つらつら日暮らし

「出家に三種偸有り」という話

あくまでも、律蔵への註釈書ではあるが、以下のような教えがあったので確認しておきたい。

 出家に三種の偸有り。
 一には偸形、
 二には偸和合、
 三つには亦た偸形、亦た偸和合なり。
 云何が偸形なるや。師無くして自ら出家し、比丘臘に依らず、次第に依らずに礼を受け、僧の法事に入らざるして、一切の利養を受けず。是れを偸形と名づく。
 云何が偸和合なるや。師有りて出家して十戒を受く。未だ具足戒を受けず。他方に往きて或いは十臘と言い、或いは二十臘と言い、次第に人の礼を受け、僧の布薩及び一切の羯磨に入り、次第に依り人の信施を受く。是れを偸和合と名づく。
 云何が、亦た偸形、亦た偸和合なるや。師無くして自ら出家し、次第に依りて臘を受く。一切の羯磨に入り、人の信施・礼拝を受く。是れを偸形、亦た偸和合と名づく。
    『善見律毘婆沙』巻17


まず、偸というのは、「偸盗」という言葉にもある通り、「ぬすむ」という意味を持つ。よって、上記の内容では、出家者としての「形」を盗み、「和合」を盗み、「形と和合」を盗むという3種類が指摘されている。

ただし、しっかり見ていくと、出家のあり方や、その内容にも3種類があることが分かる。まず、「偸形」のことだが、師無くして自ら出家するという。日本の奈良時代くらいであれば、「私度僧」などとも呼ばれたことだろう。そして、一切の利養(僧侶としての供養)を受けることが無かったことをいう。

それから、「偸和合」だが、これは師がいて、出家して十戒(沙弥十戒)を受けるが、未だ具足戒は受けていないという。よって、沙弥であり、比丘にはなっていないことが分かる。ただし、自分が沙弥になった地域では無い場所へ行き、そこでは「十臘(出家してから10年以上)」や「二十臘(出家してから20年以上)」であると自称し、礼拝なども受け、比丘達が行う布薩や羯磨(会議)などにも参加し、信施(布施)も受けることをいう。

そして、3つめの「偸形・偸和合」についてだが、これは、師無くして自ら出家し、しかし、臘も受けつつ、一切の羯磨に入り、人から信施(布施)も受けたという。要するに、以下の3つの違いがある。

・偸形:自称出家者だが、僧衆に入らない。
・偸和合:出家は正式だが、詐称して僧衆に入る。
・偸形・偸和合:自称出家者で、詐称して僧衆に入る。


以上である。

よって、『善見律毘婆沙』が編まれた頃には、比丘衆に混じる方法に幾つかの方法や種類があった中で、上記のように問題点が分類化されたのだろう。

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