いただきます。

2012-01-30 20:48:38 | ヒトリゴト
以前映画で所作を教えて頂いた先生から


いただきますって言うのは生き物の命を頂いて


私達が生きてるんです


その命をいただきますって事なんですって教えてもらった


衝撃やった、いただきますって毎回使うけど


そんな意味の言葉とは知らんかった自分が恥ずかしい


いただきますって捉え方を変えざるえないなぁ~


生かされてるんやな



感謝。

曽根崎商店街

2012-01-26 22:13:25 | ヒトリゴト
曽根崎を歩くと必ず思い出す


高校生やった自分



父親の病名を告げられ頭が真っ白になったわ


多感な時期やった自分には処理方法が見つからず、荒れてしまった


学校が終わり、電車で向かうんやけど、駅を降りて泉の広場を抜けると、曽根崎商店街が有るその突き当たりに病院があった



もしこのまま父親がいなくなったら、どうしたらいいんやって、悶々としながら学生服を着ながら歩いた商店街


日に日に弱り、髪の毛や眉毛が抜けてく父親を見るのが嫌で、商店街に有るパチンコ屋でタバコを片手に学生服のまま無心で打ち続けた


そのまま病室には行かず家に帰る事が日課になった


最悪な息子や


母親は父親の目を盗み、枕の毛を見つけてはゴミ箱に入れてた



自分がやるせなかった


その最悪な息子の人間性を誰もせめる事なく温かく見守り続けてくれた


早く恩返しをせな、間に合わん


死を覚悟した父親が『ええか何で家だけがこんな目にって事だけは思うな』って言った父親の目は鬼の様に強い眼光やった

見事に成功率4、5%から生還した
そんな父親もあれから20年たったけど再発もなく元気に生きてる



父親の背中に学ぶ事が余りにも多い



それを忘れるなってばかりに曽根崎商店街が自分に語った様に聞こえた朝9時30分



早く1日も早く立派な役者になりたいと心の底から沸いてきた9時40分


次に商店街を通る時にはありがとうって笑いながら歩きたい


感謝。

木の葉の様に・・

2012-01-25 11:15:23 | ヒトリゴト
生きてるんやからいろーんな失敗するわな(笑)

考える



自然に学ぶ



行き詰まると自分を一枚の葉っぱに例える



川の側に佇む木に一枚の葉っぱとして生をうけある時期を経て葉っぱはそのまま土に還り


ある葉っぱは風に吹かれて川へ



僕が一番目に浮かぶイメージが


風に吹かれて川へ流れた葉っぱを自分と見立てる



生きる場所が木の葉と決めつけてた時から、川へ身を委ねる、何処に行くかは分からずとも



身を委ねたと同時に遊覧を楽しみ始めた



その先に海と言う存在が有ると知らないまま


木から離れるのが怖かった自分が遊覧の楽しさを知り


世界の広さに感動する

木の葉っぱでいる事が安全な場所だと信じて疑わなかった

安全と引き換えに手にした初めての自由



木の葉は何処へ?


臆病な自分が、何処へ?って聞きたがる



行き先は未定、楽しもう、強がりやなく、楽しもう、いや今は強がりでも・・


何も無くても


感謝。

スマグラーを振り返り。

2012-01-20 14:42:32 | ヒトリゴト
先ず初めに、この作品の原作者で有る真鍋昌平氏に感謝をさせて下さい。


このブログの似顔絵は真鍋氏が書いて下さった物で自分の大切な宝物です



直接お会いする機会は有りましたが、お礼を言うタイミングが無くてすいませんでした。


真鍋さんが内臓と言うキャラクター作り出された事により、自分が内臓に出会う事が出来ました


ホンマにありがとうございました。



それが内臓との始まりでした


原作を読んだ上で監督の石井さんと会わせて頂きました




鮫肌は自分の中でも凄く印象深い作品で映画館で見た時の衝撃はいまだに刻まれたままです


アグレッシブな監督さんかな?って緊張しながら扉を開けたのは記憶してます



向かえあって座らせて頂いたんですが、石井さんも自分もかなりの人見知りらしく、脚本の会話になるんですが一回も目が会わないまま話が進行して行くんですが



相手が自分をみてないなって思うタイミングで



相手を見るんです、たまにタイミングを間違えて目が合うとお互いに机に目を落とすといった事の繰り返しでした



一時間ほどだったんですが半分程は無言だったと思います


作風のアグレッシブさとは裏腹に石井さんはホントに優しい方で、全ての方への思いやり、愛情をお持ちだなぁ~って自然と気が付けば身を委ねてました



原作のキャラクターに更に演じる役者の空気を見た上で上乗せして行くんですが


これがもう面白くて!


