
【ダウンヒル開始】
昼飯も食べ終わり、もうしばらくこの雄大な景色を楽しんでいたかったが、もう時刻は15:00近くになっている。
そろそろ下界へ降りないといけない。
ここからは一気に板室温泉まで下るだけで、登りはほぼ無いに等しいはずだ。
サイクリングは登るのに時間がかかるものの、下るのは本当にあっという間なので、距離と日没の時間を事前に掴んでいれば、こんな時間に山の上にいても(気持ち的に)多少の余裕はある。
途中で崖崩れや路面崩落などがあればもちろん時間のロスはあるが、いざとなれば自転車を放牧して、歩いて下山すれば何とか帰れるだろう。
ここまで来た以上、ネガティブに考えていても仕方ない。

少し走ると、尾根の反対側の那須高原方面も一望できるポイントがある。
こちらもいい景色だが、しかしあそこまで下っていくのか…えらい遠いな。

[現在地]
稜線上の道を気分良く下っていると、有名な塩那道路の開通記念碑が道路わきに鎮座していた。

記念碑には「104建設大隊 塩那の峻険を拓く」と大書きされていて、少し小さく「栃木県知事 横川信夫」とあり、裏側には敷設に携わった自衛隊員の名前と、工事の経過が彫られている。
この道路の敷設には工兵隊(施設隊)の演習という目的もあった、と何処かで聞いた記憶があるのだが、せっかく汗みずくになりながら造ったこの道が廃道となってしまうことについて、作業に当たった方たちは何か感じるものはあるのだろうか。
それとも、訓練の一環だったからとあまり気に留めないのだろうか。
この場所は辻道(峠)になっていて、山の西側にある横川放牧場へと繋がる、敷設時の廃作業道があるはずだが、次回の目的としよう。

[現在地]
さらに下りは続く。
遠くに那須岳が見え、その手前側の山塊に目を落とすと、これから下っていく道筋がはっきりと見える。
特に荒れた様子もないし、この分であればそう時間もかけずにあそこまで行けそうだ。
那須の山塊に雲が影を落とし、景色はこの上なくすばらしい。
しばらく続いた尾根道もおわり、男鹿岳の手前の尾根から完全に下界へ道が下りていくようになると、また視界の開けない道が多くなる。
景色もあまりよくないから、ひたすら下るのみ。
【工事関係者が】
と、目の前にワンボックスカーが路面いっぱいに停まっているのが見えた。
冷や汗たらり…。
車の横を通り過ぎて前に出ると、その先になんらかの測地調査らしきことを行っている人が2名いた。
「この道は通行禁止なんだけど」
ああ、開口一番、注意されてしまった…。
もちろん自分が悪いことは承知の上なので、こちらは平謝り。
こんなところで強がって言い争いなってもどうしようもない。悪いのはゲートを越えてわざわざ入り込んだ自分なのだし。
しかしここまで来た以上、引き返して戻ることはできないし、その選択肢は有り得ないので、もし「引き返せ!」と言われたら交渉するしかないなと思って心の準備をしていたが、とくにそれ以上咎められることもなく通らせていただいた。
感謝、感謝。
なんの調査をやっていたのか気になるところではあったが、取り敢えずピンチは脱出。
明日からの作業の下準備といったところだろうか。

さらに砂利道を下っていく。
あっという間に下りきり、砂利道が途切れて舗装路に変わった。
長い砂利道だったが、路面に関しては特に危険と思える場所はなかった。
ガードレールがないなどの危険箇所は腐るほどあったが、それは林道走行を好む人たちにとって直接的に危険と感じるものではないし、山道であれば至極ありがちな光景だ。
ただこれはあくまで私見であり、一般の、山に慣れていない人からすれば、非常に危険極まりない道ということであることを申し添えておく。

那須高原方面がまた見え始めた。
尾根から見た那須高原よりもだいぶ高度が下がってきたのが分かる。

[現在地]
殉職碑という場所では、この大工事で命を落とした自衛隊員の慰霊碑がある。
墓碑を読むと、22歳の若さで事故に巻き込まれ夭逝。もう30年以上前の事故だ。
日本酒やワンカップなどが供えられていて、関係者が今でも訪れているようだ。
こんな桁外れのすごい道を造ってくださり、本当にありがとうございます。
目礼してその場を離れた。
【板室側ゲート】
時刻は16:30。スタートから約50km。板室温泉側のゲートへ到着。
鹿又岳から2時間足らずで下りきったことになる。
日は西に傾いてきたものの、日没は18時ごろなので、日が暮れるまではまだ1時間以上ある。

