところで、本書は著者不明であると思われるが、『浄土宗経論章疏録』巻下「著述者年表並小伝下」では「舒看」という人だとしているが、不明。それから、宗派は『浄土宗経論章疏録』に入っていることからも分かるように、浄土宗であると思われる。実際、今日の記事でも指摘するが、本書は浄土宗の『諸廻向宝鑑』という文献をまず批判しつつ自らの主張を構築していくので、宗派の判断に問題は無い。

また、「国書データベース」を見ていくと、本書の成立は「宝永7年(1710)」だとするのだが、それは本書冒頭の記述に依拠しているのだろう。それでは、本文を学んでおきたい。

宝永庚寅の春、年来知己の僧、遠方より来訪して柴戸を扣く。喜び迎へ青眼にして清話落日に及ぶ。尚因に二季の彼岸を勤る来由を討論す。彼僧、専ら偽造の経論を閏色し末学の鼓説を所拠とす。止、彼僧のみにあらず。辺夷無智の輩は多く以て如然なり。嗚呼如来金口の誠説を棄置して小家諍々の語を信用する事、恰も燕石を以て珠玉に濫するに似たり。一人の虚を以て百千万人に伝へ、衆多の人を迷乱せしむ。豈悲まざるべけんや。予は実に菽麦をだも弁ぜざれも、護法の小志不得止して、聊か管見を述し名て彼岸弁疑と云ふ。同志の見ん者、雌黄修飾の筆を下さば、是亦大幸ならん。
    『彼岸弁疑』巻上、1丁表~裏、カナをかなにするなど見易く改める


さて、先ほど挙げた「宝永7年」という年次は、この「宝永庚寅」に該当する。ただし、良く見てみると、あくまでもその年次以降に成立したことが推測されるのみで、実際の成立年次では無いことは注意しなくてはならない。

その様子は上記内容を簡単に訳しながら見ておきたいが、まずその宝永庚寅の春に、以前から知り合いだった僧侶が遠くから来て、「柴戸(柴を編んで作った庵の戸で、粗末な様子)」を叩いた。よって、著者はその僧を歓迎して、「青眼(自ら好む人を迎えた時に現れる目元のこと。反対語は「白眼」)」でもって、日が沈むまで「清話(一般的には世俗を離れた高尚な談話[清談]を指すが、この場合は仏教の話を指す)」をした。

その中で、二季(春と秋)の彼岸会についての話になったが、その客僧は彼岸会について、偽造された経論を「閏(潤)色(事実を誇張したり、勝手に作り変えること)」しつつ、「末学(後代の学者のこと)」の「鼓説(太鼓を打つように派手に主張された説のこと)」を典拠にしていた。しかし、ただその客僧だけではなく、インドから遠く離れた日本の無智の僧侶は、同じような様子であった。

著者はそれを歎いて、如来の金口から発せられた真実の教えを捨て置いて、「小家諍々(小さい家の者が、自らの権利などを主張して無用に諍いを起こすこと)」のような言葉を信用するのは、あたかも「燕石を以て珠玉に濫するに似たり(魚目燕石のことで、似たような偽物を本物だと勘違いすること)」だとしつつ、その偽説を信じた一人が百千万人に伝え、多くの人を混乱させるとしたのである。

この辺は、現代のネット環境では、本当に注意しなくてはならない。まぁ、どこまで溯るか?という問題を残しつつも、基本、典拠の無い、或いは不明な教えは使わないことが望ましい。

さて、『彼岸弁疑』の著者は、自分は「菽麦も弁ぜず(豆と麦の違いも付かない愚かな様子)」と謙遜しつつも、護法の念に基づいて、管見を記して『彼岸弁疑』とした。もし、自分の同志の者であれば、「雌黄修飾(雌黄とは石黄のことで、古来誤字にはこの物質を塗って改めたという。いわば、修正液・修正テープのことである。よって、雌黄修飾とは、誤字や誤記を修正して欲しいと願うこと)」してくれれば、大幸であると願ったのである。

今日はまず、『彼岸弁疑』という文献の紹介のみだが、明日からは少しずつ内容を読んでいきたい。

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