十一月半の上堂。
帰宗和尚、時に僧の辞有り。
宗云く、時に寒の途中、善為なり。
拈じて云く、帰宗年老にして心孤なり、慇懃に送行す。建長、即ち然らず。若し僧の辞有らば、只だ他に向かって道い去るなり。何故、家家の門首、長安に透らん。
『円通大応国師語録』
大応国師・南浦紹明禅師の語録である。それで、これは建長寺におられた頃の上堂である。意味としては、帰宗智常の言葉を元に話を進めている。或る僧侶が、帰宗禅師の下を去ろうとした。そこで、帰宗禅師は寒い道の中、ご苦労さんと申し上げたのである。
その帰宗禅師の言葉に対して、大応国師はそれを採り上げて、帰宗禅師は年老いて、寂しい思いだからこそ、慇懃に送り出そうとした。だが、この建長(=大応国師)はそうではない。もし、僧侶が去る挨拶をしてきたら、その者に向かって言うだろう。どうして、各家々の門が、長安に通じているのだろうか、と。
結局、どこで学んでも涅槃=長安に通じているぞ、と述べたのである。
問題はこれが、何故「十一月十五日」に行われたか、である。近代以降の新暦では、今日が冬安居の結制日となる場合が多いが、かつては十月十五日であった。そうなると、十一月十五日は冬安居中で、誰かが去ることは異例中の異例であったといえよう。だが、もしかすると、そういう申し出があったのかもしれない。
まぁ、詳しいことは当方の研究が到らず、良く分からないのではあるが。
ただ、本格的に寒くなってきて、朝晩はかなり冷え込んできた。とはいえ、旧暦の十一月十五日とは今時の12月に当たるので、もっと寒い。そういう中での行脚は、かなり苦労したはずである。
ところで、この一則の出典を見てみると、また印象が異なる。これは、芙蓉山霊訓禅師(帰宗禅師の法嗣)との問答だったようなのだが、帰宗禅師の言葉によって、以前に悟った事柄を忘れて、新たに悟ったともいう。つまりは、転境の一句ではあった。その点を大応国師は全く気にしていないのだが、それもまた悟りの言葉か。
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