叡智と成長

高森光季ブログ

【採録】梅原伸太郎「脱魂と他界」(1)

2015-05-03 01:23:21 | 梅原伸太郎「脱魂と他界」

(本稿は1996年3月24日、日本心霊科学協会での講演録に加筆・訂正したものである。著作権者・梅原由紀子氏の諒承を得て採録した。)

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■(1)

◆思い出と呼びかけ

 思い出には楽しいものと苦いものがあります。そのすべての記憶を今呼び覚ます必要はないでしょう。今や忘れかけているものもあります。覚えているのは、かつてここで私は、なにものかの呼びかけを聞いたような気がしたということです。
 それは譬えていえば、空に神と霊が集まる大きな軍勢のようなものがあって、それが一つの方向に、疾風のように進んでいきます。大げさなようで恐縮ですが、そんなイメージがありました。お前もおよばずながら、その戦列に従えというような呼びかけを聞くような気がしたのです。浅野和三郎さんを始めとする日本の先輩たちの声も、日本心霊科学協会の壁の向こうから聞こえるような気がしました。
 心霊研究とスピリチュアリズムの歴史を繕いてみて、そのような声を聞かない人は、いったい心の耳をもたないのだろうか、と疑うときがあります。この世においては何の得もないことなのに、踏まれても蹴られても立ち上がって戦列に加わる、この無償の行為のなかにある情熱のもとは何だろうかと幾度も考えました。その反芻をくりかえしながら、それが純粋な、真実のものであると確信しました。そこで私は、皆にもそれを呼びかけて、その地球規模の流れに加わるように声をあげたように覚えています。そのときは心霊主義ということばをやめて、スピリチュアリズムということばを使いました。
 わたしたちは既に他界があることを知っています。そして沢山の霊がそのことを知らそうと思って日夜働いていることも知っています。しかも霊たちはそのことに何の報酬も求めません。黙々と働き、どんな無関心や妨害があってもその努力を続け、私たちを導き、高い世界に引き上げようとしています。しかし、あまりにも多くそのことを知らない人々がいるのです。そのことを知る人が集まっている、日本の中心となるようなこの協会で、霊界と呼応してこの歩みを進めないでいったいどこがやるというのでしょう。それにしても、この歩みの遅さはどうしてだろうか。既に八、九十年のときが立っているのです。その中心がいまだに三千人内外の会員であるとは。まるで歴史が止まったみたいです。
 ひょっとすると、この協会に集まる人達は、霊界があることを希望してはいるが、それを本当に信じてはいないのでないか、ほとんどは信じたいと希望している人なのでは……、だからそこから力がわき出てこないのではないか、そんな気がするときがあります。

◆急ぐ気持ちと受入れ態勢

 当時の私自身を思い出してみますと、気負いとあせりという面があったと思います。しかしその気負いとあせりに十倍かけても間に合わないくらい、この世の歩みはのろいという実感もありました。霊的な世界はたえず懸命にこの世に呼びかけていると思います。しかし、この世にそれを受け入れる人と態勢がなくては、霊的世界もどうしようもないのだと思います。そのような器として、個々の霊媒も必要ですが、協会のような機関や団体が、態勢を整え、もっと発展することも必要です。霊的な世界とこの世は、共同作業で歴史をつくっていくのだと思います。
 心霊科学ということばが用いられていますが、現在この用語がもちいられているところは世界中にほとんどないと思います。確かに半世紀以上も前、このことばが希望のように見えた時期があります。ナンドー・フォドーがこのことばを用いた辞典をつくりました。しかし、英国の「心霊科学学院」も今はこの名称をやめて、大分前からカレッジ・オブ・サイキック・スタディーズという名称に変更しています。一世紀前の人々が素朴に科学だと思っていた科学の概念も変化しています。単なるエピソードの収集や体験談を科学だと考えている人は今では、ほとんどいないと思います。
 心霊科学ということばが悪いとは私は考えていません。しかし科学ということばを用いる以上、厳密さが必要です。科学研究というのは専門的な知識と道具と方法を備えたいわば、専門家の集団の分野なのです。心霊研究をやっていますと気軽に言いますが、たとえば英国の心霊研究協会は、大半がそのような専門家たちや、専門家はだしの人達の集まりで、Ph.d や教授資格をもった人達の集団です。このような研究は、現在では超心理学と呼ばれています。翻って私たちが果してそのような人々と同じであろうかと考えてみなくてはなりません。少なくとも当時の私はそう考えたのです。しかし、この日本の協会の会員のうち、いったい何人が超心理学の専門雑誌を読んでいるのでしょうか。一方で協会の主なる活動というのは霊界の霊信をとりつぐ「統一会」です。心のなかで霊界の存在があやふやでありながら、そのような活動が可能なのでしょうか。繰り返しますが、心霊科学ということばが悪いとは思いません。それは科学とスピリチュアリズムが理想的に融合した状態を想定していると思います。この二つは現在世界のどこでも分離してしまっていると思います。それならば、世界のなかでたった一つ心霊科学ということばが残っても、未だにこのことばが有効である理由を堂々と実績を示しながら主張してもらいたいのです。孤独ながら現在ではユニークな自分たちの立場を周囲の主張や世界観と対比しながら立派に主張してもらいたいのです。
 一方、意識というものの研究も進歩しています。一世紀前の方法論と認識のままでいると、いつの間にか歴史の進化の袋小路のようなところに入りこんでしまう危険もあります。スピリチュアリズムは科学であり、哲学であり、宗教であるという古典的な定義がありますが、これまで一番おろそかにされていたのは、この哲学つまり世界観の問題だろうと思います。
 確かに難しい問題がいくつかあります。霊的な問題を科学の問題と思っている人もいますし、信仰の問題と思っている人もいます。その中間の人もいます。霊的世界にも浅い層と深い層があって、このような霊的な人の集まるところでは、様々の霊界と霊的意識が混じり合って一つの淵をなし、あるいは瀬をなしております。人はその段階によって、様々な声を聞くのだと思います。

