最近首都圏周辺で高齢者宅を狙った緊縛強盗が多発してその残虐非道な手口に震撼する。以前は息子を語る犯人に親、特に高齢の女性が騙され、高額な現金を盗られる「オレオレ詐欺」事件が頻発した。
ニュースを耳にするたび、母親とはいくつになっても息子の生に密着し、その責任を負い、失敗を償おうとするものなのか、と衝撃とともに暗く悲しい思いに沈んでしまった。
息子の母親として生きた、母親としてしか生きられなかった人生が背景にあったのかな。。。そんな息子に
「死ね、クソババア」なんて言われたらどんなに悲しく切ないか....
タイトル:「死ね、クソババア!」と言った息子が55歳になって
著者名:保坂 祐希/著
タイトルから「55歳で…」となると多分、離婚して行き場がなくなった不良息子が親元に戻って来る話かな…と想像した。ところが母と息子の関係が途絶したきっかけは大学受験の志望選択のすれ違いから発したもの。息子は不良どころか真逆の優等生、今では大学教授を目指す研究者なっているのだ。「離婚?」も本人の誤解と思い込みなだけで、息子の相手は「名の知れた会社の役員で、夫思いのとてもデキたお嫁さんだ」と母親は知る。
「死ね、クソババア」の過激な捨てゼリフを浴びせられた後、母親が息子と会ったのは数回、冠婚葬祭の折のみで、まともに言葉を交わすことなく30数年が過ぎていた。
いっときも頭から離れることなく息子の身の上を案じてきた母親。思いがけず始まったぎこちない同居生活で、息子の「息苦しさ」を知り、「思うままの人生を歩ませてやりたい」と強く願うようになる。(離婚するとなったら)ひとりで暮らせる生活力をつけてやらなければならない、とまで考え家事を教える。つくづく母親とは恐ろしい生き物だ、と感じさせるところだが私自身、息子に生活力を身に付けさせなかった後悔と反省から大いに共感するところだった。悲しくも切なく哀れなり、、、
小説は怒涛の最後(ちょっとオーバーかな?)に向かって、落涙必至の映画のワンシーンを見せられるように終わる。🍁