秀二の余命日記

70歳で余命1年を宣告されたジイジが大好きな能登の地で燃え尽きるまでを綴ります。

広報誌「鷲宮」

2017年05月30日 00時13分31秒 | 日記
先日、田鶴浜に帰ると、母がこんなのが出て来たよと鷲宮の広報誌を2冊出してくれました。
鷲宮は私が幼稚園の頃から住んでいた町です。
その冊子の表紙をめくると私たち親子がマラソンをしている写真が載っていました。
そういえば、私が小学3年か4年の頃、当時父は休みの日の朝にマラソンをしていたのですが、
カメラマンの人に声をかけられて写真を撮ることになったことがありました。
私は母に着るように言われた赤い短パンが嫌だったので、友達に見られたら恥ずかしくて嫌だなと思っていた記憶があります。
母は覚えてなかったらしく、でもきっと嫌だとお父さんに言ったんだろうね。と言っていました。
そう言われて見ると父と母はムスッとしているような、いないような…。
父も母も今の私より若いので、いろいろ我慢出来ず衝突することもあったでしょう。
2冊あるので、私と妹にあげると1冊もらいました。
30年以上も前の思い出の一枚です。

えいこ
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3 コメント

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懐かしい。 (さちこ)
2017-06-01 13:10:00
懐かしい。
わたしは写真とられるのは嫌じゃなかったけど、
学校で随分ひやかされたよ。

この日は町民体育大会の日だったと思うよ。
お父さん、頑張って長距離にエントリーしてた。

何位だかは覚えてない。
お父さんのジョギング、自転車でも追い付くの大変で
子どもの私にはとても速かったのに
上には上がいたんだね。
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角刈り (浜やん)
2017-06-04 23:36:02
懐かしいですね。この頃は設計課に異動されてましたね。現場の人たちが楽に作業が出来るようにする改造が得意でした。今でもその設備は陳腐化する事なく元気に稼働してます。他の事業所の見学者を現場案内する事がありますがその度に自慢して説明します(^^)
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うれしいです。 (えいこ)
2017-06-07 12:21:46
浜やんさん、いつもありがとうございます!
父もそのことを知ったら喜ぶでしょうね!
私たちも父の知らない一面を知ることができてうれしいです。
父が亡くなる前にもっといろんな話をしておけば良かったと最近思うことがあるのですが、こうやって浜やんさんからの話を聞いたり、妹からの話を聞いたりすると埋め合わせてもらっているようで、ありがたいです。
こうやって思い出話ができるのは幸せなことですね。
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