倉敷の児島・玉島のように、江戸時代に陸地になったそうな。
南北が約5km、東西が約2km、高さは約300m弱。
倉敷の<種松山>に似とるかな。
もう一つ似とるのが<源平合戦>。
源平合戦の後期。
鵯越で有名な<一の谷の合戦>で敗れた平家は海を渡り、
<屋島>に本拠を移します。
1・2年で、1・2万人が移住したそうです。
その間、<藤戸>に支店を出しますが、<藤戸の合戦>で敗れ、
<福田浜>から<屋島>に逃げますが、
平家は<屋島の合戦>でも敗れ、数ヶ月後に下関<壇ノ浦>で、
滅亡します。
屋島はその形状が特徴的なので、
瀬戸内海を進む船はいい目印になったそうな。
その北は<牛窓>。
牛窓から瀬戸内海を臨むと、正面にはわかりやすい<屋島>が見えますね。
平家側の屋島より。(向いは<五剣山>)
目の前は<海>でした。
ここで屋島の合戦(約二日間)で敗れ、壇の浦へ敗走します。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます