つらつら日暮らし

春の彼岸会 御中日(令和6年版)

今日は春の彼岸会の御中日である。ところで、現在用いられている新暦での「春分の日」は、毎年大体これくらいの日付になるが、旧暦の場合は以下の通りであった。

・旧暦の春分:2月中(2月後半)
・旧暦の秋分:8月中(8月後半)


現代は、太陽暦であるので、春分も秋分も毎年にそれほど大きな日付のズレは起きないそうだが、旧暦の「太陰太陽暦」の場合、数日から10日以上のズレも起きたそうである。これは、毎月の日付を月に合わせており、年単位で太陽との関係によるズレを解消していくため、当然というべきか。

さて、今日は御中日であるので、簡単に彼岸会の説法などを見ていきたいと思うのだが、おそらく、曹洞宗関係者で、最初に彼岸会を論じられたのは、高田道見先生による『彼岸の由来』(国母社・1895年)であったと思われる。これは、同書冒頭にも書いてある通りで、本書のために講話されたのでは無くて、『通俗仏教新聞』に掲載された記事をまとめたものであったらしい。また、明治28年3月に刊行された通り、春彼岸に因む記事とはなっているが、秋彼岸にも共通する内容を見てみると、以下の一節を見出した。

又盆正両彼岸と唱へ、春秋二期の彼岸は盆正と同様に大切なる時と心得、成る可く身を慎み心を戒めて善事となす事に心を寄せ、或は墓参り、お寺詣りをしたり、説教法談などを聴聞に出掛る老若男女もあり又はお寺の坊様を自宅に請待して先祖の御回向を頼み、且つ説法の一席も御依頼申して何角と取り揃へて御供養を申すなど、是非とも彼岸の仏事は勤めにやならん事として先代よりの掟通りに致し居れども……
    『彼岸の由来』1~2頁


高田先生は、彼岸会中の過ごし方を「成る可く身を慎み心を戒めて善事となす事に心を寄せ」とはあるが、本来の彼岸会とは、このことであった。まさに、諸悪莫作・衆善奉行としての彼岸会である。然るに、それに続いて「或は墓参り、お寺詣りをしたり、説教法談などを聴聞に出掛る老若男女もあり又はお寺の坊様を自宅に請待して先祖の御回向を頼み、且つ説法の一席も御依頼申して」とあるが、これは、明治時代以降の新常識であったのではなかろうか。江戸時代の江戸では、「六阿弥陀参」が流行っていたようだが、これは寺詣りではあるが、墓参りではあるまい。

抑も春秋二期に七日ツヽを以て彼岸と定め、仏教信者の悪を慎み善を求むる事となりたるは、何にも天竺や支那から始まつたのではなく、全くこれは日本に於て始まつたのであります、
    『彼岸の由来』5~6頁


このように、高田先生も彼岸会の由来が日本にあることを示しておられる。これはどうも、明治時代には既に常識になっていた印象である。更に、宮中での彼岸会が、民間でも行われるようになった理由については、以下のように解説されている。

今日の様に在家の人々が出家を負すほどに研究する時とは違ひ、迚も仏教を老若男女までに及ぼす方便がないよりして、責ては盆彼岸と年忌葬祭等の縁によりてなりとも、一般に仏縁を結ばして遣りたいものじやとの方便に過ぎないのであります、それも出家の事なれば年中仏道の修行が出来るけれども、在家はそうは参らぬ、それぞれの家業や妻子眷属の仏事に碍へられて、平日不断に仏道の修行も出来ぬ事ゆゑ、一年に二度の彼岸とか、盂蘭盆会の時とか、年忌命日の時などを以て、善事を勤むる時節と定められたのであります、
    『彼岸の由来』6頁


これは、奈良時代の様子を高田先生なりに推測されたものであるが、その事実性についての批判は控えておく。拙僧なりに調べた限り、この見解について、明確な根拠といえるほどの文脈は、見当たらないように思う。ただし、この一節から、明治時代の仏教界の様子を知っておくべきだといえる。つまり、在家の方々であっても、その気になれば仏教の研究が出来るようになった。いや、これはもしかすると正確では無いかもしれない。江戸時代には、黄檗版などの大蔵経が刊行されているのだから、その気になれば入手が出来たはずだ。そうなると、勉強が出来るかどうか、という点は大きな問題ではなくて、その結果を世に出せるかどうか、という観点で見た方が良かったはずなのだ。

つまり、明治時代に於いては、在家の方であっても、仏教に関する研究を行い、新聞・雑誌に投稿したり、書籍を上梓したりして世に問うことが可能になった、ということなのだろうと思う。江戸時代までも、仏教を勉強した在家者はいたが、例えば石田梅岩のような「石門心学」にしたり、富永仲基のように、儒学者の立場から言説を組み立てるなどはしても良かったが、それ以外、中々難しかったのだろうと思うのである。個人的には、『諸宗寺院法度』では、新規の説を主張することを否定したが、これが在家者に適用されたのかどうかが気になるのである。多分、適用されていない。でも、一般の在家者による仏教書も、市場が存在していなかったのではなかろうか。

それで、拙僧的に高田先生の説を強調させていただくとすれば、「(在家者は)平日不断に仏道の修行も出来ぬ事ゆゑ、一年に二度の彼岸とか、盂蘭盆会の時とか、年忌命日の時などを以て、善事を勤むる時節と定められた」という指摘は、その通りだと思う。拙僧どものような、専門的に仏教を学ぶ機会を得た者であれば、常日頃仏典・祖録を学び、坐禅を勤めたりしている。当たり前のことだ。だが、そうはならずに、普段は仏教との縁が無い人(実際に持ちたいと思っている人はどれくらいいるのだろうか?)へ、こういう特別な期間があると知らしめるのは良いことだ。よって、拙僧も彼岸会に記事を書くのである。

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