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高森光季ブログ

【雑報】実名報道問題、というか「マスコミは公的機関」という幻想

2013-01-24 15:21:04 | 雑報・時事

 「実名報道」問題に関して、BLOGOSにいろいろな意見が出ています。

アルジェリア人質殺害事件とメディアスクラム:BLOGOS(佐々木俊尚)

体罰教師を実名で報じず、テロ被害者を実名報道する腐れメディア:BLOGOS(かさこ)

実名匿名報道問題について:BLOGOS(孝好)

メディアの本質は覗き見趣味:BLOGOS(宮島理)

アルジェリア人質事件 僕は「Aさん」では死にたくない:BLOGOS(木村正人)

 一番最初の記事は、元毎日新聞記者のもので、「初動」と「続報」の違いをはっきり指摘した、非常に説得力のあるものです。ちょっと抜粋。

《たいていの場合は、初動で現場に向かわされ、他社の記者やワイドショーのカメラマンとかに混じって、多人数で被害者宅におしかけてピンポンを鳴らしまくったり、郵便ポストの中を覗いたりしている。私もそういう非道な取材は、覚えていないぐらい無数にやった。そういうことを打ち明けるのもイヤになるが、やった事実は変わらない。お天道様は見ている。
 上司から「法律に違反してでもいいから関係者宅の住所を突き止めろ!」とか言われて突き止めたことも何度かあるし、「この電話番号の持ち主の住所を調べよ」みたいな無茶な要求をされて、やっぱり今思ってもかなりひどいことをして住所を調べたこともある。やった内容は怖くていえない。》
《さて、これらはいずれにしても事件報道の「初動」だ。メディアスクラムや不当行為を招きやすい初動が終わると、事件報道は長い長い「事件あの日からその後」モードに入る。そういう時期になると、被害者や遺族や関係者といった人たちもずいぶんと落ち着いてくるので、取材に応じてもらえるチャンスが増えてくる。さらに取材する側も、じっくり時間をかけることができるようになるので、きちんと礼儀を尽くした取材をできるようになる。》
《重要なのは、「遺族取材は重要だ」とか「被害者の実名は大事だ」とかあさっての理念を語ることじゃない。
 だってそんなもの、それぞれの個別事例でしか論じられないことじゃないか。遺族取材ができる機会があればちゃんとすればいいし、そのときに礼儀を尽くせばいい。被害者の遺族が実名を認めるのなら実名報道すればいいし、匿名を求めているのならそっとしてあげればいい。報道する側が「実名にせよ」「遺族取材させよ」などと一律に求めるなんてことが、あっていいわけがない。
 そうやって実名や遺族取材は一律に認めさせようと思うくせに、メディアスクラムに関しては「そういう記者ばかりじゃない」となぜか例外的に扱うのはあまりにも変だ。》

 一番最後の記事は、ちょっとあきれるものです。

《僕は「個人情報の保護」「匿名報道」という綺麗ごとや事なかれ主義よりも「実名報道」という疼きを伴う地道な作業が社会をつなぐ力を信じたい。
 みんなで泣き叫んだり、怒ったり、笑ったりする記憶を共有する社会は「匿名」の中からは生まれてこない。語り、言葉を紡いで、つないでいくという作業から社会に連帯感が生まれてくると信じている。》

 個人情報保護や匿名報道は綺麗事でも事なかれ主義でもないでしょう。「みんなで泣き叫んだり、怒ったり」することで「社会の連帯感」を作ろうというのは、むしろマスコミの煽動主義そのものを告白しているようなものです。「自分たちが正義で、先頭に立って社会を動かすんだ」という“使命感”そのものが疑われているのだということを、思ってみたこともないのでしょう。
 まあ、そもそも論点というか、問題のありかを理解していない、感情的独白になってしまっていますが、マスコミ人の一つのタイプを知るには面白いかと思います。

      *      *      *

 われわれがこれまで曖昧でともすると誤ったイメージを持ってきたことがあります。
 それは、報道というのは「公的機関」だと思うことです。
 われわれは無意識のうちに彼らに協力し、彼らを尊重し、彼らを信じてきた。マスコミ人もそれを当然と思ってきた。もっとひどく言えばあぐらをかいていた。けれども、彼らはつまるところ、私人である。その私人の恣意性がこのところ暴露されている。

 ここは非常に微妙なところで、報道は公的利益や公的使命があります。報道はなくなっては困るもので、その功績も多々あります。私的なプロパガンダを「報道」とは言いません。だから、報道は公的なものとして尊重されてきた。しかし、報道行為者は公的機関ではなく、私人です。固有の価値観やイデオロギーを持ち、それから完全に自由になることはない。私的利益も追求しなければならない。
 この「公」と「私」をつなぐとてもデリケートなところにある。そのデリケートさを忘れて、「公的な正義人」の自己イメージに没入すると、とんでもないことになります。

 まあ、そんな大仰なことではなく、今のマスコミ批判というのは、自己反省もせず、批判に耳も貸さず、ただ旧態依然の「正義人」を押し出している、その傲慢さに多くの人があきれている、怒っているということだと思いますけど。
 今必要なのは、新聞講読をやめ、テレビを消し、そういったメディア人の傲慢さに冷や水を差すことなのかもしれませんね。

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