goo blog サービス終了のお知らせ 

徒然なるままに~徒然の書~

心に浮かぶ徒然の書

ID19とマスク~人を非難する前に~

2020-05-04 13:44:56 | 随想

マスクの争奪戦がいまだに続いている。

政治屋や官僚役人は何の苦労もなく手に入れているようであるが、手に入れる事さえ困難なのが一般国民である。

それで銭をやるから外出を取りやめろと煽っている、なんともおめでたい政治屋たちである。

もともとマスクは第一義は己を守るためにする、その副次として他人にかける迷惑を回避すること。

だが、現在のコロナ騒動においては、その関係を逆転して考えているものも相当に多い。

という事は街中を歩くものが、発病しないまでもID19に感染していると考えていることになる。

そのID19を体内に秘めた人間が街中にいると考えているが、政治屋はその根源を放置したまま、

ただ効果のはっきりしない外出自粛を国民に強いているという結論になる。

街中を徘徊するID19を持ったものを捜索する手段を放棄するという事は、発病したものだけを対象と考えているという事であり、

病床不足を医療崩壊だと騒ぎ立てるだけである。

いかなる方法を駆使しても、第一にやらなければならないことは、隠れID19を発見することから始まるのではないのかと。

ところが

公共の場でマスクをしない人は、

己がコロナの感染源になるという事を認識できないか、あるいは努力できない人だと、

蔑む言動をする者もあらわれ出した。

非難をする対象が違う。

マスクをしない事によって、被害を受けるものはその当人であり、死へ至る可能性すらある。

それでもマスクをしないのは、マスクを手に入れられない理由があるのだろう。

死をかけてマスクをしない人間などというものはあり得ようもなかろう。

マスクをしない者の状況も分からずに己の論理で、蔑むような非難は的外れだろう。

彼を非難する前に、非難する必要のあるのはID19を体内に秘めたマスクで防がなければならない、隠れコロナを放置して、

実施効果もはっきりしない外出自粛を馬鹿の一つ覚えのごとく叫ぶばかりの猿真似政府なのではないのかと思う。

感染経路のはっきりしない発病者はほとんどがこれであろう。


外出自粛の間、行政はどんな施策を行った????

2020-05-03 19:27:11 | 随想

 

