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徒然なるままに~徒然の書~

心に浮かぶ徒然の書

散歩とは~

2021-12-07 00:03:23 | 随想
夫婦で散歩して、そぞろ歩いた道の光景を写し取って、ファイルを蓄積するなどは現代の余裕の一つなんだろうね。
よくね色々な所で、散歩っていう言葉を聞きますよね。
では散歩って何なんだろうって、よくよく考える事があるんですよね。
目的もなくそぞろ歩くのが散歩って言うのも、この頃の散歩の概念としては正解なんでしょうね。
日本の文化の中で散歩って、目的もなくそぞろ歩くっていうのが、室町の頃からの意味だった様ですが、
明治の頃に西洋文化が入ってくると、散歩イコール運動を意味するようになってくるんでしょうね。
これはただ目的もなく歩くっていうのは、西洋人の合理主義とは相入れない様で、歩く事で運動を兼ねる様になってくる。
だが、漱石の吾輩は猫であるに、「吾輩は近頃運動を始めた。」という一節があったように記憶しているが、
ここでいう運動は飛んだり跳ねたり、走ったり、筋トレしたり、あるいはどんなかスポーツをプレーすることを言っているのではなく、
健康のために歩くこと、何ですよね。
つい先頃までウオーキングなどという言葉の運動を兼ねた歩きが大流行りで、
せかせか歩いていた姿が思い浮かびます。
特にあのバブルのころの人々は、そぞろ歩きなどという事は全く眼中になかった。
ですから、今でいう散歩すなわちそぞろ歩きなどを考える人々はほとんどいなかった。
現代のそぞろ歩く散歩っていうのは現代人の心のゆとりなのであろうか。
我の様に老いぼれて来ると歩くことは足を鍛える為が当然に含まれて来るのですが、
人間歩けなくなったらお仕舞という観念が頭の隅にあるからなのだろうと思っているんです。






























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手作りヨーグルトの功罪

2021-09-15 22:57:30 | 随想
手作りヨーグルトメーカなるものが出始めて、ヨーグルトの手作り全盛の感があるが、
多くの人は奇麗に固まったヨーグルトを見て大満足をしていることだろう。
市販のヨーグルトを種にして作られた、手作りヨーグルトは種につかったヨーグルトの成分が、
そっくり出来上がったヨグルトに移っていると考えている人がほとんどだろう。
果たしてそうだろうか。
市販のヨーグルトを種にして手作りされたヨーグルトは、
ほとんど種にされたヨーグルトの成分は引き継がれていないだろーと思っている。
手作りされてたヨーグルトの成分の検査を依頼した一般人はほとんど皆無だろう。
出来上がったヨーグルトは種になった市販のヨーグルトをそっくり引き継いだと思っている人がほとんどなのではないだろうか。
対して種菌として、粉末状のものを販売しているものからの手作りヨーグルトは、
能書き通りの効能を持ったヨーグルトが出来るのは間違いないのだろう。
能書きに書かれた種菌が増殖されたヨーグルトが出来ないとすればそれはサギ。
ただ手作りヨーグルトでも種にしたヨーグルトよりは劣っても同等に近いものが出来ることがあるとすれば、
それを種に手作りするといい。
ただ内容を問題にしないでヨーグルト状のものが出来ればいいという人は、ここでは問題外。
このようなただの発酵乳、効能のないヨーグルト状のものではあっても、
ギリシャ風にして水切りヨーグルトを作るととても美味いギリシャ風ヨーグルトが出来上がることだけは確かである。
クリームチーズのような感触、ちょっと洒落たトッピングをのせるだけで、上品なおやつが出来ることは間違いない。
繰り返して言うが、これも分析をした結果の事ではないのでご承知おきの上、市販のヨーグルトを種にして、
手作りヨーグルトを作っても種にしたヨーグルトの成分がそっくり手作りのヨーグルトに移し替えられるとは思わない事である。
市販ヨーグルトの売りにしている成分は、ほとんど手作りしたヨーグルトには移転しないものと思って手作りした方がいいように思う。
ただし市販ヨーグルトメーカが、手作りしたときそっくり成分も移りますよというのであればこれはまた別の問題。


































