つらつら日暮らし

十月十五日まで頭陀・遊行の期間

『梵網経』は中国で成立したとされる文献なので、仏教では、等と軽々に言うわけにはいかないが、少なくとも中国以東では大きな影響を与えている。そこで、『梵網経』には「十月十五日」という日付が見える。

 なんじ仏子、常に二時に頭陀し、冬夏に坐禅し、結夏安居して、常に楊枝・澡豆・三衣・瓶・鉢・坐具・錫杖・香炉・漉水嚢・手巾・刀子・火燧・鑷子・縄床・経・律・仏像・菩薩形像を用うべし。而も菩薩、頭陀を行ずる時、及び遊方の時に、百里・千里を行来するには、此の十八種物、常に其の身に随えよ。
 頭陀は、正月十五日より三月十五日に至り、八月十五日より十月十五日に至る。是の二時中、此の十八種物、常に其の身に随うは、鳥の二翼の如し。
    『梵網経』「第三十七故入難処戒」


それで、上記の通り、「十月十五日」までは頭陀・遊行の期間なのである。そうなると、十月十六日以降は、どうなるのか?という話となるが、ここから「冬安居」が始まるという話もある。

和漢の禅林、夏安居の外、冬安居に坐す。即ち十月十六日を以て結し、明年の正月十五日に至る。以て謂らく其れ便ち禅坐なり。夏安居に勝れり。既に古と為り。行事鈔に云く、律は通じて三時を制す〈前に夏安居の処に引く〉。故に仏制を知れば、亦た冬安居有るなり。
    「冬安居」項、無著道忠禅師『禅林象器箋』巻4「第四類節時門」


上記の通りなのだが、禅宗寺院ではこの遊行終わりの期間を「冬安居」としている。とはいえ、原文は先の通りで、「冬安居」と書いているわけでは無い。「冬夏に坐禅し、結夏安居して」とあるから、安居は夏だけで、冬は「坐禅」なのである。それを思う時、以下のような註釈が、理解としては正しいのだろうと思う。

経に、冬夏坐禅とは、経の烈する所、二時の頭陀の外、皆、是れ冬夏の坐の時分を指す。謂わく十月十六日より正月十四日に至る。即ち是れ冬分なり。三月十六日より八月十四日に至る、即ち是れ夏分なり。冬分は三ケ月、夏分は五ケ月なり。此の二時中、皆な止観を修す。
    凝然大徳『梵網経本疏日珠鈔』巻44「第三十七故入難処戒」


以上の通り、東大寺の凝然大徳は、「冬安居」としては解釈されておらず、「冬坐禅」に近づけており、「止観を修す」としている。他には江戸時代の浄厳律師が以下のように述べておられる。

又、冬夏の二時には極寒・極熱の故に遊方に宜からず、一処に住止して坐禅修道すべし、
    浄厳律師『菩薩戒諺註』江戸期版本・41丁裏


こちらも同じで、やはり「冬安居」とは解釈していない。よって、この辺の議論が無いか調べてみたら、やっぱりあった。

 問、今の経文及び下の不行利楽戒の文に依れば、冬も夏の如く安居を結するに似たり、仍て禅家趙宋以来の語録には、結冬示衆の法語あり、冬も夏の如く大衆集りて結制す、此義如何。
 答、此事大なる誤なり、冬も夏の如く安居を結ぶと云義大小乗の経律に絶て無き事なり。凡そ比丘の法臘を数るとき、初受戒の年より一夏・二夏・五夏・十夏等と名けて、五夏以上を闍梨の位とし、十夏以上を和上の位とするなり。若一年に両度安居を結せば、五夏を十夏とし、十夏を二十夏とすべし、若る乱法は三世千仏に無き事なり。且盂蘭盆経に七月十五日僧自恣日と云文あり、若冬安居を結せば、正月十五日僧自恣日と説る経文ありや、試に出ざるべし、目を拭て拝見せん。
    諦忍律師『梵網経要解』巻8「故入難処戒第七」


上記の一節の通り、江戸時代の真言宗の学僧・諦忍妙竜律師は、冬安居を否定している。ただし、上記で「不行利楽戒の文」とある通り、『梵網経』には「冬夏安居」についての言及が見られるのである。とはいえ、諦忍律師は『盂蘭盆経』などの指摘も踏まえて、その実践を否定している。禅僧達の語録に関連する記述があることを知っておきながらの否定なので、律から見られた立場として、否定なのだろう。

なんじ仏子、常に応に一切衆生を教化し僧房を建立し、山林園田に仏塔と立作せしむべし。冬夏安居、坐禅の処所、一切行道の処、皆な応に之を立すべし。〈以下略〉
    「第三十九不行利楽戒」


さて、『梵網経』には、上記の通り「冬夏安居」の記載が見られる。これについて、例えば、先に挙げた凝然大徳や浄厳律師などは特に何も論じていない。その点、諦忍律師は以下の通りである。

夫覩貨羅以南の諸州の如きは、各別の風土にして温熱尤甚しく、冬の末、春の初大いに雨ふり、他処の雨際に等し、其間疫病多く虫多し、故に冬安居を結するなり、既に冬安居を結しぬれば、夏安居は結せぬなり、是則ち冬安居を以て夏安居に換するのみ、全く以て一年に両度の安居を結するには非ず。
    諦忍律師『梵網経要解』巻8「故入難処戒第七」


この文章は、「不行利楽戒」を意識しつつ、玄奘三蔵『大唐西域記』を踏まえて書かれた文章なので、諦忍律師が冬安居について特に示された箇所だと理解すべきであろう。そして、こちらの場合、冬から春にかけて雨が降る地域があるので、その場合には、「雨安居」の概念を優先しつつ、冬安居が行われるが、夏安居に換えて実施されるので、1年2回実施するのはおかしな話だとしているのである。

なお、この辺、「四季」に因んだ見解も提示されている。

華夷通商考曰く、咬𠺕吧又は呱哇と云、四季大熱国なり、四時の序日本と反せり、唐土・日本の冬は此国の夏なり、常に暑熱にして、取分日本の冬の時、此国夏の最中にて甚だ熱する時なり、日本の五六月の時分、此国は少し涼しく、夜陰衣服を用ることあり、是を此国の冬とす、此国の人常に裸なり〈已上〉、是等の国国は冬安居に非れば叶はぬなり、若る風土の所宜をも泄さぬ為に経文に冬安居と云ものなり、
    同上


このように、南国で1年間通して熱い国のような場合、それでもまだ涼しい時期があって、それは日本などで「五六月」頃だというが、先方では「冬」みたいなものなので、「冬安居」になるという。つまり、経文では、安居の時期として、「冬」に実施される場合もあって、それを漏らさないように「冬夏安居」だとしたのである。

つまり、日本にはほとんど、「冬安居」は実施されない、という立場だったことだろう。その理解があると、上記に紹介した文章についても、すぐに理解出来ると思う。ということで、禅宗などで冬安居を実施する場合があったとは思うのだが、通宗派的にはそうでもない、という話で終わるのであった。

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