アルバム・カバー曲4曲めは、植木等さんの「スーダラ節」です。Kiinaの歌唱はこちら↓
https://m.youtube.com/watch?v=e87fjjEwrlA
歌詞は歌ネットより。
https://www.uta-net.com/song/209667/
1961年のリリースです。日本が本格的に高度経済成長期に突入し、サラリーマンが働き手の主役になっていく時期でもありました。聴いていた頃の年齢は様々でしょうが、この曲を歌う植木さんのお姿は誰もが記憶にあるのではないでしょうか。
「無責任男」シリーズで人気者になった植木さんですが、ご本人の実像はお酒を一滴も飲まず謹厳実直な硬骨漢で、「スーダラ節」のレコーディングにも「これでいよいよ間違ったイメージがついてしまう」と悩まれたそうです。
ところが、浄土真宗のお寺の住職をされていたお父様が「『わかっちゃいるけどやめられない』のが人間。親鸞上人もそうおっしゃっている」「ヒット間違いなしだから、自信を持って歌ってこい」と励まされたそうです。
作詞の青島幸男さんは早稲田大学卒業直前に結核にかかってやむなく大学院に進学。一流企業に就職した同級生たちに対して「サラリーマンがなんぼのもんだ」という僻目もあって、風刺的な歌詞で意趣返しをしたという側面もあったようです。
ノンフィクション作家の前田和男さんは著者「昭和街場のはやり歌」(.渓流社)の中で、「地は絵に描いたような真面目な植木等だからこそ、青島幸男が歌詞に盛った毒を消すことが出来た」と書いてらっしゃいます。
確かに、この時代の空気感というか、誰もが「植木等さんだから」こんなサラリーマンを笑って許容したという面はあったように思います。(私は当然子供でしたが)
Kiinaも頑張ってユーモラスに歌っていますが、駅のホームのベンチでごろ寝するサラリーマンKiinaは私には想像出来ません(笑)。
「僕も38歳になり、ユーモアの中にも少しは哀愁を出せるようになったかな」と、インタビューの中でお話ししていましたが。歌唱力の問題ではなく、やはり「スーダラ節」は植木さんと鏡の裏表のように切り離せない歌だったのではないかなぁと、そんな気がしてなりません。