※長崎の鐘〜1949年(昭和24年):KIINA.2007年
https://m.youtube.com/watch?v=AdMMOeHWkwQ
「長崎の鐘」は、原爆投下によって奥様を亡くされ自らも怪我を負いながら被災者の救護に当たって、やがて病床に臥した永井隆博士の随筆を元に作られました。
藤山一郎さんが歌い、多くの人の感動を呼んだ2年後の昭和26年、永井博士は逝去されました。
広島の原爆投下による死者は約14万人、長崎では7万人。後遺症に苦しめられた人の数は測り知れません。
「長崎の鐘」の歌声が全国に流れていたこの頃、多くの被爆者が後遺症に苦しみながら何の公的援助も受けられず、経済的苦境に立たされていました。
昭和29年にビキニ環礁で起きた第五福竜丸の水爆被災事件をきっかけに、日本政府は昭和32年にようやく「原子爆弾被爆者の医療に関する法律」を制定。初めて被爆者が国の費用で医療を受けられるようになりました。
幾つかあった法律は現在「被爆者援護法」として一本化されていますが、その前文には原爆の惨禍が繰り返されることがないよう恒久平和を念願することや、被爆者に対する総合的な援護を国の責任において行うことがはっきりと謳われています。
昨年の日本被団協に対するノーベル平和賞の授賞は、永井博士を始めとする多くの無辜の原爆犠牲者に捧げられたものでもあったように思います。
被団協の皆さんはご高齢にも関わらず、帰国されてから精力的に各地で報告会を行っていらっしゃいます。
ご自分の一生をかけて世界平和の実現を訴えてこられた皆さんの強い使命感には、心から尊敬の念に堪えません。
どうか「長崎の鐘」がこの先未来永劫、平和と希望の歌であり続けますように。
こちら↓にも書きましたが、「思い出のメロディー」でこの歌を歌ったKIINA.が纏っていた厳かなオーラが、今でも鮮明に浮かんできます。
https://blog.goo.ne.jp/tazutazu3232/e/388c7b20d53a09fe4b16c09d0107dbd1