君達は、この校風を慕って、この学校に入学したのだから勉学が第一である。そして好きなテニスをするために、庭球部に入った同じ志を持った、同じ庭球好きな人達の集まりである。皆庭球の熱愛者である。選手はピラミッドの頂点であり、部員はその土台を築いているのだ。その土台の多数の部員が、頂点の選手を支持しているのだ。従って下積みの多くの部員がいなくては、強い選手は出てこない。選手は部員の下積みの苦労に感謝し、部員は選手を盛り上げる努力を喜んですべきである。ここに団結が生れる。
従って上級生は下級生を思いやり、下級生は上級生を敬い、同僚は互いに親しみ励し合う、ここに和の結合が生れる。左手は右手に従い、手足が一つの動作に従うよう、協力し協心してより強い庭球部を造るのが、部員のモットーである。部則には欣然として順う。徒らに批評しないで、まず従順に自分の務めをしっかり行うべきだ。
君達は、この学校に入った時は、素直に熱心にテニスをしようと心を決したことだろう。その素直な心と純真な心を忘れないようにして欲しい。一年を過ぎると入学当初の純な心を忘れ勝ちになる。二年目に危機が訪れる。部活動にも馴れてきて、心に油断が生まれる。このときテニスを忘れて、わき道に外れやすい。4年間熱心にテニス一筋にやれば、教室では得られない教訓を体得出来る。テニスを通じて終生の友情を結ぶことが出来る。「初心忘るべからず」
庭球部には、ロール引きライン引き(昔はラインを溶いた石灰で引いたものである、自分も高1くらいまでやった覚えがある)コートの水撒きなどという仕事がある。一年生はみんなこの仕事をしてきたのである。嫌なつまらないことだと思うかもしれない。これは長年に亘って続けられてきた、尊い訓練である。これを怠って得をしたと思ったら、間違いだ。その怠けは大きな損である。世界的の大選手になった、故佐藤次郎(ウィンブルドンベスト4)も忠実にこれをやっていた。忍耐力と辛抱心の試練がそこにはあるのだ。自分の責任を喜んで果すことが、庭球部員の資格である。つまらぬことと思わず、喜んで進んでやる心があれば、嫌でなくなる。つまらぬと思ったりするから、つまらぬことになるのだ。小事が大事となるのである。
一たびコートに立ったら、なんでもいつでも本気でやれ。球拾いをしていても、その球拾いを忠実に本気でやれ。本気でやれば,そのコートのプレーをよく見ることになる。サーバーがどっちだったか判らぬようなうっかりした球拾いをしてはならない。そのコートのプレーをよく見ていなければ,いい球拾いは出来ない。
両プレーヤーを良く見ていれば,労プレーヤーの動きが判る。向こうののプレーヤーが,どこに打とうとしているのか判るようになる。こちらのプレーヤーがどう動くか考える。どうしてあんなつまらぬエラーをするのかと,自分にわかるようになれば進歩である。そして,自分もあんなエラーをしないようにする。他人のテニスを見なければ,テニスは進歩しないというのはそこにある。球拾いを本気でやればよい経験を得る。球拾いもコートを走ることも,たいそうも本気でやって自分のものにせよ。
テニスは生易しいスポーツではない。
従って上級生は下級生を思いやり、下級生は上級生を敬い、同僚は互いに親しみ励し合う、ここに和の結合が生れる。左手は右手に従い、手足が一つの動作に従うよう、協力し協心してより強い庭球部を造るのが、部員のモットーである。部則には欣然として順う。徒らに批評しないで、まず従順に自分の務めをしっかり行うべきだ。
君達は、この学校に入った時は、素直に熱心にテニスをしようと心を決したことだろう。その素直な心と純真な心を忘れないようにして欲しい。一年を過ぎると入学当初の純な心を忘れ勝ちになる。二年目に危機が訪れる。部活動にも馴れてきて、心に油断が生まれる。このときテニスを忘れて、わき道に外れやすい。4年間熱心にテニス一筋にやれば、教室では得られない教訓を体得出来る。テニスを通じて終生の友情を結ぶことが出来る。「初心忘るべからず」
庭球部には、ロール引きライン引き(昔はラインを溶いた石灰で引いたものである、自分も高1くらいまでやった覚えがある)コートの水撒きなどという仕事がある。一年生はみんなこの仕事をしてきたのである。嫌なつまらないことだと思うかもしれない。これは長年に亘って続けられてきた、尊い訓練である。これを怠って得をしたと思ったら、間違いだ。その怠けは大きな損である。世界的の大選手になった、故佐藤次郎(ウィンブルドンベスト4)も忠実にこれをやっていた。忍耐力と辛抱心の試練がそこにはあるのだ。自分の責任を喜んで果すことが、庭球部員の資格である。つまらぬことと思わず、喜んで進んでやる心があれば、嫌でなくなる。つまらぬと思ったりするから、つまらぬことになるのだ。小事が大事となるのである。
一たびコートに立ったら、なんでもいつでも本気でやれ。球拾いをしていても、その球拾いを忠実に本気でやれ。本気でやれば,そのコートのプレーをよく見ることになる。サーバーがどっちだったか判らぬようなうっかりした球拾いをしてはならない。そのコートのプレーをよく見ていなければ,いい球拾いは出来ない。
両プレーヤーを良く見ていれば,労プレーヤーの動きが判る。向こうののプレーヤーが,どこに打とうとしているのか判るようになる。こちらのプレーヤーがどう動くか考える。どうしてあんなつまらぬエラーをするのかと,自分にわかるようになれば進歩である。そして,自分もあんなエラーをしないようにする。他人のテニスを見なければ,テニスは進歩しないというのはそこにある。球拾いを本気でやればよい経験を得る。球拾いもコートを走ることも,たいそうも本気でやって自分のものにせよ。
テニスは生易しいスポーツではない。