MARSBAR

1985

★たくさんの人でした★

2011-04-03 11:24:21 | Weblog
サニーの葬儀に
たくさんの人が来てくれました。

みんな、ありがとう。

生前サニーが「MARは仲の悪い弟や」と
いつものふざけた口調で言ってくれていたのを
思い出します。


途切れることの無い焼香の列に、
サニーの人柄と
長い間第一線から退くことなく
2丁目をこよなく愛して慈しんだ
大切な先輩と友人と師だった人を亡くしてしまった事を
事実をとして受け入れなければと
みなの泣く姿、沢山の知った人の普段見慣れない黒ずくめの礼装の姿に
思う2日間でした。

同じ時代を生きてきて
ホモだらけの2丁目で
「サニー」「リボンヌ」「マーズバー」の
3店舗から始まった2丁目レズビアンBAR。

なかでも「サニー」は
MARSBARがオープンする二年前にすでに2丁目にあり、
彼女が二丁目のレズビアンBARのパイオニアであることは紛れも無い真実です。

みんなみんなサニーで知り合って始まりました。
みなを知り合わせてくれたサニー。



24才。
昼は会社員、夜は銀座のホステスだった私に
ホモ友人チャイニぃーズアメリカンのエドウィンが
「MAR絶対いったら楽しい店2丁目にあったよぉ。おんなね、みせの人オモシロい、レズだヨ。イッショいこね」
18歳から遊んでいて、ついに探せたか!レズビアンBAR。
胸をドキドキさせて、サニーのドアを開けてびっくり。
無人のカウンターの上に置手紙。
「サニーは下の○○○で飲んでます。電話番号・・・・」
壁には女性のヌードの油絵。
それっぽい。
書いてある電話番号にかけると、10分くらい待っていてほしいとのこと。
留守番も居ないのに、店を開けたまま飲みにいってしまう店主かぁ。
入ってきたサニーは悪びれる風もなく「ヒマだから飲みに行ってた~」とご挨拶。
陽気でさっぱりした性格の人だなぁと、それにとってもレズビアンっぽい(笑)
当時換算するとサニーは35才。
やり始めたばかりのサニーには、例えば探偵のおじさんが張り込みの合間に飲みに来たとか、ホモかなぁと思っていたら気の弱いだけのノンケのボーイさんとか、綺麗なお水のお姉さま方、地元の酒屋のおやじと奥さん、不動産やのお兄さん、夜な夜ないろんな人がやってきてました。
このころサニーも私も彼女がアメリカ人という共通事項があり、時間があればサニーに飲みに行く日々がつづきました。

つづく

(今週はサニーとの思い出を連載で書きたいと思います。)