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日記、日々の想い 

昔の庶民の家は

故郷の街の実家は
土間もある
借地の古い家だった
じいちゃんが建てた
じいちゃんの実家は
苗字帯刀の
お庄屋さんだったと言う
ただ、じいちゃんは三男坊
しかも、直ぐの先祖に遊び人
明治の御一新以降
大半の財産を失った後
進学などさせて貰えず
近くの街の海軍火薬廠
その従業員になり
夜学に通ったらしい
そんなに余裕が
出来なかったのか
当時では、随分晩婚
40近くで、結婚
借地に、家を建てたらしい
じいちゃん、ばあちゃんに
とうさんが長男で
三人兄弟
とうさんは、師範学校卒
付属の小学校の教師で赤紙
スマトラに進駐して
戦争は、戦後にしていた
蘭軍の手先になって
現地独立軍と戦った
だから、終戦から
復員まで一年
両親が諦め掛けた頃だ
じいちゃんは
安心したのか
とうさんの顔を見て
暫くして、亡くなった
だから、おまえは
じいちゃんは、知らない
おまえの生まれた頃は
次男のおじさんが
結婚して、独立した頃らしい
いずれにしろ
縁側廊下はあるけど
畳部屋二間に
土間に竃と檜の風呂
たったそれだけ
そこに、家族は5人
それが、じいちゃんが亡くなって
かあさんが、たまとお嫁に来て
5人といっびき
やがてにいさんと
ねえさんが生まれて
7人といっぴき
おじさんが独立して
おまえが生まれて
7人といっぴき
信じられないよね
おまえが独立した
公団1DKは、35平米位
夫婦二人で
次男が生まれる前に、引っ越した
おんなじ位の広さに
7人といっぴき
本当に信じられない
どうやって、暮らしていたのか
やがて、おじさんは結核病棟
たまもいなくなって
6人で、海辺の新居に引っ越した
19.5坪だったと思う
それでも、ずいぶんと
広く感じた記憶…
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