半沢直樹のドラマがヒットするなら私の人生は?

2013-05-18 07:01:06 | 営業

私は現役時代、新宿の某会社で約20年間、ビデオやCDやゲームソフトなどの店舗開発プロデューサーとして全国の隅々まで廻り860店舗もの契約を交わしました。

1店舗約800万円の純利益で年間43店舗の契約だから月間約3.6店舗の契約で2億8800万円の経常利益を会社にもたらしていたが会社はNTTと契約しダイヤルQ2事業を初めたのです。
NTTの安い1通話を4倍に加算して売る商売なのです。

だからお客が月間5000万円電話かけると何と何とその4倍、2億円にもなり1億5000万円が粗利益なのです。

最初は終電情報や空き店舗やアパート情報など情報提供を目的にしていましたが売り上げは伸びず「アダルト関係」や「4人で会話できるパーティーライン」が主流になりました。
電話すると可愛い色気たっぷり女性が電話口で慰めてくれるのです。

アベノミクスの3本の矢景気ではありませんが景気は鰻上りで儲けて行きましたがある沖縄の少年が月間100万円以上もの大金を使い請求書が届き大きな社会問題になり料金を2倍に下げたら諸経費差し引いたら赤字になってしまったのです。

そして遂に大きな借金抱え「和議」したのです。
当然系列会社である私が所属するビデオ会社も「和議」したのです。
社長は心労と過労のせいなのか心筋梗塞で手術、3本のバイパスを移植し一命を取り留めたのです。
後を頼むよ、社長は私に遺書を渡しました。
私は500人ばかりいた社員を僅か50名に削減し再建を目指しました。

売り上げは記録に次ぐ新記録で和議は成立し先の見通しが立ち1年後、社長は復帰したものの実権を握った私は煙たいのか左遷されてしまったのです。
君は私の命の恩人で会社一番の功労者だ。
それは口先だけの言葉であり内心ではオレの会社はオレのものなのだ、と言わんばかりの独裁者だったのです。

それでも私は子供4人育てるため必死に我慢し働きました。
やがて定年を迎える数年前から体調に異変が起きたのです。
目眩・暑いのに冷や汗が出て震えたり、寒いのに暑くて汗をかいたり、気分がおかしくなると今にも死にそうで心拍数が1分間120回もし血圧も上がり完全にパニック症になったのです。
他人には誰にも言いませんでしたが、松戸の心療内科に通院していました。

そして定年まで後半年と言う時点で社長に呼ばれ「お前も出世しろよ」の言葉に切れてしまい、
社長が座っていた椅子を蹴飛ばし机をひっくり返し「このバカ者め」と叫んでしまったのです。
そうしたら、いや君の力を認めるし後10年は自由出勤でいいから働いてくれよ、と言ったのです。

これ以上、この社長の下で働くとオレは死んでしまう。
取締役営業部長は名ばかりで干されていたのでした。

その後・無事定年退職し別の会社に顧問として2年間働き完全リタイヤしたのが62歳でした。
人生は健康が一番なんだ。
いくらお金があっても死んでしまったら使える訳もないんだ。

そして第2の人生を創造し200坪の荒地を耕し家庭菜園づくりを始めました。
ボランティア市民活動Abiko健康家庭菜園の会を立ち上げたのです。

忘れよう過去のことは何もかにも忘れよう。
家庭菜園横に風除け雨除けの憩いの広場(隠れ家)をつくりました。

http://www.voluntary.jp/weblog/myblog/1655

または Abiko健康家庭菜園の会 で検索

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家庭菜園初め10年経過し今ではすっかりパニック症も完治し豊かな日々を過ごしています。
20年間全国の旅、思い出のアルバムを添付します。
越前海岸で・・・