つらつら日暮らし

『大般若経』には何故功徳があるのか?

昨日アップした【正月の修正会についての雑考】でも申し上げたが、正月の修正会について、一部宗派では『大般若経』を読誦(転読)するけれども、それだけが法会としてあるわけではないことを指摘した。

一方で、何故、『大般若経』を、正月修法などで読むと功徳があるのか?その辺を説明する必要を感じたので、簡単に紹介しておきたい。

 然るに法師。此の経を翻ずる時、汲汲然として恒に無常を慮う。
 諸僧に謂いて曰く、「玄奘、今年で六十有五なり。必ず此の伽藍に於いて卒命することに当たる。経部甚大なり、毎に終わらざることを懼るる。努力するの人、勤懇を加えて、労苦を辞すること勿れ」。
 龍朔三年冬十月二十三日に至り、功畢りて絶筆し、六百巻に合成して、称して、『大般若経』と為す。
 合掌歓喜して、徒衆に告げて曰く、「此の経、漢地に縁有り。玄奘、此の玉華を来するは、経の力なり。向いて京師に在りて、諸縁牽き乱れるも、豈に了ずる時有らんや。今、終訖することを得るは、並びに是れ諸仏の冥加、龍天の擁祐なり。
 此れ乃ち鎮国の典、人天の大宝なり。徒衆、宜しく各おの踊躍欣慶すべし」。
    『大唐大慈恩寺三蔵法師伝』巻10


当方が、確か学生の頃に習ったのも、この記述に基づいた教えであったように思う。これは、長安(現在の西安)にあった大慈恩寺の三蔵法師、つまりは玄奘三蔵(602~664)の伝記である。そして、この一節が、『大般若経』の功徳の在処を示しているのである。

具体的には、玄奘三蔵は、『大般若経』を翻訳している時、あくせくするような様子であり、常に無常のことを考えていたという。そして、周囲にいる者達に「玄奘(私)は今年で65歳である。おそらくはこの大慈恩寺にいたまま亡くなることであろう。ところで、今、翻訳しているこの経典(『大般若経』)は膨大な量である。常に、翻訳し終わらないことを恐れている。努力する人は、熱心に働くことを想い、苦労を止めようとしてはならない」と励ました。

そして、龍朔3年(663)10月23日に、全ての経典を翻訳し終わり、それを600巻に編集して、『大般若経』とした。玄奘三蔵は合掌し、歓喜して、周囲の弟子達に告げて「この経典は、中国に縁があった。玄奘がこの素晴らしい経典を持ってくることが出来たのは、実はこの経典の力である。また、この首都にいて、様々な仕事を得たため、どうしてこの経典を翻訳し終わることが出来ようかと思っていたが、今翻訳し終わったのは、諸仏の隠れた手助けや、龍天の助けが合ったためである。つまり、『大般若経』は鎮護国家のための経典であり、人間界・天上界の者達にとっての大宝なのである。皆も喜んで欲しい」と告げた。

つまり、何故『大般若経』に力があるかというと、膨大な経典自体の量だとか、色々と考えられそうではあるし、実際に経文にもその功徳が説かれていないわけではない。しかし、一番は、玄奘三蔵自身が、この経典を中国に持ってくることが出来、様々な仕事の中でも、全て訳出することが出来たこと、これ自体が、経典の力や諸仏の冥加があってのことだったと信じているのである。

また、繰り返しになるが、玄奘三蔵自身が述べた「経典の力」にも注目しておきたい。これは、我々自身が経典を読む時に、更に力を得るための近道である。個人的に、最近の人はこういう経典や教え、そういったもの自体が持っている力や強さを信じていないように想う。そして、それは勿体無いと思うのだ、というか、所詮、我々は凡夫であり、凡夫の力が、多少の修行で発揮されるようになっても、信仰の力には勝てない。その辺の謙虚さをもっと持つべきだと思うのである。

これを想うと、自分の祈りが通用するかどうか、が問われているのではなく、経典自体の力が自ずと祈りを成就させるので、それを信じられるかどうかを明らかに理解すべきであるといえよう。

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