それで、以前の記事では奈良時代の制定された僧侶への位階である【四位十三階】を論じたのだが、詳細を『緇門正儀』で載せている内容から検討してみたい。
僧綱位階
一 法橋上人位〈律師相当〉
貞観六年二月十六日真慧・道昌・常暁外八人之に叙す。
一 法眼和尚位〈僧都相当〉
同日真紹外二人之に叙す。
一 法印大和尚位〈僧正相当〉
同日真雅之に叙す。
同年三月廿七日大師に追贈す。
真雅表〈追加〉
貞観六年二月十六日癸酉、僧綱位階を制定す。詔して曰く、国典に載する所の僧位の制、本と三階有り、満位、法師位、大法師位、是れなり。僧綱・凡僧、同じく此の階を授く、位号分かたずは、尊卑別無し、之が物意を論ずるに、実に然るべからず。仍て彼の三階の外、更に法橋上人位、法眼和上位、法印大和尚位等の三階を制して、以て律師已上の位と為す。宜しく法印大和尚位を僧正階と為し、法眼和上位を僧都の階と為し、法橋上人位を律師の階と為すべし。〈以上、三代八〉
『緇門正儀』12丁裏~13丁裏
「僧綱位階」について、特に「法橋・法眼・法印」についての話である。貞観6年とあるので、平安時代初期の864年のことである。そして、上記の「詔」だが、『日本三代実録』巻8に掲載されている。
そして、元々僧位としては、満位、法師位、大法師位とあったが、これを優れた「僧綱」及び、「凡僧」を分けずに授けてしまっているため、本来の意義を考えると良くないと判断され、よって、法橋・法眼・法印を定めつつ、それを「律師已上」とし、「僧綱」の位置付けを明確化したことが分かる。
つまり、本来の僧位の授与が混沌としたため、新しい僧綱位階を定めたという話なのである。なお、「凡僧」について、和田英松氏が「僧綱に対して、そのほかの僧を申したもので、無官のものをいったのではない」(『新訂官職要解』364頁)と注意喚起している。拙僧も、ろくでもない僧侶のことかと独断してしまっていた。
ところで、後の時代になると、これら法橋などは芸術家などにも与えられている。その経緯などは、ちょっと調べただけでは分からないので、また機会を見つけて検討してみたい。
【参考資料】
釈雲照律師『緇門正儀』森江佐七・明治13年
和田英松著・所功校訂『新訂官職要解』講談社学術文庫・1983年