グリーフケアのオンラインの会に参加してみた。配偶者を亡くした人の会。私以外で配偶者を亡くした人と接する機会がないから、話が聞けて参考になった。身近な人の死の中でも、配偶者の死は特別だと感じる。配偶者は自分の分身のように感じるし。私の夫はよく、相方と言っていた。私は相方という表現はあまり好きではなかったが。相方と言わないで、と訴えたりしていた。でも、相方なのだろう。いなくなると、自分の一部がもぎ取られるような、そんな存在だった。そんな彼がいない生活。いなくなって5か月過ぎた。亡くなった当初に比べたら、ましだ。ずいぶんこの状況を受け入れられるようになってきた。決して、慣れたわけではないが、仕方がないと少し思えるようになってきた。悲しんでも悲しんでも、彼は帰ってこないこと。もう仕方がないんだということを。職場でのコロナ感染騒ぎで、先週末は実家に帰れなくなって、一人で何日も自宅で過ごした。やればできるじゃないか。一人ということを意識しないようにして、事務的なこと、簡単な家事や、散歩などをしながら、日々過ごした。仕事に行けた日は嬉しかった。たった1日で先週の仕事は終わってしまったが。昨日は久しぶりに義理の姉に会った。仕事を始めてからは初めて会った。話す会話が職場のことが多くなり、話の中身も新鮮だったようだ。夫への想いばかりを聞かされるよりは良くなったな、と思われたかもしれない。家での生活以外に気を配る事柄が増えたのだから当然だろうが。仕事を始めたからと言って、夫への想いが薄れたとか、悲しみが和らいだということとは違う。仕事終わりの帰り道など、必ず夫を思い出す。私の仕事の帰りを待って、夕飯の支度をしてくれていたこととか、朝食だって準備してくれていたこととか、仕事絡みの生活に付随したことを思い出す。最近は散歩の経路の中に、夫の闘病でお世話になった病院が加わった。夫が何回も入院して、お世話になったところ。最後の看取りをしてくれたところ。看取りでは、私は間に合わなかったので、一言言いたい思いもあるが、誰かにぶつけたりしない。最後に一緒にいられなかったのは、私の、あの人の運命だったと思うことにしている。今日はこれから久しぶりに実家に帰る。でも実家ではもう夫を偲んで泣く姿は見せてはいない。いつまでも嘆いていたら心配かけるかなと、気を使ってしまう。オンライングリーフケアの話くらいならオッケーだ。再来週は対面でのグリーフケアの会もある。誰かと夫の話をしたい。思い切り涙したい。そんな思いで参加する。