思いきって引越してみたの。

だいぶ生きました。
ヘトヘトになりながらも家を売って、
水害の地を去りました。

経過

2024-07-16 12:17:19 | 日記
妹の入院から ひと月が経つ。

1000キロ遠方にいることと、
私が見舞うとギクシャクするであろうから
ずっと九州で 母からの連絡を待つ日々。


被害妄想が酷かったのだが、
院長から 病名等の説明が無いまま
7月になった。

部屋に鍵は付いていないが
病棟の入口にナースステーションがあり
棟全体が施錠されるそうだ。

服薬治療のみ。
カウンセリングも無いの?
テレビ無し ラジオ無し
雑誌はあって それだけ。
一日が長いであろうが、
気持ちを休めるには 意識にスイッチを入れる情報を絶たねばならない。


母は暑い中、毎日 洗濯物を持ち
妹の部屋を見舞う。
午後4時になると退出を促されるそうで
帰り道、駅の近くの商業施設で
夕飯のパック寿司や魚を見るのが
楽しいと言った。

よくよく考えると
80才を過ぎた母にとって
純粋な「一人暮らし」はこれが初めて。

この 見舞い→ 買い物→ 一人の晩酌
ルーティンがお気に入りのようだ。

だから 私の帰省を遠回しに嫌がる。
そうか それなら一人を堪能して欲しい。


7月になってから
3泊、5泊の一時帰宅が繰り返され
初回こそ 妄想が顔を出したようだが
5泊の時はふだんの生活ぶりだったそうだ。

でも 娑婆は娑婆だ。
何もかも解き放たれたら
薬だけで 自分を制御できるのだろうか。
母と私の不安は尽きない。

というか、5泊の一時帰宅の時、
母は妹を預かることにものすごく疲れたと言っていた。

あれほど共依存の母娘だったのに。



ほんのちょっとだけ 思い出す。


私が昔、九州で乳がんになった時。
検査から告知から入院から退院まで
ずっと一人で乗り越えたことを。

入院前までは
ショックと闘い

入院中は 日々の肌着の洗濯をし
退院後は 家の寒さにオロオロした。


実家には老いた父もいたので
「来なくていい、自分で何とかする」
と言ったものの

汗をかいた肌着を
洗濯してきてくれる家族がいたら
ラクだったなぁ の思いは残った。

妹は当たり前にそれを母に頼み
さらにいろんなわがままを言っては
母を使い走りさせている。

ちょいと ムラムラしてしまう。
しょうがない。あの二人は
共依存なのだから、 と
思うようにしてはいるが。