一昨日はきぬやまスカンクさんからお誘いを受け、SLばんえつ物語号に乗ってきました。
きぬやまスカンクさん、HMRSさん、私の3人で朝4時に集合、磐越西線山都駅を目ざし、車でいわきを出発。
途中の猪苗代町では、旧沼尻鉄道会津下館駅跡に寄ってみました。
この道路が線路跡で、何となく線路跡だと感じさせるような雰囲気です。(奥のほうが川桁駅方向)
手前右手に会津下館駅があったそうで、道端には看板がありました。
昔の写真にWCが写っていますが、これが何と今でも残っています。
写真では陰になっていますが、左側には当時のWCの文字もそのまま残っています。
建物自体に目立った特徴は無いですが、注目すべきは藍染めの便器です。
噂には聞いていましたが、よくぞ残っていたものだと思いました。
山都には7時頃に到着、新津まで乗車する223Dまで時間があり、駅東側の一ノ戸川橋梁で222Dを撮影しましたが、
先頭のキハ47が切れてしまいました。
撮影後、山都駅に到着。下り223Dを待ちます。
山都駅には煉瓦造りの古い油脂庫があり、現在は除雪用具の保管に使われているようでした。
除雪用具保管庫?の錠前。私はこのような形の錠前は初めて見ました。
山都7:33発の下り新津行223Dが入線、新津寄りのキハ48 523に乗車しました。
津川を過ぎ、車窓左手に国道49号線の本尊岩トンネルが見えてきました。
終点新津には9:26に到着、信越本線新潟行の115系を撮影。
定刻どおり10:03にSLばんえつ物語号が到着、ホームは撮影会と化していました。
C57 180のボイラ銘板。キャブには三菱のプレートが付いていますが、ボイラは日立製だったのね。
(以下、その2に続きます)
きぬやまスカンクさん、HMRSさん、私の3人で朝4時に集合、磐越西線山都駅を目ざし、車でいわきを出発。
途中の猪苗代町では、旧沼尻鉄道会津下館駅跡に寄ってみました。
この道路が線路跡で、何となく線路跡だと感じさせるような雰囲気です。(奥のほうが川桁駅方向)
手前右手に会津下館駅があったそうで、道端には看板がありました。
昔の写真にWCが写っていますが、これが何と今でも残っています。
写真では陰になっていますが、左側には当時のWCの文字もそのまま残っています。
建物自体に目立った特徴は無いですが、注目すべきは藍染めの便器です。
噂には聞いていましたが、よくぞ残っていたものだと思いました。
山都には7時頃に到着、新津まで乗車する223Dまで時間があり、駅東側の一ノ戸川橋梁で222Dを撮影しましたが、
先頭のキハ47が切れてしまいました。
撮影後、山都駅に到着。下り223Dを待ちます。
山都駅には煉瓦造りの古い油脂庫があり、現在は除雪用具の保管に使われているようでした。
除雪用具保管庫?の錠前。私はこのような形の錠前は初めて見ました。
山都7:33発の下り新津行223Dが入線、新津寄りのキハ48 523に乗車しました。
津川を過ぎ、車窓左手に国道49号線の本尊岩トンネルが見えてきました。
終点新津には9:26に到着、信越本線新潟行の115系を撮影。
定刻どおり10:03にSLばんえつ物語号が到着、ホームは撮影会と化していました。
C57 180のボイラ銘板。キャブには三菱のプレートが付いていますが、ボイラは日立製だったのね。
(以下、その2に続きます)
特に戦後製のは軒並みと言っても良いくらいです。
さすがに昭和21年ごろのは出来が悪かったのでしょうね。
交友社 SL No.3に掲載の車歴表では180号機は新缶載せ替えの記載がありません。
180号機と同じく新製配置が新潟で、途中酒田に移動しているものの最後は新津に戻り廃車、と似たような経歴を辿った181号機は昭和33年に載せ替えられていました。
なるほどです。C57と言えば戦前のイメージを抱いていましたが、180号機は戦後の製造でしたね。
しかも終戦直後・・・、いかにも工作精度が良くなさそうで、ボイラー交換も納得です。
またいろいろ教えてください。