※王将〜1961年(昭和36年):KIINA.2012年
https://m.youtube.com/watch?v=UmIiphlKJEE
※沓掛時次郎〜1961年(昭和36年):KIINA.2015年
https://m.youtube.com/watch?v=EMAjegAP_y0
安保闘争を始めとする一連の政治的混乱の責任を取って岸信介内閣が退陣した後、自民党の総裁に就任し内閣を立ち上げたのは池田勇人氏でした。
池田首相は就任早々に「所得倍増計画」を高らかに掲げました。国民の関心事を政治から経済的発展へと向けさせることで国論を二分した安保闘争の後遺症を解消しようと考えたのです。
池田首相は大蔵官僚出身の政治家でした。敗戦後の日本では鳩山首相を筆頭に多くの現職議員が公職追放の憂き目に遭い、その混乱の中で外交官からいきなり日本の舵取りという大任を負わされた吉田茂首相は、自らの政治基盤を支えるため有能な官僚を次々と国会に送りこみ後進として育成しました。
このグループは「吉田学校」と呼ばれ、池田首相や後の佐藤首相を筆頭に多くの吉田学校の生徒がやがて実力派議員として戦後日本を牽引することになりました。
ところで、政治の世界とはまったく別のところで、もう一つ「吉田学校」と呼ばれたグループがありました。
作曲家吉田正さんが育てた歌手の方々です。
吉田さんはシベリアから復員した後、ビクターレコードの専属となり、フランク永井さん、松尾和子さん、鶴田浩二さん、三浦洸一さん、三田明さんなど、数え上げればきりのないほど多くの歌手を育て上げました。
橋幸夫さんのデビューに至る経緯についてはご存じの方も多いと思います。橋さんは遠藤実さんの元で歌のレッスンをしていましたが、コロムビアのオーディションを通ることが出来ず、コロムビアの専属だった遠藤さんはビクターの吉田さんにご自身の愛弟子を託したのです。
橋さんのデビュー曲「潮来笠」は大ヒット、吉永小百合さんとのデュエット曲である「いつでも夢を」と「霧氷」の2曲がレコード大賞を受賞するという吉田学校の中でも抜きん出た優等生ぶりでした。
他の国ではどうなのか分かりませんが、日本の歌謡界なかんずく演歌の世界では作曲家と歌手の間の師弟関係というものがいまだに生きているように思います。
北島三郎さんは船村徹さんの一番弟子、北山たけしさんや大江裕さんはその北島さんのお弟子さんです。千昌夫さんは遠藤実さんのお弟子さんでしたね。
逆に五木ひろしさんは中学卒業後に上京して師事した作曲家の上原げんとさんが急逝されたことによりデビューの道を閉ざされてしまい、長い間苦労されたとお聞きしています。
村田英雄さんを浪曲から歌謡曲の世界に導いたのは古賀政男さんでした。村田さんの最大のヒット曲は、船村徹さんの作曲された「王将」で、この曲の大ヒットによって村田さんは人気歌手となりましたが、村田さんはそれでも生涯に渡って古賀さんを師と仰ぎ恩人として深く敬愛されていました。
水森英夫先生もお弟子を沢山育てていらっしゃいますね。KIINA.はさしずめ水森学校の最優等生でしょうか。
もし水森先生との出会いがなかったら、KIINA.はどんな歌手人生を送っていたのか、そもそも歌手になれていたのかどうか…。
KIINA.を歌手として育ててくださったことだけでも、水森先生には感謝の気持ちでいっぱいです。
※王将〜味わい尽くす♬267
https://blog.goo.ne.jp/tazutazu3232/e/f45c8ad422b1e7900562aba77c6b38fe
※沓掛時次郎〜味わい尽くす♬350
https://blog.goo.ne.jp/tazutazu3232/e/972f0727094e34c493e2355a6af416eb