恭しく惟れば、如来の御世、衆生の機を観るに、上中下有り。故に教えて三乗を設く。所謂、菩薩・縁覚・声聞なり。乗、三に分かるると雖も、戒を以て定慧の本と為さざること莫し。
是の故に、如来、初め菩提樹下に坐して、即ち諸もろの大心菩薩の為に、盧舎那仏の三聚浄戒を伝誦し、次に鹿苑・王城に至りて、諸もろの二乗の為に、漸く五篇七聚を制す。十人の僧を立て、白四羯磨して、比丘の具足戒を授く。
『比丘受戒録』
思ったよりも全文が長いので、全体を5つくらいに分けて考えてみようと思うのだが、まずは、インドに於ける受戒作法の成立に関する話である。
なお、これは近現代に解明された、史実としての仏教史では無い。むしろ、その直前くらいまで考えられていた、伝統的な歴史観だといえよう。つまり、上記は中国清代の僧侶によるものだが、日本でも江戸時代くらいまでは、大体こういう感じで考えられていたと見て良いのである。
そこで、如来の在世時には、衆生の機(仏教を学ぶ能力)を見て、上中下の3つがあったので、三乗(菩薩・縁覚・声聞)に分けて説いたという。しかし、三乗に分けたといっても、「戒(持戒)」が基本であり、それがあってこそ、禅定・智慧に展開されることを主張している。よって、まずは、衆生が仏教を学ぶときには、戒を基本にすべきだと、本書では説くのである。
それから、如来が初め、菩提樹下に坐って、菩薩のために「盧舎那仏の三聚浄戒を伝誦」したとしている。これは、『梵網経』のことを指している。『梵網経』は、本来、盧舎那仏の心地を示す内容だが、同時に「菩薩戒」を示す。ただし、実際の同経には、「三聚浄戒」は示されていない。おそらく本書では「菩薩戒」を「三聚浄戒」として表現したものだろうか。「伝誦」というのは、『梵網経』はあくまでも、盧舎那仏の教えなのだが、それを釈尊がこの世界に伝え示したことをいう。
さて、その次に、鹿苑とは、初転法輪を指し、王城で、その後の諸説法を示すが、ここでは「阿含部」、或いは「律蔵」に相当する文脈が多く示されたことを挙げ、特に、「律蔵」の内容を、戒本に於ける罪の軽重をもって「五篇七聚」とした。更には、10人の比丘を以て、初めて「白四羯磨」が成り立ち、その「羯磨=決議」を経て、比丘へ具足戒が授けられる様子を示している。
この辺は、比丘が改めて受戒していく状況を示したものである。よって、インドに於ける菩薩戒まで組み込んだ形での受戒作法の成立は、このようなものであろう。
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