つらつら日暮らし

無住道曉『沙石集』の紹介(最終回)

前回の【(最終章16)】に引き続いて、無住道曉の手になる『沙石集』の紹介をしていきます。

『沙石集』は全10巻ですが、この第10巻が、最後の巻になります。そして、第10巻目には「本・末」とあって、現在は「末」の部分、つまり最後の巻の最後の部分になります。末尾に付された「識語」の読解を通して、本書成立の経緯などについて、改めて確認してみたいと思います。

 この物語を書き始めたのは、弘安二年であった。その後、放っておいて、空しく2~3年が過ぎてから、今年書き継いで終わった。よって、前後で言葉が一致しないこともある。後の人が不審がるかもしれないので、これを記しておく。
    拙僧ヘタレ訳


前回の記事では、「述懐の事」の記事を紹介しながら、無住がこの本を、どのような想いで書いていたのかを見てみました。そこで、年号が「弘安六年中秋」とありましたので、1283年のことであり、無住が58歳の時となります。そして書き始めたのは、その4年前であることが上記一節から分かるのですが、間に2~3年ブランクがあるので、実質的には2年ほどで書いたということなのでしょう。

ただし、小学館の『新編日本古典文学全集』本の末尾には、無住関係の略年表が収録されているのですが、見てみても、上記の事柄を除くと、弟子による書写や刊行、或いは無住が裏書きをしたことなどが記されており、どうも、これらの結果、複数の異本が出来た、ということのようです。

ところで、古本には以下のような奥書があるようです。

また、同じことを重ねて書いたこともある。老後の忘却のためである。心有る人は、必ず添削をしてくれるように。
    拙僧ヘタレ訳


これはおそらく、先に挙げた奥書からかなり後に書かれたのでしょう。つまり、無住本人が文章を加えるなどしましたが、それがよくよく考えたら、かつて書いたところに同じ文章が見付かったのでしょう。58歳の時であれば、流石にまだこれは無いと思いますので、後での追記分だと判断いたしました。

ところで、この『沙石集』の連載記事は、2005年4月22日が最初でした。それから、足かけ14年でようやく読み終わった感じです。いや、最初の方の記事はとっくに忘れているのですが、たまに、何か世間の興味に引っかかったのか、多くのヒット数が稼げる場合もあります。ただし、拙僧の文章は、現代語訳しか載せていないので、余り検索上位でのヒットということはありません。とはいえ、後半部分はほぼ全文の現代語訳を付けておきましたので、ご参考になれば幸いです。

次回以降は、まだ何にするか決めていないのですが、可能であれば仏教説話系の何かを読んでみたいと思っております。もしかしたら、江戸時代になって編まれた『沙石集』類似本などが良いかとも思っております。

【参考資料】
・筑土鈴寛校訂『沙石集(上・下)』岩波文庫、1943年第1刷、1997年第3刷
・小島孝之訳注『沙石集』新編日本古典文学全集、小学館・2001年

これまでの連載は【ブログ内リンク】からどうぞ。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へにほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「仏教・禅宗・曹洞宗」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事