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散文的な、あまりに散文的な

なんとなくそう思ったことを、散文的にだらだらと。

絶対精神の自己展開

2006-12-17 | Weblog

誰も読まないことを予想しつつも、、、、。

高校の時、一番好きな授業は倫理だった。倫理はまあ「哲学」である。道徳ではない。

ヘーゲル。世界史とは絶対精神の自己展開の過程。相変わらずわからないな。ドイツ語がわからないし、わかろうとするほどの研究心もない。

でも絶対精神の本質は「自由」だそうで、世界史とは自由を実現していく過程だそうだ。それなら多少わかる。でも「自由」の主体は個人なのか社会なのか国家なのか?

でもへーゲルの思想のうち、今日的にも一番大事なのは「人倫」のように思う。

ヘーゲルは家族を弁証法でいう「正」とした。

「人倫」は市民社会を反、国家を合とする弁証法的な発展過程ととらえられ、国家は「人倫」の最高の姿だとヘーゲルは言った。

要するに色々な「諸矛盾」(たとえば格差とか人々の欲望の衝突)が国家によって止揚(昇華、解消)される姿をヘーゲルは描いた、(と僕は解釈している)

現実の「国家」は、というより日本は、そうなってはいない。ただ、ヘーゲルの描いた理想像は今日的意味をもたないわけではない。

ヘーゲルは人々の欲望が衝突する市民社会を「欲望の体系」と呼んだ。問題は、今日においては国家そのものが「欲望の体系」となってしまっていること。また市民社会の欲望をむしろ「かきたてる」ことに国家が加担していることであろう。

やっぱ誰も読まないだろうな。


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