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ウナギのぼりの感染者

2021-08-01 14:06:24 | 随想
ウナギのぼりの感染者
七月末の全国の感染者数過去最多の一万二千三百四十一人。
この先、どこまで拡大していくか予測がつかない。
打つ手を知らない無能な政府や地方自治体。
尤も、今、、感染者として発病しているのは、オリンピック開催前後に感染した者が発病しているのだろう。
世界のあちこちで変異種が暴れまわっている昨今、こんな時期にオリンピックなどを開催すれば、
コロナが爆発することは、わかり切ったことではある。
オリンピックの期間中は外に出ないで、家でTVでも見てろは無責任な、傲慢な政治屋の言いそうなことではある。
月末には一万人を遥かに超えた爆発に、対して打つ手を知らない無能な政府は如何に国民に責任を取るつもりか。
そのうち変種が猛威を振るって、重症者が続出するようになれば、オリンピック開催を強行した輩はどう責任を取る。
常とう手段の、責任を取って職を辞します、退職金を下さいでは破廉恥の上塗り。
緊急事態宣下を出せば沈静化するなどと安易な思考しかできない輩には、
あとは罰則を設けた外出禁止令しか思いつかないであろうな。
となると国民の生活はどうなる。
またぞろ買いだめに走るものが続出しよう。
そこでまた得意の企業保障とかもっともらしい理屈をつけた金をばらまく。
金をばらまくのに悦びさえ感じているのではないのか。
そのばらまいた金はすべて国民の負担となって、何十年にもわたって国民をくるしめる。
零細な企業や商店主は、通常の利益に勝る保証で大喜びしている。
何ともお粗末な為政者である事よ。
以前高齢者の介護保険の大幅な増額の際、市に問い合わせてことがある。
その時の返答は、年寄りは年寄り同士助け合えだった。
高齢者が介護を受けるについて介護保険を払うこと自体問題であるが、考え方が逆転している。
保険などというものは、利益を受けるものが払うのが通常の考え方。
介護をしなければならない義務者は老齢者ではなく、それら高齢者の子供たちである。
その介護しなければならない子供たちが己らの代わりを務める介護者に金を払うのは当然の論理。
老齢者はただ介護を受けるだけの存在。
それに保険料を払わせるなどという事自体が、政治屋どもの頭の構造が逆転しているだけの事。
年寄りいじめの国ニッポンで、世界に知れた面目躍如な逆転頭脳の為政者らである。
何とも恐ろしい国に生まれものだと、死に際になってつくずく思い知ったものである。
老人同士助け合えなどというのはまったく破廉恥とさえ思える小役人の返答であった。
その論理を使えば、企業保障を国民が負担するのは論理が合わない。
企業は企業同士助け合えという事にならざるを得ないだろう。








































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やまゆりが咲き始めた

2021-07-06 15:00:22 | 随想
日課の散歩の途中、ちょっとは変わったところをと、藪を分け入ると山ゆりが何株か花を咲かせていた。
やまゆりを見てちょっと意外な感じを受けたが、思えばもう明日は七夕。
植物の歳時記は正確なものである。
6月下旬から雨模様の日が連続、すっきりと一日晴れた日は一日としてない。
こんな天候では天の川の両星を見ることなどとてもかなわない。
よくよく考えてみれば陰暦の七夕様はこんな梅雨の時期ではなかった。
というより、東京辺りでは星を見る事さえかなわない。
子供の心に映る満天の星の中を天の川が悠々と流れている光景を思い起こすにつけ、
なんとも嫌な時代になったものだとつくづくと思うのである。
日本のような、政治屋や官僚のやりたい放題、なすがままの世の中で、
老いぼれを阻害されながら何も長生きする必要はないんだと、この頃つくづくと、胸に染む。
おまけに、コロナに席巻された世のなかに、大慌ての治験不足のおっかないワクチンを接種されて、
健康そのものの人が何人旅立つたか。
政治屋や役人は因果関係証明できずは常套手段。
只のボランティア紛いで、あたら命を落としたことになってしまうのか。
何とも哀れ、落涙を禁じ得ない。
接種開始のころ、死亡には何千万の補償をするなどと大々的に宣伝したが、
この因果関係の証明という手があれば、保証などただの言葉の遊び文句に過ぎない。
過去をさかのぼれば、医療関係の訴訟で、いかに多くの人がこの因果関係で泣かされてきたが、
あの記事を見た時、法を少しでも知る人は、ダダのうたい文句だとすぐに察知したろう。
安倍などというしたたかな男にまんまと乗せられた感がある。
何もこんな世の中、しがみ付く必要はない、老いぼれたらさっさとおさらばする方が何と爽快な事か・・・
人生精いっぱい生きれば敦盛にあるように五十年で結構、儚いことなど何もない、それで人生結構楽しめる。





























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ワクチン接種者の体内に入ったコロナはどうなる。

2021-05-17 20:53:22 | 随想
今ワクチン接種で副作用についてばかりがクローズアップされているが、
接種したものにコロナがとりついた場合、そのコロナはどうなるのか。
ワクチンが完ぺきなものであれば接種者に入ったコロナは死滅させるのだろうが、
現段階の急増ワクチンでは、最低限発症を抑えるか軽度に発症させるかぐらいの事しか出来ないであろう、と思うのは私だけだろうか。
だとすれば、接種者の体内に入ったコロナは体内に蓄積したままの状態で生き続けるとなれば、
接種者は発症はしないか、発症しても軽度で済むだろうが、体内にコロナを抱えて、コロナをまき散らして町中を歩くことになる。
接種者が増えれば増えるだけ、その危険性は非接種者にとって、強大な危険性を負担させることになるのは当然の事であろう。
ワクチン接種がはじまって以後の感染者の状況をつぶさに調査する必要がある。
今後の非接種者は重大な危機に直面することになるのではなかろうか。
コロナ感染者が急増する可能性は否定でいなかろう。
政治屋って輩は企業優遇ばかりに血道を上げないで、国民の必序品となったマスクの消費税を撤廃しても罰は当たるまい。
国民への配慮が国民に選択されたものとしての最大の義務ではなかろうか。
コロナ資金回収と企業優遇措置の自動車税の増税、重税を課すばかりが能ではあるまい。



























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