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時間の貴重さが身にしみる多忙な毎日。しかし少しくらいは、大した意味のないことにも時間を使いたい。

いじめ問題Ⅱ

2006-11-21 22:26:02 | SCHOOL
 最近全国で起こっているいじめ問題を受けて、各学校では調査、対応に追われている。県内の消印のついた自殺予告の手紙が文科省に届けば、県下全小・中・高の学校でアンケートを実施し、いじめがないかどうか調査が行われた。結果を見れば場、各学校40~80名に一人の生徒が「今年度になっていじめにあった」と答えているようだ。そしてそのうちの半数が「死にたいほど苦しんだり悩んだりした」と答えている。この数を多いと見るか少ないと見るか。個人的には「多い」と感じた。

 アンケートの中で最も驚いたのは「いじめられるほうも悪い」と答える生徒の多さだ。

 「いじめられる人に悪いところがなかったらいじめない」
 「いじめられる人は性格上問題がある場合があるし、いじめられることによってそれに気づけることもある」
 「いじめられる人が原因を作った場合もある」
 「40%くらいはいじめられる人が悪い」

 高校生にもなってこんな非常識・非道徳的な価値観を持っている生徒がいるのかと思うと空恐ろしくなる。「いじめられる側にも責任がある」?そんなことがあるはずがない。いじめるほうが悪いに決まっている。     

 「いじめは絶対に許されない行為である」というのが大前提である以上、いじめるほうが100%悪いというのは最初から分かりきっていることである。それがなぜ「いじめられる側も悪い」という意見が出てくるのか。

ここで言う「いじめられる原因」というのは多くは「暗い」「気が弱い」「生意気」など性格的なことや「太っている」「不潔」など外見上のことがほとんどであるが、それらは正しくは「いじめられやすい要因」「いじめのターゲットになりやすい要因」であって、決して「いじめられても仕方のない理由」にはなり得ない。ここを混同している人が多いのではないかと思う。 

 相手がどんな要因を持っていたとしてもその人をいじめるかどうかを決めるのはいじめる側の人間であって、その際「いじめられるほうが悪い」というのはいじめる理由を正当化しようとしているに過ぎない。そんなことは少し考えればすぐに分かることだ。
 
 それを真に受けて「いじめられる原因」と捉えてしまう人は、いじめを行う側の目線から問題を見ていて、いじめられる側の立場に立って考えることが出来ていないのだと思う。

 反抗できない人間を自分の思い通りにして楽しんだり、人をからかって面白がったりしている人は一言で言って最低だ。「いじめられる方も悪い」という考えはいじめという行為を部分的に肯定することになる。そういうことを言っている人がいる間はいじめは絶対になくならない。もし心の中でそう思っていたとしても絶対に口にするべきではない。

 そもそもこういうことを真剣に考えること自体馬鹿らしい。いちいち理屈をつけて説明しなくても、悪いことは悪い。そういうこともたくさんある。

 「いじめは絶対してはいけない」。本来、その一言ですむ問題だ。