<天下人の石>と言われとるそうな。
倉敷の昔の絵地図を見ますと、
<倉敷は昔、吉備の穴海と呼ばれる海だった>事がわかります。
大きく動いたの大きな戦さの済んだ江戸初期。
<児島>が陸続きになり<児島半島>になります。
それ以前、帯江と種松山の間の藤戸地区は<藤戸海峡>と呼ばれ、
源平の藤戸の合戦があったところです。
そこで知った<浮洲岩>。
それは<武運の石>として京都に運ばれたそうな。
現在は、醍醐寺の庭園の<主人石>として、
お庭の中央正面におられるそうな。
醍醐寺については、
花見の時期、モミジの時期によくテレビに出てきます。
足利家 金閣寺→銀閣寺
→細川家の庭
織田信長により二条城へ
豊臣秀吉 聚楽第→醍醐寺三宝院へ。
いつか行きたいなぁと思ってはいたのですが・・・
昨年の<栗林公園>では閉口しましたので、
観光客の多すぎるところは自重していました。
不謹慎で申し訳ないのですが・・
現在、京都は当日でもホテルの<空>があるくらい、
外国人観光客が少ないんじゃそうです。
で、急遽、しゅっぱ~つ!(20日の日曜日)
山の中の新名神へ、高槻JCT・大山崎JCTから京滋バイパスで伏見へ
<JR六地蔵駅>を目標にして、醍醐寺に向かいます。
とうちゃ~こ!
↑ 三宝院庭園。
↑ 右横からです。
↑ 右から左へ移動します。
↑ ほぼ正面から。
お庭の中心に居ます。<主人石>というそうな。
先客はひとり、私ひとりになり、15分ほどで帰りました。
帰り際にもうひとりのかたとすれ違いました。
のんびりできました!
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