ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧仙南村飯詰・金沢西根を往く-2(⑦、終)

2023年03月12日 | 旧仙南村を往く

<今回歩いたところのH28年の航空写真(部分)>

●歩いた日:2022年11月29日(火)

●歩いた所

 ・飯詰(飯詰):南中島、北中島、糠渕、上鶴田、中鶴田

 ・金沢西根   :上百目木、下町田、中町田、上糠渕、下糠渕

●歩いたログ(足跡)(道のり6.3km)


 

(以上の地図:国土地理院)


 最後に、いつものように歩いたところの航空写真をご覧いただく。まずはH28年の西側の部分。

 左上に「百目木橋」があり、そのすぐ南の野球場の駐車場、「P」が車を停めた場所。歩いた道筋を橙色の線で書き入れた。

 このブログの冒頭で、石碑の写真とともに書いたが、野球場の北西側の緑地になっているところは、かつては堤(溜池)だったところである。

 右側やや上段、歩いた道が鉄道に接するようになるところ、歩いている時にそこが昔の踏切があったところだろうと感じたが、この後見る古い航空写真でそこに踏切があったことが確認できた。

 墓地公園には、墓石がきれいに立ち並んでいるのがわかる、南側の部分はまだ分譲されていないようだ。

 次にH28年の東側の部分。


 
 左手やや下、📷004に写る青い屋根の集落会館と、📷005に写る踏切脇の桜の木が見える。今回歩いた道筋は橙色線であるが、昔の航空写真を見ると、会館前からピンク色の線がかつての道であったことがわかる。

 「中島大橋」と「中島橋」にそれぞれ橋が二つかかっている。細い橋は現在は歩道橋として使用されているようだが、S51年の写真を見ると、当時の古い橋が残されて利用されていることがわかる。

 本文でも書いたが、「出川」の北側には公共施設の大きな建物が建ち並んでいる。南北に走る道路沿い西側に、「総合体育館リリオス」をはさんで屋外プールと運動公園が見える。道路の東側には公民館や「美郷町仙南行政センター」などが並んでいる。赤い屋根の建物は「仙南村」時代に建てられた古い体育館である。

 左上隅に、道からのぞかれた大きな廃屋の屋根が写る。

 次にS51年の写真。これも西側の部分から。


 
 「出川」はまだ未改修で、河川敷には鬱蒼と木立が茂っている。

 前回のブログにも書いたが、車を停めた「P」の辺り一帯はまだため池の状態で、秋のこの時期、わずかに水が残っているようだ。

 右端やや上段、ピンク色の線が現在の道と踏切の位置である。そのすぐ北に当時の踏切が写っている。

 現在、墓地公園があるところは畑のような状態になっている。横長の白い建物が4棟あるが、何の建物だろうか。

 次に同じS51年の東側の部分。


 
 「出川」は「中島2号橋」より上流側はすでに改良されている。上流と下流の改修を先行し、中流部の改修は後になったようだ。

 「中島2号橋」であるが、「出川」の北側と南側の道を一直線につなぐようにかけられている。現在の橋はすぐ下流側、ピンク色の線で書き入れた道にかかっている。

 橋そばに現在は神社(と集落会館)があるが、この写真には写っていないようだ。田んぼの大区画化に伴って移転して来たのだろうか。

 「厨川」の改修工事が完成したのはS49年3月と、竣工記念碑の裏に刻まれていた。写真は改修直後の「厨川」である。

 改修された「厨川」は未改修の「出川」と鉄道のすぐ東側で合流している。この後見るS23年の改修前の「厨川」は、現在の道路のすぐ東側、人家が建ち並んでいるところを北上して「出川」に達しており、流路の大幅な付替え工事を行ったことがわかる。

 「中島橋」をご覧いただきたい。橙色の線が現在の道筋で、写真の橋は現在の橋の下流側にかかる歩道橋である。

 同様に、写真の「中島大橋」は現在の橋の上流側にかかる歩道橋である。

 「出川」の北側、ピン色の線で囲ったところには現在多くの公共施設が建ち並んでいるが、当時は田んぼの状態である。道の西側に建つ赤い屋根の建物が現在のそのまま残る体育館、学校プールの西側に建つのは「仙南村役場」などの建物のようだ。

 ところで、役場の東隣に建つ学校は、現在の校舎とはまったく異なっている。調べると、当時の校舎は「仙南中学校」で、中学校は統合(H24年4月、「美郷中学校」に)によって廃校になり、代わって統合によって新たにできた(H25年4月)「仙南小学校」の校舎がH28年に写る校舎である。

 最後にS23年の写真。西側の部分。


 この写真で目立つのは、右上を除いて大部分の田んぼが未整備なことである。ここは「金沢西根村」に当たるところで、区画整理が遅れたようだ。

 左上、車を停めた「P」の所が黒っぽくなっているのは、堤(溜池)が水を湛えているためと思われる。

 「百目木橋」の南たもとに当時の道が写る。この道が今も残っており、本文最後の写真(「上百目木」の風景)に写る小道である。

 右下、ピンク色の線が現在の道筋で、当時の道筋を「⇑」で示した。西から東に向かって延びる道が踏切を越えたところに桜と思われる木が写る。

 右手上段、現在廃屋になっている大きな家の屋敷の樹木がややまばらで、大きな屋根が確認できる。

 現在墓地公園がある場所を見ると、樹木に囲まれて大きな建物のようなものが見える。ここも大きな屋敷だったのだろうか。

 次に東の部分。

 こちらの写真で目立つのは区画整理された田んぼである。これらの田んぼは旧「飯詰村」と重なる。

 「出川」は写真中央の「中島2号橋」の上流はすでに改修されている。かなり古い時期に工事されたようだ。

 一方、「厨川」は改修前のくねくね曲がった姿である。水色が当時の流路で、ピンク色が改修後の流路である。当時はこの辺りの道筋も現在とことなっており、橋も現在よりも北にあったことがわかる。

 なお、二つの川が合流するところは氾濫しやすい場所のように考えられるが、旧地主宅も含めた家々がここに密集しているのは、ここが小高くなっている場所からだろうか。

 「出川」の北側一帯は一面に田んぼが広がっている。昭和の合併によって「仙南村」が誕生してからここに計画的に役場などの公共施設が建てられたことがわかる。

(終わり)

●ブログに掲載したログの累計(累計の道のり:569.4km)

 次回も「出川」沿いの地域で、今回のさらに上流部に当たります。次第に「東山(奥羽山脈)」が近くなりました。山の麓に至るまで続ける予定ですので、よろしくお願いいたします。


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