[現在地]
有刺鉄線の巻かれたゲートを、また力技の魔法をかけて越えた。
これで、塩那道路の抜完という目的は99%達成。
あとは街へ降りて無事に家まで帰り着くことだけを考えればいい。
越えたゲートを見ると、こちらの板室温泉側も、ここから先は何が何でも通したくないという意志の表れか、道路に面するすべての部分に対して、ゲートと鉄パイプで隙間もないくらい道路を塞いでいる。
中に入ってしまって申し訳ありませんでした。
長年の想いは達成できたし、たぶんもう来ることはないと思います。
…いや、やっぱり機会があればまた走りたいかも。
確かに自然破壊という意味では痛々しい光景もあったけれど、稜線から見下ろす風景は本当に見事なものだった。
しかし、もし万が一塩那スカイラインの工事が認可されて、山岳観光道路として完成していたとしても、乗鞍スカイラインや他の山岳観光道路のように、一般車両通行禁止となっていたのではないだろうか。
あの稜線の道は、自然に還るまでに相当な時間を要するに違いない。
30年、50年、あるいは100年先か。
我侭だけれど、朽ちた後はシングルトラックの登山道として復活してもらえたらとも思う。

[現在地]
県道369号線に出て、塩那道路は終わった。
時刻は16:45。全走行距離は約53km。行動時間7時間45分。
さて黒磯駅までもうひとっ走りである。
(終わり)
走行データ(GPSデータ+カシミール3Dで作成したもの)

始点:塩原温泉
終点:板室温泉
走行距離:約53km
行動時間:7時間45分(休憩時間含む)
標高差:約1200m
おまけ 塩那道路のポイント名一覧(掲示看板より)
1.十日沢
2.小曲り
3.大曲り
4,小次郎岩
5.土平
6.営林署境
7. 水車小屋
8.アンドン沢
9.小蛇尾
10.3号橋
11.上滝沢
12.ヘリポート入口
13.長者平
14.立岩
15.内の沢
16.つらら岩
17.鹿の又坂
18.大蛇尾展望台
19.記念碑
20.ひょうたん峠
21.男鹿峠
22.那須見台
23.月見曲
24.笹の沢
25.貫通広場
26.石楠花岩
27.露の沢
28.見晴台
29.ダルマ岩
30.熊の巣岩
31.三度坂
32.本部跡
33.川見曽根
34.殉職碑
35.ゲート
昼飯も食べ終わり、もうしばらくこの雄大な景色を楽しんでいたかったが、もう時刻は15:00近くになっている。
そろそろ下界へ降りないといけない。
ここからは一気に板室温泉まで下るだけで、登りはほぼ無いに等しいはずだ。
サイクリングは登るのに時間がかかるものの、下るのは本当にあっという間なので、距離と日没の時間を事前に掴んでいれば、こんな時間に山の上にいても(気持ち的に)多少の余裕はある。
途中で崖崩れや路面崩落などがあればもちろん時間のロスはあるが、いざとなれば自転車を放牧して、歩いて下山すれば何とか帰れるだろう。
ここまで来た以上、ネガティブに考えていても仕方ない。

少し走ると、尾根の反対側の那須高原方面も一望できるポイントがある。
こちらもいい景色だが、しかしあそこまで下っていくのか…えらい遠いな。

[現在地]
稜線上の道を気分良く下っていると、有名な塩那道路の開通記念碑が道路わきに鎮座していた。

記念碑には「104建設大隊 塩那の峻険を拓く」と大書きされていて、少し小さく「栃木県知事 横川信夫」とあり、裏側には敷設に携わった自衛隊員の名前と、工事の経過が彫られている。
この道路の敷設には工兵隊(施設隊)の演習という目的もあった、と何処かで聞いた記憶があるのだが、せっかく汗みずくになりながら造ったこの道が廃道となってしまうことについて、作業に当たった方たちは何か感じるものはあるのだろうか。
それとも、訓練の一環だったからとあまり気に留めないのだろうか。
この場所は辻道(峠)になっていて、山の西側にある横川放牧場へと繋がる、敷設時の廃作業道があるはずだが、次回の目的としよう。