そろそろ、緊急事態宣言明けの時期は近づいてきたのだが、効果があったとも思われない。

国民に自粛を強要していて、効果がありませんでした、延長しましょうでは阿呆のやり方と同じではないか。

自粛期間中に己らのやってきたことを、明確に国民に報告する必要があろう。

何時までも、民は由らしむべし、知らしむべからず。

で通ると思ったら大間違い。

何時までも国民を愚民扱いするのもいい加減にするといい。

自粛期間中どんな方策を実施した、頭がついているなら何もしませんでしたでは通らない。

金をやるから家に閉じこもってろ、などと国民を家に閉じ込めてその間抜本的対策は何もしませんでしたでは、何のために高い給料を払ってると思っている。

そのばらまく金は結局国民に負担させる金であればいくらでも出せる。

わが国の議院内閣制の欠陥がこんなところで暴露されるとは思ってもみなかったろう。

国民を馬鹿にするにもほどがあろう。

何回延長しても、何をやればいいのかわからない連中のやってることでは、コロナ騒動は永久に解決できなかろう。

コロナ感染者で症状の出ない者がどれ程いるのかはっきりと掴んでさえいないのでは

外出自粛している内に、野放しの街をうろついているコロナ感染者を摘出する手段を講じているのかねえ~。

この期間中、どの様な方策を実施したのか、国民を自粛させただけですでは、能力不足。

ただ健全な一般国民を自粛させるだけでコロナが収まると思って緊急事態宣言をしたのではあるまいな。

ただ単に、外出自粛させればコロナ騒動が収まるなら、誰も苦労はしないし、誰も死ぬことはないんだよ。

今の行政の頭では日本中、死の街と化した状態にして、人間という人間を家に閉じ込めてもコロナは生きているだろう。

そうだとするなら、これは欧州の様な破滅寸前の国が取る手段。

猿真似もいい加減にして自分の頭で何をすればいいのか、考える必要があるあろう。

コロナは町を独り歩きして感染者を増やしているんではない、それをしっかりと銘記すべきことである。

どれほど阿呆でもそれくらいはわかるだろう。

コロナを体内に溜め込んだ隠れ感染者の発見、確保がなされない限り、コロナ終焉はあり得ない。

何回でもいう、何十回外出自粛しても、効果は期待できない。

外出自粛して、コロナの拡散が抑えられるのなら、これほど世界に広がることはなかった。

如何に阿呆でもそれくらいはわかる。

それら画期的な方策もなくただ自粛すれば、感染者が減少コロナ終焉など思っているなら、自粛の再延長を考えているなら話にならない。

自粛させた後その間何の対策も致しませんでしたでは筋が通らない。

何々を試みたが効果はありませんでしたと国民に報告する義務があろう。

国民の金を、勝手にばらまいても国民は喜ばない。

欧州の猿真似は滅亡寸前の国がすること。

何事も猿真似しかできないなら、コロナ対策から手を引くことだ。

自粛保障の大盤振る舞いもその尻を結局は国民に課することをはっきりと明言する必要があろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーend


幸福とは~幸福について考えると~

2020-04-25 22:24:14 | 随想

今日の人間は幸福についてはほとんど考えない様である。

古代の倫理学の中心課題はほとんどが幸福について論じていた。

アリストテレスの著書ではないが、彼の幸福についての思考過程が二コマコス倫理学に残されている。

近年の倫理学において、幸福について論じたものがあるのだろうか。

過去の哲学や、宗教すなわちキリスト教などにおいても、人間という生き物はどこまでも幸福を求めているという事実を論拠にして、

宗教論や倫理論を作り上げている。

古代から中世の倫理学は人は如何にして幸福を達成しうるかという問題がその中心問題を成していた。

だが今日の幸福論はどうなのだろうか。

すべての人間はその本性によって幸福という究極目的の達成に向かうように生まれながら定められていると考えられていた様である。

憲法13条の規定は今日の幸福追求権と言えるかもしれない。

とは言っても、現代日本の人権保障などは公共の福祉の一言で、跡形もなく吹き飛んでしまう。

生まれながらに有する人権などというもは存在することはなく、国家によって与えられた人権であるとするのが、日本国憲法の人権規定である。

幸福とはと学術的な事はさておいて、幸福とは何だろうと考えたことがある人は少なかろう。

内心の奥底では幸福でありたいとは思いながら、幸福が意識の表面に出ることはほとんどないのではなかろうか。

今日、倫理の混乱が叫ばれているが、倫理学からこの幸福が抜け落ちてしまったことと関連がある様な気がする。

幸福について考えることは不幸だからであるからかもしれない。

人間の体調に何の心配もない人は健康については改めて考えることはほとんどないであろう。

それと同じように幸福である人は、幸福について考えることはないのだろう。

だが、現代の人間は幸福について考える気力をさえ失っているために、幸福について考えることがないのかもしれない。

幸福とは何かを知らないものに、不幸とは何なのか知ることができるわけもない。

今日の人間は内心の奥底では誰もが幸福を求めている。

それが意識として登ってくることがないのはなぜなのか。

これが現代人の精神状況であるとすれば、これが現代人の不幸を特徴付けているのかもしれない。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーend


月一の通院からの思い

2020-04-22 20:50:35 | 随想

 

