つらつら日暮らし

盂蘭盆会に因んだ学び(令和4年度版3)

日本では一部地域で盂蘭盆会になったので、『盂蘭盆経』を勉強してみようと思ったのだが、その過程で面白い経典を見出した。特に、中国の大蔵経の目録である『開元釈教録』を見てみたところ、以下の一節があったのである。

報恩奉盆経一巻〈盂蘭盆経と同本なり〉
    『開元釈教録』巻3


ということで、『報恩奉盆経』というのがあるそうだ。確かに題名だけを見れば、「報恩に盆を奉る経」とあるから、「盆」に食事を載せて施食するような印象であろうか?それで更に調べてみたら、『大正蔵』巻16に入っていて、現代であれば容易に本文が見られるので、読んでみたわけである。

この『仏説報恩奉盆経』については、「亦た報像功徳経と云う」とも併記されているのだが、『盂蘭盆経』ではないのか?それから、『大正蔵』には「報像功徳経」という名前の経典は入っていないようなので、別名という理解が妥当ということになるのだろうか?しかし、それは本文を見てから決めた方が良さそうだ。それから、訳者は分からないようだ。

そこで、経典全体を訓読してみて、読んでおきたい。

 是の如く聞けり、
 一時、仏、舎衛国祇樹給孤独園に在り。
 大目揵連、始めて六通を得て、父母を度し、乳哺の恩に報いんと欲す。即ち道眼を以て世界を観視し、其の亡母の餓鬼中に生じたるを見るも、飲食するを見ず、皮骨の相、柱の連なるなり。
 目連、悲哀して、即ち鉢に飯を盛りて、往きて其の母に餉ぐ。
 母、鉢飯を得て、便ち左手を以て飯を障し、右手で食を摶めるも、食、未だ口に入らざるに化けて火炭と成り、遂に食することを得ず。
 目連、馳して還りて仏に白して、具さに陳ぶること此の如し。
 仏、目連に告ぐるに、「汝の母の罪根、深結なり。汝一人の力、奈何とする所に非ず。当に、衆僧威神の力を須いて、乃ち解脱を得べし。吾れ今、当に救済の法を説き、一切の難をして皆な憂苦を離さしむ」。
 仏、目連に告ぐるに、「七月十五日、当に七世の父母、厄難中に在る者の為に、糗飯、五果、盆瓫器に汲灌し、香油、庭燭、床榻、臥具を具え、世の甘美たるを尽くして以て衆僧を供養すべし。
 当に此の日、一切の聖衆、或いは山間に在りて禅定し、或いは四道果を得て、或いは樹下に経行し、或いは六通を得て飛行し、声聞・縁覚を教化し、菩薩大人権示して、比丘、大衆中に在りて、皆な共に同心に鉢和羅を受く。清浄戒を具え、聖衆の道、其の徳汪洋たり、其れ此等の衆、七世の父母、五種の親属を供養すれば、三塗を出づることを得て、応時に解脱し衣食自然たり」。
 仏、衆僧に勅して、「当に施主家の七世の父母の為に、禅定の意を行じ、然る後に、此の供を食すべし」。
 目連比丘及び一切の衆、歓喜奉行す。
    訓読は当方


これは・・・確かに『盂蘭盆経』だといっても良いほどに、似通っている。「同本」という指摘はその通りであるといえよう。いや、実はどこかで『盂蘭盆経』の多くを訓読していたと思いこんでいて、拙ブログの記事にあるかと思っていたら、これまでに作ったことが無いようなので、その内に全文を訓読して、見てみる必要があるといえよう。

話を『報恩経』に戻すが、全体としては『盂蘭盆経』に比べて1/3くらいだと思うので、かなり短くまとめられていて、ポイントとなるところのみになっているともいえる。つまり、全体として話が長くなっている『盂蘭盆経』よりも、こちらの経典の方が短くて、分かりやすい。いわば、盂蘭盆会自体の説明をするのなら、これだけで十分だと思える。

そして、本経の別名とされる『報像功徳経』については、意味が良く分からない、という話に終わってしまうのであった。それから、別の文献を見ていたら、他にも『盂蘭盆経』の異本があることが分かったので、それはそれで見る機会を設けてみたい。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へにほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「仏教・禅宗・曹洞宗」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事