◆ブラジルとサンパウロの学校

 最近、私は一ヵ月ほどブラジルにいきました。サンパウロのエスピリタの連盟には五千人の霊媒がいます。そこには一万人が在籍する学校があり、彼等はすべて、最低七年の教育課程を受けています。
 そこで幹部の人に案内されて除霊(パス)を受けました。パスというのはメスメルの磁気按手療法の影響を受けた治療法の一種ですが、除霊のときにも用いられます。そこの幹部のひとたちも皆、そうして気軽に除霊を受けるのだそうです。五人のグループの霊媒たちの真ん中に座らされました。
 ほんの一、二分でした。私かそのグループから抜け出た後で霊媒に霊がかかり、何かを言っていました。その後でジュリアさんという教育部門の理事の人がきて説明してくれました。この方は日系で日本語が話せます。幸い私の場合は悪い霊が出なかったそうです。ある霊媒に霊がかかって、「この人は外国からきた人で、地球霊化のために働いている人だ、私たちもそのために働いているので一緒にやらなくてはいけない」という意味のことを言ったそうです。ジュリアさんはここには毎日五千人の人がくるし、日系の人も多いので、あなたが外国人だということは霊でなければわからないはずだといいました。しかし、そのとき私の気になったのは「地球霊化」ということばです。私はジュリアさんに地球霊化なぞということばはスピリティズムの人がよく使うことばですかと聞きました。ジュリアさんは聞いたことがないと言いました。このことばを私は実は最近出版した『「他界」論』(春秋社)のなかで使いました。というよりもほかでも何度か使っていると思います。どういう風に使ったかというと、スピリチュアリズムも今世界に起きているニューエイジの運動も地球霊化の運動であるという風にです。
 芹沢俊介さんという気鋭の評論家が、最近出版しました私の『「他界」論』を読んで『群像』(一九九五年八月)という雑誌にこう書いています。お渡ししたコピーの一番お終いのところを読んでください。

 スピリチュアリズムがその人間他界に関して脱着自在な装填宗教であること、元来一神教のキリスト教圏のものであるが、唯物論や科学との対抗上現れたものであるという事情からして、地球霊化運動であるということ。著者はこれらの点を控えめではあるけれど、しかし自信をもって打ち出している。

とあります。つまり、この「地球霊化」ということばは芹沢さんが私の『「他界」論』の要点の一つとしてあげたものなので、いわば私という人間の目印になることばです。霊はこのあまり一般的でないことばを、私という人間の特徴を表すために使ったのでした。これは偶然かもしれませんが、そうでないかもしれません。私は自分独自の考えでこのことばを思いつきましたが、このことばは私の専売特許ではないかもしれません。スピリチュアリズムの運動に関して私は「同時多発」ということばを使いました。ユングのシンクロニシティ(共時性)ということばと似ていますが、多発ということが眼目です。霊界が動きだしたときには、同じようなことが多発するというのが私の考えのもとになっています。
 私自身はスピリチュアリズムやニューエイジの仕事を表すためにこのことばを使いましたが、私自身はまだそのためにあまり貢献しているとは思っていません。従って、私がそのために働いている人だというのは褒めすぎです。しかし、考えてみるとどうも私はその方向に突き動かされているということも真実のようです。まだ結果は出ていませんが、トータルでみると結局、私の人生は渋滞しつつもその方向に向かっていたといえるのかもしれません。

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