ロン毛であったり、スポーツバックや小物細部にも石井さんのアイデアが満載でその世界観の渦にあっというまに引き込まれて行きました


石井さんに聞いた事があります

『石井さんは一体どんな人生を歩んで来たんですか?』

石井さんは『いたって普通ですよ』って笑えて答えました。

心の中で自分は『普通やないから』って突っ込みました

凄い才能の方に出会えた事映画完成後、更に感謝しました。


最後に背骨との出逢いを



映画の中でも人生を共に過ごす背骨は内臓にとり大切な存在です

文字で語ると安くなるんですが

これが自分の限界です


撮影前にあったんですが

勿論自分は安藤君の事は昔から知っていたししかしながら素の彼はしらないんで不安でした

大切な運命共同体やから、初めましてって挨拶の瞬間と同時に良かったって感情が沸き上がりました



偽りが無い、綺麗な目が眩しく自分の目に移った


自分との違いをハッキリ感じてしまって


次の瞬間に、自分の中で内臓の肉や骨が生まれた



欲望、焦り、不安が内臓


欲望に流され続けて生きた来た自分自身の人生




ある意味それが運命共同体欲望を感じながら演じる事が出来れば


二人が1人になれるんやないかなってのが自分の捉え方でした。



彼と過ごす時間を重ねて行くにつれ彼の偉大さ、優しさ、ストイックさに感化され次第に尊敬に変わり


内臓は間違いなく背骨によって導かれました


そんな存在で有る背骨と戦うと言う設定はかなり自分にとりやるせない気持ちでした



鉈を振り上げ背骨に振り下ろすカットが有るんですがいまだにその瞬間のカットを見ると自分が許せなくなる


そのシーンが撮り終えた瞬間悲しく落ち込んでた自分達に、石井さんがゆっくりと駆け寄り優しく背骨と内臓を抱擁してくれた事を覚えてます


政信がスタジオから出る間際に『龍進、ありがとうな』って言った彼の目は腫れ上がってた


撮影を終えた朝方、いつもの道を自転車で帰る僕は大声で泣きながら帰った

内臓を演じさせて貰えた事で凄い事を学ばせて貰えた気がします


その事への感謝を忘れたくない為にブログに書かせて頂きました


スマグラーに関わられた全ての方々、観て頂いた方々ホントにありがとうございます。


そんな気持ちのこもった作品です。


感謝。

ネガティブにさようなら!ポジティブにこんにちは

2012-01-18 21:53:58 | ヒトリゴト
悔しい、悲しい、切ない、生きてるとネガティブな感情がわいて来る瞬間が有る


ネガティブを感じてしまうのは悪い事やない



ネガティブをネガティブで終わらせてしまう自分自身の考え方に問題が有るはずや


苦しむならとことん苦しもう!


中途半端に終らせたら懲りない自分なんやから



なんでやあれだけやったのに


悔しい、やるせない、もう一度チャンスを

このままは嫌や、この感情を覚えておこう


その恐怖がネガティブをポジティブに変える鍵になるはずと信じて


終わった事は仕方無い、次に捧げるしかないねん


ネガティブにさようならポジティブにこんにちはが出来る日の為に。

感謝。

1995年1月17 日火曜日。

2012-01-17 11:59:50 | ヒトリゴト
その夜はやたらと熱かった、真冬やのに熱くて寝れそうも無く母親と朝方の3時辺り迄テレビを見てた。
その時に自分が母親に『何や今日はテレビのうつりがえらい悪いなぁ~何でやろうか?』

寝間に入り、無理に寝ようとしたんやけどやはり熱くて寝付けず



疲れて意識が薄れ始めた瞬間地面からドッカーンって金属音の様な高い音がした


建築現場の大きな鉄骨が倒れたんか?ってのが初めの印象やった


次の瞬間に何かミシミシ言い出したと思う間もなく、ガタガタガタと突き上げられながらタンスや食器が割れて行く音が耳に飛び込んで来た。


一体何が起こったん?


トラックが突っ込んで来たんか?


皆は無事か?



父親が頭に血だらけのタオルを巻いて起きて来た


どないなってるんや?って自分が窓を開けた瞬間目の前の景色に愕然とした!


高速が倒れてる!民家が崩れ、ガスの臭いがしてる、テレビがつかへん水がでん、電気が無い!



もう一度窓の外を確認した、核か!核戦争でも始まったんか!


父親がつけたラジオからニュースが流れた



情報がやっと入った、地震やと、規模は?



世界中が自分の見てる景色になってるんやって思った


被害の規模はどうやら関西だけであった


『良かったホンマに良かった、世界中が一気に壊滅なんてたえられへん』

助かったって。


これが阪神淡路大震災の僕の中の記憶です。


17年前にこの震災で亡くなられた方々のご冥福を今日はとくに祈らせて下さい。


生きてる感謝と共に黙祷。

暗い闇は・・止まるからか?のんびりでもええんか?

2012-01-15 00:14:54 | ヒトリゴト
人は生まれずっと何らかの経験を重ねて、今自分に起こってる現実を受け止め生きてる、
今を一生懸命に生きればその瞬間自分自身の断片が色濃く記憶に残る


その断片が多ければ人生を一生懸命生きて来たと言えるんでは無いかな~?
感性を鍛えるには真剣に生きるって事が大切なんかも





色々な経験をする事により感性がそなわる、もしかしたら感性とはその人の物事の処理方法なんかも。



でもその使い道は人それぞれってのが面白いな!




ニーチェの言葉から

『今のこの人生を、もう一度そっくりそのままくりかえしてもかまわないと言う生き方をしてみよ』


いい言葉やね!



同じ時代を生きてるものどおし後悔の無い毎日を送りましょうね!
でもガンバリ過ぎたらあかんで。

感謝。

熱海

2012-01-09 15:52:36 | ヒトリゴト
熱海って昔は新婚旅行のメッカやったらしい。



いつのまにか時代が変わり町は少し年老いて古き良き時代のまま形をとどめて


訪れる方々は熱海を懐かしく思う世代の方々で賑わいを見せてた


いつかは今の流行りも、何十年か後には同じ様に今の世代が年老いて賑わいを見せるんやろうなぁ~



今皆が言う古き良き時代はその時には何て言われるんやろうか?


今の時代は何十年後同じ様に古き良き時代って呼んで貰えるやろか?


時代は変わる時代は変わる

今を楽しまなければ、自分自身が古き良き時代とは言われへん


熱い海に感謝。