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氷川きよしについて ★ by とねりこ

☆平和への願いと闘いの遥かな道程〜KIINA.の歌声でたどる昭和史<14>

※長崎の鐘〜1949年(昭和24年):KIINA.2007年

https://m.youtube.com/watch?v=AdMMOeHWkwQ

 

「長崎の鐘」は、原爆投下によって奥様を亡くされ自らも怪我を負いながら被災者の救護に当たって、やがて病床に臥した永井隆博士の随筆を元に作られました。

藤山一郎さんが歌い、多くの人の感動を呼んだ2年後の昭和26年、永井博士は逝去されました。

広島の原爆投下による死者は約14万人、長崎では7万人。後遺症に苦しめられた人の数は測り知れません。

 

「長崎の鐘」の歌声が全国に流れていたこの頃、多くの被爆者が後遺症に苦しみながら何の公的援助も受けられず、経済的苦境に立たされていました。

昭和29年にビキニ環礁で起きた第五福竜丸の水爆被災事件をきっかけに、日本政府は昭和32年にようやく「原子爆弾被爆者の医療に関する法律」を制定。初めて被爆者が国の費用で医療を受けられるようになりました。

幾つかあった法律は現在「被爆者援護法」として一本化されていますが、その前文には原爆の惨禍が繰り返されることがないよう恒久平和を念願することや、被爆者に対する総合的な援護を国の責任において行うことがはっきりと謳われています。

 

昨年の日本被団協に対するノーベル平和賞の授賞は、永井博士を始めとする多くの無辜の原爆犠牲者に捧げられたものでもあったように思います。

被団協の皆さんはご高齢にも関わらず、帰国されてから精力的に各地で報告会を行っていらっしゃいます。

ご自分の一生をかけて世界平和の実現を訴えてこられた皆さんの強い使命感には、心から尊敬の念に堪えません。

 

どうか「長崎の鐘」がこの先未来永劫、平和と希望の歌であり続けますように。

こちら↓にも書きましたが、「思い出のメロディー」でこの歌を歌ったKIINA.が纏っていた厳かなオーラが、今でも鮮明に浮かんできます。

https://blog.goo.ne.jp/tazutazu3232/e/388c7b20d53a09fe4b16c09d0107dbd1

コメント一覧(10/1 コメント投稿終了予定)

百日紅
清らかな歌声ですね。 もう何度もきよしクンの歌唱で聴いた歌ですが心がこもっていて、聴きながら二度と戦争を起こしてはならないという想いを新たにします。
 音楽界の重鎮の方々がKIINA.をアーチストとして認めてイベントへの参加に声をかけて下さるなんてファンとしても誇らしく思います。 これまで生き馬の目を抜く世界で生き抜いて来られた方々が歌唱力だけでなくKIINA.の人としての真っ直ぐな生き方も評価されたうえでのお声がけだと思います。 嬉しいですね。
 
 漫才作家本田正男識さんの「お笑い界 偉人・奇人・変人伝」の中の氷川きよしクンのエピソードも嬉しいですね。 私たちがよく知っているきよしクンとファンとの関係は当時からズッと今もそのまま。 トミーズ雅さんも若手の演歌歌手にお優しい。 こんな芸人さんたちがいらっしゃる大阪、きよしクン、大好きですもんね。でもきよしクン,この本のタイトルの中のどれに当てはまるんでしょ? 「偉人?」
 昔ね、偶然観たテレビ番組、きよしクンが爆売れし始めた頃のものでだったでしょうか、同じテレビ局で二つのバラエティー番組に御出演で最初の番組が終わったきよしクンを次の番組の若手芸人(?)の方々、3人程が迎えに来て次のスタジオまで皆んなで誘うのですが遠慮して先を走らない彼を芸人さん達が「どうぞ、どうぞ、早く早く!」と誘導。 きよしクン、ニッコリ笑ってお辞儀して駆けて行く様子を見て私、「あゝ、良い子だな。」と。 そして次の場面では用意された選挙用風のお立ち台に上がって街頭演説の立候補者の真似を! 私達も選挙の度に見かける立候補者のあの「作り笑い」を浮かべて、手を振る仕草は本当に巧くて、可愛くて爆笑しました! 同時に「この子はただモンじゃなか!」と。 その頃は未だファンでも何でもなかった頃の今でも思い出すと笑いが込み上げるシーンですが、其の後も古い映像ですが志村けんさんと共演なさった頃のお笑い番組を観てもきよしクンの素人っぽさが凄く良いと感心しています。 そしてきよしクンはきっと凄いコメディアン、コメディエンヌになれると確信していていつか作家の方が素晴らしい作品を書いて下さる日を待っています。
みつこ
KIINA.の「長崎の鐘」を改めて聴くと、凛とした決意のような力強さを感じます。藤山さんの歌声を懐かしく思っている方には馴染まなかったのでしょうね。KIINA.がポップスをカバーすると「こぶしが回ってる、演歌歌手のポップスカバーは聴けない」とかのアンチコメントがあったり、ボヘミアンラプソディの日本語歌唱の時も「英語で歌ってこそ伝わる」など和訳の歌詞にまで色々批判がありましたね。「あなたこぶしがどんなものか分かってないでしょう!あなた英語の深い意味なぞ分かってないでしょう!」と当時言い返したかったです。これからもKIINA.が新しい事に挑戦するたびにアンチコメントは湧いてくるのでしょうが、道を切り開いて行こうとする革命者の宿命ですね。分かる人にはちゃんと分かるのです。雑音をキニシナイでKIINA.には進んで欲しいです。
昨日3回目の映画に行ったら、またまたお着物のカードで、思い切って交換を申し出たら、快く替えてくれました。横顔のKIINA.をゲット(嬉)パンフレットの感想を書くページに貼り付けました。
チャチャチャ
おはようございます。「長崎の鐘」
KIINA.のこの歌唱が気に入らなかった方はどんな方でしょうか。素晴らしい歌声です。灰色の街を復興に向け頑張っている人達には藤山一郎さんの歌声は確かに力を貰ったと思います。でもKIINA.の歌声は私には哀しさを感じます。

戦後亡くなるまで救護活動をされていた永井博士の随筆を元に作られた曲です。鎮魂の曲だと思います。私はKIINA.の歌声が好きです。

戦後アメリカ兵が長崎に入った時、教会も多く信者も多くてびっくりしたそうです。浦上天主堂の焼け落ちた姿は見るに耐えなく早々に建て直したそうです。広島ドームは残っていますが教会の無残さは耐えられなかったそうです。なかに焼けたマリアさまがいらっしゃいます。近年アメリカに連れて行かれて原爆の悲惨さを訴えられて来られました。(私は信者ではありませんが。)
KIINA.の歌声が聴き取れない方はそんな感情も分からないのかも知れせんね。
KIINA.の歌声は長崎人として心に響いてきます。

原爆の火は今も有ります。興味がある方は「ゲート」という映画をご覧下さい。
元布団の中のお母さん
☆歌声でたどる昭和史〜長崎の鐘

本当に、思い出のメロディーの歌唱は、忘れられませんね〜めったに開く事の無い
NHKホールのパイプオルガンにも負けないほどの凛とした姿勢が目に浮かびます 
 
昨年のノーベル賞受賞も、広島、長崎の歴史を改めて語り繋いで、二度と悲惨な歴史を繰り返してはならない指針になりますね~
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