月一で通院し診察を受けて、薬の処方箋をもらってくる。

この時期、病院行きはとても煩わしい。病院は色んな患者が集まるところ。

中には隠れコロナもいるかもしれない。

行政が己の責任を放棄して隠れコロナが街をうろつかせているのが拡散の原因。

検査の結果コロナに感染していても、無症状だと認定したとき、どうするかの問いに、保菌者の扱いにするとは言っているが、

その保菌者をどうしたかは言わない。

そんな保菌者がたまたま医院に来ていたらそれこそ不運。

行政が放置した保菌者に感染させられたでは、死にきれない。

欧州は初期の対応にしくじって大事になっているが、結局その責任を国民に押し付けたという事。

わが国の行政は保菌者の確保を怠って、己の怠慢を棚に上げて、初期の内の対応を最初から欧州の猿真似よろしく、終息を国民に押し付けた。

金銭的な補償をえさに、欧州では見られない巨額な補償である。

国民はこの保証が手に入ると喜んでいるようだが、それぞれも思うほどに入るものかどうかは私にはわからない。

ただ、ここでも媼翁の年金受給者は保証の埒外、保障関係とは一切何の関係もないという。

だが、アフターコロナの国民に押し付けられる巨大な負担には真っ先にやり玉に挙げられる。

保障を受けた国民にしても、保障だなどと喜んでいるようでは日本の先が思いやられる。

保障の総額は国家予算の一般会計の予算をオバーするという。

これは、保証を受けた人々の子供はもちろんその子孫にまで及ぶ負担なのではなかろうか。

その時は苛め抜かれた媼翁の搾取の対象は別世界に移り住んでいる。

その成り行きを、別の世界からのんびりと眺めさせていただこう。

媼翁の姥捨て者たちはコロナに殺されるのではなく、行政の施策に命脈を絶たれることになるのだろう。

どちらかと言えば、コロナに殺された方が行政にじわじわ苛め抜かれて殺されるよりもあっさりとするのかもしれない。

段々減少する年金額から保証で支払われたアフターコロナの填補の搾取に耐えられる程支給されてる人はいい。

だが多くの人はその搾取には耐えられなかろう、今でさえそうなのだから・・・

税はもちろん、地方自治の各種保険料の増額はこれまでも常識では考えられないほどの増額を押し付けてきたのを考えると、

年金生活者は命脈を絶たれたに等しい。

 


コロナを甘く見る若もの達

2020-04-21 18:27:03 | 随想

ここ数日若いもの達が5,6人あるいは7.8人、自転車、バイクで集団移動して、通りかかりの公園に屯するのを目撃した。

公園入り口に設置の自販機でワイワイガヤガヤ鬱陶しいやり取りをしながら、公園へと入ってくる。

小さな子供の相手をして遊ばせていた母親は早々、恨めし言表情を見せながら引き上げていった。

片や自転車の集団、他方はバイクの集団、いずれも休みの暇を持て余して、仲間が寄り集まるのだろう。

あの中にコロナが一人いたら、おそらく全滅すべて保菌者になるだろう。

もちろんの事、コロナの対策のマスクなどは着けておらず、傍若無人に騒いでいる。

欧州諸国が滅亡の危機を国の存続をかけて、強硬手段に出ているが、果たしてどの程度の効果が期待できるのだろうか。

わが国では感染を広げている張本人、隠れ保菌者等を探すことを放棄して、野放しの保菌者が街中を歩き回るのを確保する方策さえ検討していない。

それを放置して欧州の猿真似をしているが、動くのが生き物の本能であってみれば、休みになって暇を持て余した若者が友を糾合し、屯するのは当然予想されたこと。

これがあちこちで繰り広げられると、欧州の猿真似が本物になり集団感染があちこちで起こりかねない。

感染拡大の原因の隠れ保菌者や無症状や軽症者の保菌者の扱いを厳格に探す方策を放棄して、感染拡大を外出禁止で処理しようなどは考えが甘い。

現状は欧州の状態と違う事を認識して対処方法すなわち感染を拡大している保菌者の確保に全力を傾注するする必要があろう。

自転車やバイクで移動し途中休憩のつもりか、公園でおだを上げてる姿を放置するなどは緊急事態宣言も甘く見られてものである

こんな輩が自転車やバイクで集団移動して、この中に保菌者がいないとは限らないであろう。

風邪を引いた程度に感じている輩、無症状保菌者が存在すれば至る所に菌を置いてくることになる。

若者はり患しないとかかかっても軽いとかの迷信を信じているのだろう。

イギリスなどで公園に三人集まれば強制的な権力で解散させているらしい。

従わないやつななどは罰金などを科せられている。

猿真似するなら徹底しなければ、中途半端はロクなことにはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーend