つらつら日暮らし

「第一官律名義弁」其二(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・2)

今回から、釈雲照律師『緇門正儀』の「第一官律名義弁」の内容を見ておきたい。なお、これは【前回の記事】でも採り上げたように、「今略して、僧に位官を賜ひし和漢の官名、職名及び初例を挙示せん」とあって、職名の意味というよりは、任命された最初の事例を挙げることを目的としているようである。よって、この連載では、本書の内容を見つつ、各役職の意義については、当方で調べて、学びとしたい。

一 昭玄都
 後魏の世宗宣武帝、詔に曰く、緇素既に分かれ、法律亦異なる、其れ僧尼殺人、以て上の罪を犯すれば、俗格に依りて断ず、余犯は悉く昭玄に付して、内律僧制を以て之を判ぜよ〈景明年中、帝新たに之を撰す〉、是より先、僧尼猥乱なり、崔暹〈字、李倫〉奏して、科條篇を設け、沙門法上を昭玄都と為し、以て之を𢮦約せしむ。
    『緇門正儀』2丁表、訓読は原典を参照しつつ当方


さて、これが最初の項目となっているのだが、いきなり聞いたことが無い役職の「昭玄都」であった・・・なお、本書を見てみると、「昭玄統」という役名も確認されるので、「昭玄」だけで一つの意味を持っていた可能性が高い。「玄」は「黒」の意味なので、黒衣たる僧侶の行いを明らかにし、管理する役目、というくらいの意味であろう。

それで、上記一節について、雲照律師は「以上、僧史畧に見ゆ」(本書8丁表)としているが、『大宋僧史略』から引用されたことが分かる。特に上記項目については、巻中「道俗立制」からだったようである。そこで、色々とややこしいのだが、「道俗律制」を見ていくと、僧侶側が独自に「律制」した場合と、俗人側が同様に対応した場合とある。そして、「道俗律制」ではそもそもとして、「仏法流行す、時に随いて制断し、毘尼の縄紏に合す」としていて、「制断」という判断と「毘尼(律)」とを合わせているとしたのである。

そのため、「道俗律制」の項目では、「則ち道安を僧制の始と為すなり」として釈道安が僧衆のために3つの規則を定めたことをもって、「僧制の始」と判断したのであった。しかし、このことは、上記の『緇門正儀』には出てこない。何故ならば、僧侶の側で定めたことだからであり、「官律名義弁」で明かそうとしているのは朝廷・官僚側で定めたことだからである。

よって、後魏(一般的には北魏)の世宗・宣武帝(在位は499~515年)が上記の通り「昭玄都」を定め、沙門法上を任命したことが説かれているのである。また、上記検討の結果、何故「昭玄都」が最初なのかも理解できた。つまり、この役目こそが、僧官としての最初だったと判断されたのであった。

なお、上記一節で何を言っているかというと、北魏の世宗が詔でいうには、出家と在家とでは、法律が異なっているけれども、僧尼であっても殺人罪、あるいはそれに準ずるような罪を犯せば、俗格(世間の法律)に従って、処断するとしつつ、それほどでもない罪の場合は「昭玄」に知らせ、律に従って罰するように、としたのである。実態として、この詔が出る前までは、僧尼達の振る舞いは堕落しており、僧尼への規定などが作られ、また、沙門法上を昭玄都として、対応させた、としているのである。

それで、続く語句も紹介おきたいが、上記内容でも結構長くなってしまったので、急がずに次回以降見ていきたい。

【参考資料】
釈雲照律師『緇門正儀』森江佐七・明治13年

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