つらつら日暮らし

『瑜伽師地論』に見える四種他勝処法について

どうしても、現在の拙僧どもからすると、『梵網経』を重視してしまうことになるのだが、実際の菩薩戒の参究となると、『瑜伽師地論』(及び同論と同系統の各種訳本)を参照しなければ話にならないわけで、細々ではあるが、先行研究を含めて色々と見るようにしている。

その上で、『瑜伽師地論』に於ける「四種他勝処法」を見ていくと、「菩薩戒」の位置付けが理解出来るように思う(先行研究として佐藤達玄先生『中国仏教における戒律の研究』木耳社・1986年、347~360頁参照)ので、その辺を見ておきたい。まず、「四種他勝処法」とは、以下の通りである。

 其れ四種他勝処法有り。何等とか四と為すや。
 若し諸菩薩、欲貪の為に利養恭敬を求めれば、自讃毀他す。是れを第一他勝処法と名づく。
 若し諸菩薩、資財有るを現すれば財を性慳するが故に、苦有り貧有り依無く怙無く、正に財を求むる者、来たりて現在前すれども、哀憐し而も恵舎を修むること起こらず。正に法を求むる者、来たりて現在前す。法を性慳するが故に、有法を現ずると雖も、而も給施せず。是れを第二他勝処法と名づく。
 若し諸菩薩、是の如き種類の忿纏を長養す。是の因縁に由りて唯だ麁言の便ち息むを発起せざるのみ。忿蔽に由るが故に、加えて手足塊石刀杖を以て捶打し有情を傷害損悩す。内に猛利忿恨の意楽を懐き、違犯の他、諫謝に来たるも受けず、怨結を忍ばず捨てず。是れを第三他勝処法と名づく。
 若し諸菩薩、菩薩蔵を謗ず。宣説開示し建立した正法に似たるの像を愛楽し、法に似たるの像に於いて、或いは自ら信解し或いは他の転ずるに随う。是れを第四他勝処法と名づく。
 是の如きを名づけて菩薩四種他勝処法と名づく。
    『瑜伽師地論』巻40「本地分中菩薩地第十五初持瑜伽処戒品第十之一」、『大正蔵』巻30・515b


要するに、これらを分かりやすくいうと、後の『梵網経』に於ける「十重禁戒」の後半4つ、「不自讃毀他戒」「不慳法財戒」「不瞋恚戒」「不謗三宝戒」に該当する。また、「他勝処法」というのは、「菩薩戒を他のために説く際に、自ら勝れているとされること」であるというから、この4項目が菩薩戒の特質であるといえる。よって、一見して分かりにくいかもしれないが、後述するようにこれらの4つのことをしないことが菩薩であるということになる。

我々は現代でも、「十重禁戒」を通して、この「他勝処法」を受けているので、余り気にする必要はないといえる。それで、今回拙僧がこれを採り上げようと思ったのは、「四種他勝処法」が、菩薩に必ず授けられるものだったからである。その典拠として、玄奘三蔵訳として位置付けられている『瑜伽戒本(菩薩戒経)』を挙げることが出来よう。同書では、上記4つの「他勝処法」について、以下のように示されている。

その羯磨の冒頭には、「若し諸もろの菩薩、戒律儀に住するに、其の四種の他勝処法有り。何等をか四と為すや」とあって、その後、「四種他勝処法」について、「四戒」と対応している。

・貪求利敬讃毀戒第一
・性慳財法不施戒第二
・長養忿纏不捨戒第三
・愛楽像似正法戒第四


なお、この「四種他勝処法」について、一戒でも破れば、「菩薩の広大菩提の資糧を増長し、摂受するに堪能ならず」とされ、また、「相似菩薩と為し、真の菩薩に非ず」(『瑜伽戒本』参照)としている。いわば、『梵網経』成立前に確立されていた菩薩戒の様子を知ることが出来るものとして、理解しておきたい。

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