[現在地]
さらに下りは続く。
遠くに那須岳が見え、その手前側の山塊に目を落とすと、これから下っていく道筋がはっきりと見える。
特に荒れた様子もないし、この分であればそう時間もかけずにあそこまで行けそうだ。
那須の山塊に雲が影を落とし、景色はこの上なくすばらしい。
しばらく続いた尾根道もおわり、男鹿岳の手前の尾根から完全に下界へ道が下りていくようになると、また視界の開けない道が多くなる。
景色もあまりよくないから、ひたすら下るのみ。
【工事関係者が】
と、目の前にワンボックスカーが路面いっぱいに停まっているのが見えた。
冷や汗たらり…。
車の横を通り過ぎて前に出ると、その先になんらかの測地調査らしきことを行っている人が2名いた。
「この道は通行禁止なんだけど」
ああ、開口一番、注意されてしまった…。
もちろん自分が悪いことは承知の上なので、こちらは平謝り。
こんなところで強がって言い争いなってもどうしようもない。悪いのはゲートを越えてわざわざ入り込んだ自分なのだし。
しかしここまで来た以上、引き返して戻ることはできないし、その選択肢は有り得ないので、もし「引き返せ!」と言われたら交渉するしかないなと思って心の準備をしていたが、とくにそれ以上咎められることもなく通らせていただいた。
感謝、感謝。
なんの調査をやっていたのか気になるところではあったが、取り敢えずピンチは脱出。
明日からの作業の下準備といったところだろうか。

さらに砂利道を下っていく。
あっという間に下りきり、砂利道が途切れて舗装路に変わった。
長い砂利道だったが、路面に関しては特に危険と思える場所はなかった。
ガードレールがないなどの危険箇所は腐るほどあったが、それは林道走行を好む人たちにとって直接的に危険と感じるものではないし、山道であれば至極ありがちな光景だ。
ただこれはあくまで私見であり、一般の、山に慣れていない人からすれば、非常に危険極まりない道ということであることを申し添えておく。

那須高原方面がまた見え始めた。
尾根から見た那須高原よりもだいぶ高度が下がってきたのが分かる。

[現在地]
殉職碑という場所では、この大工事で命を落とした自衛隊員の慰霊碑がある。
墓碑を読むと、22歳の若さで事故に巻き込まれ夭逝。もう30年以上前の事故だ。
日本酒やワンカップなどが供えられていて、関係者が今でも訪れているようだ。
こんな桁外れのすごい道を造ってくださり、本当にありがとうございます。
目礼してその場を離れた。
【板室側ゲート】
時刻は16:30。スタートから約50km。板室温泉側のゲートへ到着。
鹿又岳から2時間足らずで下りきったことになる。
日は西に傾いてきたものの、日没は18時ごろなので、日が暮れるまではまだ1時間以上ある。

[現在地]
有刺鉄線の巻かれたゲートを、また力技の魔法をかけて越えた。
これで、塩那道路の抜完という目的は99%達成。
あとは街へ降りて無事に家まで帰り着くことだけを考えればいい。
越えたゲートを見ると、こちらの板室温泉側も、ここから先は何が何でも通したくないという意志の表れか、道路に面するすべての部分に対して、ゲートと鉄パイプで隙間もないくらい道路を塞いでいる。
中に入ってしまって申し訳ありませんでした。
長年の想いは達成できたし、たぶんもう来ることはないと思います。
…いや、やっぱり機会があればまた走りたいかも。
確かに自然破壊という意味では痛々しい光景もあったけれど、稜線から見下ろす風景は本当に見事なものだった。
しかし、もし万が一塩那スカイラインの工事が認可されて、山岳観光道路として完成していたとしても、乗鞍スカイラインや他の山岳観光道路のように、一般車両通行禁止となっていたのではないだろうか。
あの稜線の道は、自然に還るまでに相当な時間を要するに違いない。
30年、50年、あるいは100年先か。
我侭だけれど、朽ちた後はシングルトラックの登山道として復活してもらえたらとも思う。

[現在地]
県道369号線に出て、塩那道路は終わった。
時刻は16:45。全走行距離は約53km。行動時間7時間45分。
さて黒磯駅までもうひとっ走りである。
(終わり)
走行データ(GPSデータ+カシミール3Dで作成したもの)

始点:塩原温泉
終点:板室温泉
走行距離:約53km
行動時間:7時間45分(休憩時間含む)
標高差:約1200m
おまけ 塩那道路のポイント名一覧(掲示看板より)
1.十日沢
2.小曲り
3.大曲り
4,小次郎岩
5.土平
6.営林署境
7. 水車小屋
8.アンドン沢
9.小蛇尾
10.3号橋
11.上滝沢
12.ヘリポート入口
13.長者平
14.立岩
15.内の沢
16.つらら岩
17.鹿の又坂
18.大蛇尾展望台
19.記念碑
20.ひょうたん峠
21.男鹿峠
22.那須見台
23.月見曲
24.笹の沢
25.貫通広場
26.石楠花岩
27.露の沢
28.見晴台
29.ダルマ岩
30.熊の巣岩
31.三度坂
32.本部跡
33.川見曽根
34.殉職碑
35.ゲート