※赤いランプの終列車〜1952
年(昭和27年):KIINA.2004年・2014年
https://m.youtube.com/watch?v=eQfgpDP5vPw
※リンゴ追分〜1952年(昭和27年):KIINA.2015年
https://m.youtube.com/watch?v=wf1RsHzaUEE
第二次世界大戦が日本の降伏によって終結したその前から、既に世界はアメリカを中心とする自由主義体制とソ連を中心とする社会主義体制の覇権争い=東西冷戦が始まっていました。
1950年から1953年まで朝鮮半島全土で繰り広げられた朝鮮戦争はこの二大勢力による代理戦争でもありましたが、アメリカ軍を主軸に構成された国連軍が日本を派遣基地・補給基地としたことにより、敗戦によって打ちのめされていた日本経済が大量の需要によって急速に回復する、いわゆる朝鮮特需を迎えることになりました。
どんな戦争や紛争にも言えることですが、他国の不幸によって支えられる好景気は必ず矛盾を孕んでいます。この特需自体も歴史的には本当の意味での日本経済の立て直しには繋がっていなかったそうです。
この戦争によって軍・民間併せて400万人以上の死者と膨大な数の離散家族が発生し、今なお両国の対立は終結していません。元をたどれば日本政府による侵略と併合によってもたらされた朝鮮半島の人たちの苦難の歴史を思う時、戦後生まれの私であってもどこかに忸怩の念を抱かずにはいられません。
「赤いランプの終列車」は春日八郎さんのデビュー曲です。春日さんも前回の「白虎隊」で触れさせていただいた霧島昇さんと同じく福島県のご出身。貧しい暮らしとうち続く不運の中でようやく掴んだヒット曲だったそうです。
KIINA.はデビュー5年めと2014年の歌い直しの2度この曲をレコーディングしていますが、若いKIINA.の勢いある歌唱が私は好きです。
https://blog.goo.ne.jp/tazutazu3232/e/75922068bdf58a3686e9d1dacba101d2
ひばりさん15歳での「リンゴ追分」。この曲の大ヒットによってリンゴが大衆の果物として認知されたと、青森県ではひばりさんに対し「青森りんご勲章」が授与されたそうです。りんごを題材にした童謡「りんごのひとりごと」が発表された1940年頃には、まだりんごはなかなか気軽に買えない果物だったのでしょうか。私はこの歌も大好きなのです。
青森県、長野県だけでなく、秋田県でもりんごの生産は盛んでした。並木路子さんの「リンゴの唄」の元になった映画「そよかぜ」は秋田県増田町で撮影されたものです。
町に市が立つと、母はりんご農家から買った大量のりんごを風呂敷に背負って帰りました。冬になって傷み始めたりんごはお砂糖を入れて鍋いっぱい煮てくれました。幼い頃の懐かしい思い出です。
「味わい尽くす♬」では、こんな感想を書かせていただきました。
https://blog.goo.ne.jp/tazutazu3232/e/b9c2b9a04895466f8f782d22e3dd58c0